第8話 迷い
力蔵が石橋の集落を目前にした時だった。
「その行列、待てー」
馬の
「野盗の仲間か?」
誰もが怪しみ、男たちは武器に手を掛けた。
「いや、違うだろう。どこぞの家来のようだ」
力蔵は列を止めると後ろに向かい、勝蔵に並んで馬上の武士を迎えた。
「拙者は小山
彦衛門が馬上から横柄な視線を投げた。小山家は頼朝の乳母を出した家で、頼朝の蜂起の際も真っ先に助けた。
「ワシは長の力蔵と申します。どういうことで?」
「我が殿は鎌倉殿の重鎮。その領内を、政府に逆らう逃亡者の身内を通すわけにはいかん」
いかに小山政光とはいえ、中原広本の権威に勝ることはない。力蔵はその名を出して彦衛門を追い払おうと思った。
「恐れながら……」力蔵より先に勝蔵が前に出た。「……我々は旅の傀儡子。義経殿の女など同道しておりません」
勝蔵の言葉に力蔵は驚いた。
傀儡子の中に静がいると信じていた彦衛門が「ナニッ!」と声を上げ、傀儡女たちの前に馬を移動させた。彼は市場で野菜の品定めでもするように女の姿かたちを見て回る。ほとんどの傀儡女は好奇の目を久保田に向けていたが、3人だけ視線を逸らした。
――ケーン――
河原で
「その女。そちこそ静であろう」
彼は視線を逸らした女の中から一番美しい女を指した。実際それが静本人だった。
「いいえ、それは……」は勝蔵が彦衛門の視線を遮った。「……我が妻の
「な、なんだと……」
彦衛門は疑い、静をにらみつける。
「女、本当か?」
「ハ、ハイ……」
静が頭を下げた。
「ならば隣の女。名を申せ」
「桔梗」
「その隣の女」
「フジ……です」
彦衛門は若い女ひとりひとりに名を訊いたが、静と応える者はなかった。
「久保田殿、他の傀儡子の党とお間違いではありますまいか……」
力蔵は、やんわり言って戻るきっかけを与えた。
顔を怒らせた彦衛門が、「去れ!」と一言投げて走り去った。
「勝蔵、何故、噓を言った?」
力蔵は遠ざかる彦衛門の背中を見ながら訊いた。
「差し出がましい真似をしてすみません。親父殿は正直に話すだろうと思いました。公文所の中原殿の名を出せば、武士はことごとく恐縮すると思っているからです。しかし、鎌倉ならともかく、田舎では違います。中原殿の名声や権威は通用しない。むしろ、中原殿を妬むものや、面白くないと思っている者が多いはず」
力蔵は、熊蔵の隣にいる商人に眼をやった。彼に様々な事情を知られてはまずい。
「勝蔵、そこの河原で馬を休ませよう」
そう告げて、
「のう。我々は武士どもに狙われているようだ。一緒にいては親切な貴公にも迷惑が及ぶ。石橋はすぐそこだ。もう野盗は出ないだろう。先に行ってくれ」
熊蔵が説明して商人を先に行かせた。
男たちは川原で車座になる。女たちは化粧を直し、子供たちは虫を追って遊んだ。力蔵が口を開く。
「勝蔵は、ワシが中原の名を出したところで、あの武士は静を奪って行ったというのだな?」
「はい。平氏が滅び、世の中の大勢は決まりました。今、武士が手柄を立てることが出来るとするなら、義経殿の身柄を押さえることが一番。中原殿にしても、彼さえ捕縛できれば小山や
自分の考えに自信があるのだろう。勝蔵の目には力があった。
「長者。我々は撒き餌とされたようだなぁ。ここはひとつ熟考しなければならないぞ」
傷を負った腕の布を巻きなおしながら、熊蔵が言った。
「うむ。評判通りなら、義経殿は女好き。逃げる間にも女を同道しているだろう。ワシとしては、静にはそれほどの効果がないとみていたのだが……」
力蔵は水辺でぼんやりとしている静に眼を向けた。男たちがその視線を追う。
「しかし、小山政光は静を捜している。ここいらの地侍の考えは、長者とは違っているということだなぁ」
「己の色欲で、静を自分のものにしようとしているのではないのか?」
「ワシも始めはそう考えたが、義経殿の女を囲っていると鎌倉殿に聞こえたらどうなる。笑われるか、怒りを買うか……。何しろ静は、
力蔵は勝蔵に眼をやる。自分に意見する息子を頼もしく感じていた。
「いずれにしても、このまま宇都宮に入るのは危険です」
「ならば勝蔵、何か策があるか?」
「はい。我々はこのまま宇都宮に入り、派手に興行してから奥州に向かいます」
「懐に飛び込むというのか? もし、宇都宮が静を差し出せと言ってきたらどうする?」
「静は、連れて行きません」
「放り出すというのか?」
「若い女を1人にするなど、死ねというに等しい。それは
小六が顔をしかめた。
