第13話 色魔

 猟師たちの小屋は尾根を越えたところにあった。歩いた距離は5キロ程度だったが、道のない尾根を越えたのだ。雉女の息は上がり、膝は震えていた。


 猟師たちは山の所々に小屋を持っていて、薪や食料を備蓄していた。小屋の壁には獣の皮が張られ、風が入らないように作られている。中央には火をたく場所があった。7人が横になることは出来ないが、膝を折れば全員が休めるだけの広さはあった。


 焚火が橙色の炎を上げると、室内の温度が一気に上がる。


「温かい……」


 雉女は野山を歩く獣から、久しぶりに人間に戻ったような気がした。


 あぶった肉と酒が夕食で、食欲が満たされると別の欲が頭をもたげる。


「ちょっとだけいいだろう」


 猟師たちは雉女の身体を求めたが、雉女を挟んだ勝蔵と伊之介が「山を下りてからだ」と拒んだ。


 深夜のこと。「雉女……」と、耳元で呼ぶ声で目を覚ました。声の主は勝蔵だった。そちらに顔を向けると額が着きそうな場所で、焚火の炎を映す瞳が赤黒く光っていた。


「勝蔵さま……」


 夜中に何事だろう、と首をかしげる。


「本当に良いのだな?」


 勝蔵がささやくように訊いた。


「何がです?」


「山を越えたら、あいつらと……」


 声がそこで途切れた。自分のことを案じてくれているのだとわかる。


「……はい。北陸道に出るためには、そうしなければならないのでしょう?」


 覚悟はしたものの、その時のことを想像すると声は震えた。


「それほど九郎殿が恋しいか?」


 改めて考えると、本当に義経に逢いたいのかどうか、わからなかった。


「あの人は、今頃どこにいるのでしょう?」


「知るかっ。奥州に向かったというのさえ、鎌倉の連中の噂話にすぎない。逆に、静……、いや、雉女を奥州に入れて、九郎殿を誘おうとしているのかもしれないのだ」


「どうして奥州に?」


「奥州討伐の大義が要るのだ。そのために、雉女はこのような窮地に追いやられているのかもしれない」


 まさかという疑問と、得体のしれない喜びを覚えた。


「もし……、私を追って九郎さまが奥州に向かっているのならば、私は果報者です」


「それで九郎殿が殺されるとしてもか?」


「それは困ります」


「勝手だな」


「はい。女は勝手なものです。ですが、男だって勝手に戦を始め、女子供を苦しめます」


「そうか……」と言って勝蔵が眼を閉じた。


 雉女は彼が口をきくのをしばらく待っていたが、いつしか寝息が聞こえた。


「勝手に起こして、勝手に寝てしまう。勝蔵さまも勝手だこと……」


 仕方がなく目を閉じた。


 ふたつ目の小屋まで白銀の世界と険しい坂道が続いた。その次の小屋までの道は、雪は深いものの平坦で、左右には黒々とした樹木があった。


 翌日は坂を下り、深い森を抜けて栃尾という平地に出た。道は川に沿って西に向かっている。しばらく行くと雪が所々踏み固められていて、道が道らしい姿をしていた。高台には雪にのみこまれそうな建物が点在していて、雪下ろしをする住人の姿がちらほらあった。


「集落だ。……ほれ、あれが俺の家だ」


 猟師のひとりが高台のはずれにある小屋を指した。彼は雪をかき分け、そこに向かってどんどん上った。


4番目の小屋は1人の猟師の住居そのものだった。それまで夜を過ごした山小屋と違って蔀戸しとみど風の小さな窓があった。広さは山小屋の倍ほどで土間と板の間が分かれている。土間には狩猟の道具が、板の間には夜具や毛皮などが散在し、梁から干し肉がぶら下がっていた。


 薪の束を手にした猟師が板の間に上がり、囲炉裏に火をおこす。


「家族はいないのか?」


 土間に立ったまま、勝蔵が訊いた。


「俺は五男だからな。田も畑も家族もない。狩りの合間には長兄の家の田畑を手伝って暮らしている。いや、田畑の仕事がない時に、狩りをしているのかもしれん。ここいらの狩人は皆同じようなものだ。戦でもあればなぁ。その時、俺は手柄を立てて武士になる」


