3章 神仏 ――宿命――
第14話 越後
越後国一宮の弥彦神社は財政が豊かで、宮司や権宮司、禰宜といった神職が70人ほどもいた。義経が北陸道を行ったなら、そこに必ず噂が届くと思われた。
雉女たちを迎えたのは
「年の暮で忙しいところ、お世話になります」
雉女たちが並ぶと、光典は「いやいや」とにこやかに応えた。
「ここには掃いて捨てるほど神職がいる。私のような不良の禰宜など邪魔なだけなのですよ。それよりも、お見受けしたところ京の女御殿では?……まるで野山に咲く一輪の百合の花のようだ」
見つめられた雉女は「そのような……」と返事を濁して目を伏せた。神社に着いた時は汚れていて百姓か
「訳あって、姿を変えて鎌倉から参りました」
勝蔵の言葉に光典は眼を細めた。
「ほう。この雪の中を鎌倉から……。もしや、白拍子か?」
「いいえ。私は、雉女という傀儡女にございます」
雉女は、床に細い指を添えて頭を下げた。静とばれて、白女や勝蔵を危険な目にあわせることは避けたかった。何よりも、猟師の小屋で誇りを捨て、傀儡女になると決めた覚悟がゆらぐのが怖かった。
「ふむ、何か目的があって関東から来たのであろうな?」
光典が勝蔵に向く。
「はい。実は人を探しております」
「その者がこの辺りに住んでいるのか?」
「いえ、旅人です」
「ほう、北陸道を歩いているのか?」
「分かりません。ここを通るのかどうかさえ……。既に通ったのであれば、噂など耳に届いているのでは、と……。こうしてお邪魔したわけです」
「なるほど。で、その者の名は何という?」
光典の問いに雉女は息をのんだが、勝蔵は躊躇なく告げた。
「源九郎義経」
「ほう、ほう、ほう。それは面白い話だ」
光典が謡うように声を上げ、パンと膝を打った。
「義経殿が京を出奔したという噂なら聞いている。しかし、その後の行方についてはさっぱりだ。残念ながら北陸路を歩いたという噂は、この界隈にはないが……。こちらに向かっているのか?」
「関東には、奥州平泉に向かったという噂がありまして……」
「なるほど……。ならば関東を避けて北陸道を行くのもうなずけるが、それは我らのような凡人の考えること。義経殿が噂に聞いた奇襲を好む軍神ならば、東山道をまっすぐ奥州へ向かったのではないだろうか?」
光典が雉女を探るように見つめた。その姿の向こうに、義経を見ているような眼差しだ。
「すると長者の方が出会っているかもしれないねぇ」
白女が、残念だというように長い息を吐く。
「何はともあれ、義経の戦振りなど詳しく教えてくれないか」
光典の瞳が
「では……」と、伊之介が応じた。彼は、一ノ谷の戦いや屋島の戦いにおける義経の奇襲の見事さ、壇ノ浦の用意周到な戦いを、まるで見てきたように面白く物語った。
光典が感嘆する。
「さすが傀儡子ですなぁ。話がうまい。この物語は、百年、千年と語り継がれるでしょうなぁ」
雉女は、男たちが興奮して話す義経の物語を不思議な気持ちで聞いていた。以前なら義経の名前が出ただけで胸が躍ったものだが、今は、彼が軍神と讃えられても心が弾まなかった。
翌日から、雉女たちは正月の人で賑わう露店や近在の農家をめぐって噂を探して回った。光典も、宮司や禰宜に尋ねてくれた。が、義経が北陸道を行ったという噂はひとつもなかった。
光典には七日世話になった。明日は旅立ちという夜の事だ。世話になったせめてもの礼にと、雉女は烏帽子をかぶり扇子を手にして舞った。勝蔵は笛を吹き、伊之介が借りた鼓を打つ。短時間の演舞だったが、「これまでに見たことのない神々しい神楽だ」と、光典は感動に声を震わせ、雉女らの旅立ちを惜しんだ。
早朝、並んだ雉女たちの前に光典が立ち、雉女、伊之介、白女と顔を確かめ、最後には勝蔵を見つめた。
「本当に行かれるのか? 奥州会津へ冬山を越えるなど、これまで聞いたことがないが……。赤子のためにも、春まで待ってはどうだ」
彼も
「我々、傀儡子であれば旅は宿命。生きるも死ぬも、全ては神の意志です。……長らくお世話になりました」
勝蔵が静かに頭を下げた。
「
光典は声を上げた。
「その潔さがあだ花とならなければよいが……」
彼の瞳が潤んでいた。
「なにを泣かれるのです……。ワシらは上州の冬山も越えました。案じめされるな」
白女が微笑んで見せた。
「いや、旅立ちの朝を暗くして申し訳ない」
狩衣の袖で涙をぬぐった光典は、薄らと白くなった東の空を見上げ、それから勝蔵に視線を戻した。
「山に入れば人家は少ない。炭と塩、干物を用意した。人のいない山中で役に立つだろう。くれぐれも気をつけていかれよ」
彼は一抱えもある餞別を差し出し、勝蔵の手を握ると再び目尻を濡らした。
「ありがとうございます。小林さまもご健勝で……」
勝蔵と伊之介が餞別を笈に括り付けて背負う。
「気をつけていかれよ」
表にまで見送りに出た光典の声はしばらく聞こえたが、勝蔵は振り返らなかった。雉女は時折足を止め、手を振る影に向かって頭を下げた。
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