「放り出すのではありません。1人2人、男を同行させて
「越後だと?……越後周りで奥州に入るとなると、とてつもない遠回りになる。まして越後は豪雪地帯。山道も険しいと聞く。そんな雪道を歩けるものか……」
「白河関も冬。足が鈍るのは同じです。こちらは見世物と冬の狩りを請け負いながら進む。越後を行く者はひたすら歩く。春には
「男ならともかく、静は女だ。しかも旅慣れていない……」
「だからこそ、関東の武士どもも静が越後路に向かうとは考えないはず」
「確かにそうだが……」
力蔵は腕を組んで考えた。川面を赤や黄色に色づいた木の葉が流れていく。上流の木々は、既に色付いているのだろう。冬は近い……。
「他に妙案もなさそうだなぁ。こうして流ればかりを見ていても動きが取れない。長者、若い者に任せてみてはどうだ。世の中、成るように成るものだ」
熊蔵が言った時だ。女たちが叫んだ。
「大変だよ!」「夢香が産気づいた」
「なんだと……」
勝蔵が真っ先に立った。
「男は来るな! 鍋を降ろして湯を沸かせ」
白女が命じた。
「近くの百姓家でも借りよう。みんなで探して……」
爽太が土手に向かう。
「間に合わないよ。さっさと湯を沸かさないか!」
「今夜はここで過ごすぞ」
力蔵は女と年寄り、子供用の小屋を張るよう指示した。傀儡子たちが「オウ」と応じて露営の準備に走った。
――ホギャー……。産声は、柳の木の下に小屋ができるより早かった。小さな赤子だが、声に力がある。一方、夢香の具合は
「まずいね。血が止まらない……」それが産婆役の白女の見立てだった。
「それより乳だ……」梅香がぐるりと女たちの顔に視線を走らせる。「……誰か、乳の出る者はいないか?」
すると静が、ためらいがちに手を挙げた。傀儡子たちが驚きの視線を向ける。力蔵も同じだ。彼女に子供がいることなど、中原広本から聞いていなかった。
「夏に子を産みました。まだ、乳は出ています」
静が話すと「なら、良かった」と、梅香が赤ん坊を抱かせた。
「少しばかり早く生まれたからね。沢山は飲まないよ。乳をやっておくれな」
「はい」
静が胸をはだけ、赤ん坊の唇を乳房に押し当てる。赤ん坊は、桃色の突起にむしゃぶりついた。
ばい菌に感染したものか、その晩、夢香は高熱を出した。青白い顔が一時だけ紅くなり、やがて土色に変わっていく。
「夢香、負けるな。生きろ」
妻を励ます勝蔵の声が、一晩中、小屋の中から聞こえた。
因果応報……。力蔵はどこかで聞いた言葉を思い出していた。夢香の命が奪われるのだとしたら、それは勝蔵が野盗の命を奪ったからかもしれない。しかし、野盗が襲ってこなかったら、勝蔵が彼を殺すこともなかっただろう。何故、野盗は襲ってきたのか……。頼朝が佐竹を滅ぼしたからか……。原因は無限に過去にさかのぼっていく。答えの出ない疑問に、
空が白む。
「夢香!」
声は桔梗のものだった。必死の看病もむなしく、夢香は朝日が昇るのと同時にこの世を去った。
「
力蔵は動かず、女達が小屋を囲んでしくしく泣くのを聞いていた。
夢香を土手に葬る。
夢香の形見といえば、生まれたばかりの男児と百太夫人形だけだった。どちらも静に託された。
「さて、土饅頭が平らになるまで石橋で興行を開くか……」
力蔵は言ってから、静の問題を思い出した。それに対する手を打たなければ、葬った夢香の
「勝蔵。静のことだが……」
声をかけると、うつむいていた勝蔵が暗い顔を上げた。その瞳に、夢香の亡霊が映っているように見えた。
「静を越後まわりで奥州に入れるというあれだ……」
勝蔵が赤子を抱いた静に眼を向ける。
「夢香に未練もあるだろうが、静には赤子の面倒を見てもらわなければならん。お前が静と共に行け」
「お、俺がですか?」
「そうだ。赤子の面倒を見るのに静ひとりでは何かと不安だろう。白女も付けてやる。それと手代替わりに伊之介を連れて行け」
与えられた使命の重みだろう。勝蔵の瞳から夢香の亡霊が消えた。
「赤子の名だが、
「良い名です。ありがたく……」
「静の名も、雉女と変えたらいいだろう。何が災いを招くか分からない。万が一の時には、静は月神社を出た後、利根川に入水したと言え。ワシもそう触れて回る。落ち合うのは次の春、梅の咲く頃。場所は安積の八幡神社」
「わかりました。では、来春、安積にて」
勝蔵は旅の準備に取り掛かった。
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