 猟師がぶら下がった干し肉を取って薄く切り、串にさして囲炉裏の周囲に並べた。


「さぁ、俺たちは楽しみの時間だ。婆さんは洗濯にでも行け。男達は外で見張りをしてもらおうか。村の男たちが来ないようになぁ」


 ずっと後ろを歩いていた猟師が雉女の手を引いた。


「少しは火にあたらせておくれよ」


 白女が文句を言っても無駄だった。猟師は勝蔵たちを追い出すと、戸板に心張棒しんばりぼうを掛けて開かないようにした。


「女……。まずは、赤ん坊を囲炉裏の向こう側に寝かせろ。抱いたままするわけにもいかないだろう」


 猟師はそう言って笑った。


 家の持ち主が床下に隠しておいた酒甕を取り出す。


「さあ、一杯やりながら遊んでもらおうか。何年ぶりかなぁ……」


 言いながら、雉女の尻をわしづかみにした。


「たまんねぇなー。いい感触だ」


「こんな、昼間から……」


 雉女が身体をよじって抵抗すると、猟師が声を荒げる。


「傀儡女に夜も昼もないだろう。さっさと赤ん坊をおろせ。約束だ。抱かせろ」


 彼は雉女が羽織っている熊の毛皮をむしり取った。


「分かりました。赤ん坊が驚きます。乱暴は止して下さい……」


 ――眼をつむってしまえば、男はみんな同じさ。むしろ、見た目よりも、ワシたちと情を合わせ、気持ちよくしてくれる男が良い男だ……。雉女は鵠沼の神宮で白女が言ったことを思い出して勇気を振り絞る。毛皮を敷いて龍蔵を寝かせると、猟師たちに背中を向けて小袖ひとつになり、猟師がつくった寝床に身体を横たえた。


「さぁ、好きなように抱いてください」


 半ばやけになって告げた。


「おお。めんこいなぁ」


「見ろ。肌が餅より白いぞ」


 眼を血走らせた猟師たちがバタバタと裸になる。それを見ると怖くなって、雉女は眼を閉じた。


「ようし、ワシから行くぞ」


 一番年嵩の男が雉女の身体にまたがった。残りの男たちは「早く代われよ」と催促しながら酒を飲んで自分の番を待った。


 雉女の中に男が入ってくる。白女が言ったように、気持ちがよくなることはなかった。ただ息苦しく、白拍子のほこりが悲鳴を上げた。そうした苦痛から逃れようと感覚を消し、心を殺して全てが終わるのを待った。


 その時は想像していたより早くやって来た。男たちは、雉女の柔肌に長くは耐えられなかった。


 男たちが一巡したので身体を起こすと、「まだだ」と、最初の猟師に組み伏せられた。


「約束は守りました」


 そう告げて抵抗すると、「1回だけと約束した覚えはないぞ」と猟師が笑った。別の猟師がそろって「そうだ、そうだ」と追随し、雉女の手足を押さえた。


 私は春を売る傀儡女だ、このくらいのことが何だ。……雉女は自分を殺し、繰り返される屈辱に耐えた。


 最初に痛んだのは猟師と接触する皮膚だった。まるで焼けるような痛みだった。やがて関節や筋肉がギシギシと泣きだした。板戸の向こうから「もう、お止めよ。女の身体が壊れてしまう」と白女の声がしても、男たちの欲望が治まることはなかった。終いに、殺したはずの雉女の心が痛んだ。泣きごとは言うまいと決めていたが、身体が勝手に叫んだ。


「助けて!」


 ――ドン……と音がして板戸が倒れた。冷たい風が室内を走り、囲炉裏の火がパチパチと音を立てて燃え上がる。龍蔵が「ギャー」と泣いた。


「この餓鬼ども!」


 怒りに満ちた声が天から降ったかと思うと、雉女に跨っていた男が「ウッ……」と呻いてゴロリと落ちた。他の男たちも同じように喉を詰まらせて倒れた。


「雉女、大丈夫か?」


 抱き起したのは伊之介だった。


「どうしたのです? 何があったのです?」


 雉女は薄暗い室内を見回した。3人の猟師が床に横たわっている。


「鬼が、こいつらの魂を食ったのだ」


 伊之介が言った。


「さあ、早く着るんだよ。風邪をひく」


 白女が衣類を集めてくれたが、倒れた男たちのことが気になるうえに、身体が痛んで動けない。白女が次々と着物を着せはじめた。


「男たちは死んだのですか?」


「誰も死んじゃいないよ。とにかく、はやく出かける準備をするんだ」


 勝蔵が蹴破った戸板を直し、伊之介が紙人形を猟師たちの手に握らせる。


 雉女は、白女に手を引かれて立ち上がった。よろよろと敷居をまたぐと、外は既に夜。太陽の明かりはもちろん、周囲の家々の窓から漏れ出す灯りもなかった。ただ、空に星がある。大地は白一色……。雪明かりのおかげで、小屋の中より明るかった。


 雉女は、伊之介の手にある薬壺を見つけて白女に訊いた。


「やはり、殺したのですね?」


「痺れているだけだよ。それで死んだら自業自得……。百太夫さまを置いてやったからね。何とかなるさ」


「何とかなるとは、どういう意味です?」


「今日のように、陽がないのに明るいこともある。明るさは、必ずしもお日さまが決めているわけではないということさぁね。人の生き死にも、毒の量で決まるわけじゃない。与えた毒が多くても人は死なないことがあるし、毒を盛らなくても死ぬことがある」


 意味ありげに説いた白女が、龍蔵を雉女に抱かせた。


「さあ、さあ……、しっかりおしよ。ワシを女と認めない男の生き死になどどうでもいい。今は龍蔵をしっかり抱いておくれ。……伊之介、行くよ」


「オ、オゥ」


 伊之介は荷物を背負い、子犬のように白女を追った。


「勝蔵さま、教えてください。猟師たちを殺したのですか?」


 納得できない雉女は、荷物を背負う勝蔵に食い下がった。


「助けてくれと言ったのは雉女だ」


 猟師たちに犯され続けた時は気が狂いそうになって助けを呼んだ。ところが、彼らが自分の間近で死んだと思うと恐ろしく苦しい。


「私のために殺したのですか?」


「うぬぼれるな。対価以上に求める色魔しきまらしめただけだ。……雉女が本当に傀儡女となるのなら、これからたくさんの色事を経験するだろう。情けないことに、その中の幾人かは欲に狂い自分の身体さえ抑制できなくなるのだ。そんな時、俺たちが針を刺す。その毒で身体の動きを止めるのだ。普通の者ならいずれ息を吹き返すが、稀に鬼に呼ばれて地獄に落ちる者もいる。すべては、そいつの生き様次第だ。雉女も鬼に取り込まれぬよう、強くなれ」


 口数の少ない勝蔵が珍しく多くを説明して歩き出した。雉女は彼を追って坂を下りた。急ぐと内腿が濡れた。体内から猟師たちの色欲が逃げ出したのだ。


 坂を下りたところで待っていた白女と並んだ。


「あそこが痛むかい?」


 後ろに回った白女が遠慮のない質問をする。


「アハハ……、可笑しい」


「なんだ。笑えるなら大丈夫だ」


 雉女は後ろを振り返り、遠くなった猟師の家を目で捜した。


「ワシの顔に何かついているかい?」


「いえ。あの男たちが息を吹き返したかと思いまして……。憎い相手なのに気にかかるのです」


 雉女は前を向いて歩きだした。


「人間なんだ。人の生き死にが気にかかるのは自然なことだよ。そうならなくなったときは、人間でなくなったということだ。あいつらがもう少し雉女に優しくすれば、勝蔵も無茶をしなかっただろうに……」


 白女の言葉に、なるほど、と思った。

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