第7話 襲撃

 小山おやままでの道は比較的平坦だったが、そこからは徐々に上り坂になり森も深くなった。木立が途切れて光のさす場所では、遠くに青い峰々が見えた。


 あの先に行くのか、と傀儡子たちは眼をやる。ある者はため息をつき、ある者は好奇に勢いづいた。山を見つめる静の瞳は希望に輝いている。


 暗く深い森、陽射しから隔離された空気は冷たく木々はまるで凍ったようにシンとしていた。それが怪しげな気配を生む。先頭を歩く力蔵は、神経を研ぎ澄ませて空気の変化を肌でとらえていた。


 ――ザザザザー……。人の気配に雉鳩きじばとが飛び立ち、烏が騒いで木々を揺らす。そのざわめきに、傀儡女たちは天狗でも出たのではないかと恐れた。


「旅は好きだけど、いやだねぇ、こういう感じ……。妖気っていうのかなぁ……。野盗ときたら、金だけが目当てじゃないんだよ。女をさらって妻にするのが目的なんだ。静は若くて綺麗だからねぇ、狙われるよ」


 口を動かせば恐怖が消えてしまうと考えているのか、桔梗はいつにも増して饒舌じょうぜつだった。


「桔梗、五月蠅うるさいいぞ。怖いなら、黙って百太夫を拝んでいろ」


 普段は女の機嫌を取る熊蔵さえも心に余裕がないように見えた。


「もう、女心の分からない男だね」


 叱られた桔梗は、口を尖らせて懐に入れた百太夫人形を抱きしめた。


 ――ザザザザー……、茂みがざわめく。今度は鳥ではなかった。胴と小手だけを着けた野盗が7人、茂みから飛び出して力蔵の行く手をふさいだ。


 刀が4、槍が3か……。力蔵は野盗の戦力を観察し、刀の鯉口こいくちを切った。


「後ろに5人!」


 最後尾から勝蔵の声がした。


「チッ……、挟み撃ちか……」


 力蔵は、誰に言うとでもなく声にした。駆けてきた熊蔵が背後に立つ。それを肌で感じとり刀を抜いた。力蔵にならい、傀儡子たちがそれぞれの武器を構えた。


 女と子供は、北風から身を守る猿の群れのように身を寄せあう。


 野盗の頭目らしい者が大音を発した。


「聞け、傀儡子ども! 我らは常陸の建御雷神たけみかづちしんの郎党。この世を正すためにお主らの金銀財宝、馬と女どもを徴発する。義経の女、静もいるはずだ。何もかも我々は承知している。神妙に我々の命令に従え」


 なるほど……。力蔵は野盗の理屈を聞くと大きく息を吸った。


「ワシは一族の長者、力蔵という。お主ら、神の名を口にするならば、併せて己の名を名乗るのが筋だろう!」


 野盗に勝る大声で言い返した。長者である自分が平常心を失ったら、あるいは野盗に負けると感じさせたなら、傀儡子の集団は瓦解がかいする。そう理解していた。


「傀儡子風情ふぜいの意見は無用! 命が惜しいなら、男どもはその身一つで立ち退け。我らが雑兵ぞうひょう奴婢ぬひとして仕えるつもりのある者はそこに座れ!」


「それでは仕方がない。熊蔵、爽太、良いな」


 力蔵は後ろに声をかけると剣を中段に構えて、ゆっくりと前進した。


「命知らずがっ! まずは、お前から血祭りにしてやる」


 槍を構えた野盗が1人、前に出ると「エイッ!」と突いてくる。それをひょいっと横に飛んでかわす。耳元でヒュッと空気が鳴った。爽太の投げた短剣が空気を裂いたのだ。全て示し合わせた通りだった。


「ゲッ……」


 槍を突いた男の右目に見世物で使う短剣が突き刺さっていた。


「イデェー」


 傷を負った野盗は槍を落とし、膝をついて両手で顔を覆った。指と指の間から鮮血があふれ出している。


 仲間の負傷に驚いた野盗の動きが鈍った。その隙をつき、力蔵は屈んだ男を飛び越え、剣を振りかぶって敵の懐に飛び込んだ。


「トゥー!」


 振り下ろした刃は、頭目の隣の野盗が構えていた槍を切断した。男の手首もろともに……。力蔵の動きに目を奪われていた頭目の腕には、力蔵の末息子の勝之介かつのすけが放った矢が突き立っていた。


§  §  §


 列の後尾では、勝蔵を中心に6人の傀儡子が5人の野盗と対峙していた。傀儡子が槍や薙刀を並べて道をふさいだために、野盗は距離を取っている。


 勝蔵は、一度は刀を抜いて野盗を牽制したが、仲間が槍を並べた後は刀を鞘に納めて彼らの後ろに立った。馬の背から弓矢をとり、一番近い野盗の肩を狙う。


「イデェー」前方から悲鳴が届くのと、矢を放つのが同時だった。それは重い空気をギュンと割き、ズンと鈍い音を発して野盗の胸を鎧の上から貫いた。射られた男が一言も発することなく崩れ落ちる。


「この野郎!」


 隣の野盗が声を上げるのと、2本目の矢がその男の肩を血で染めるのが同時だった。3本目の矢は、別の野盗の顔をかすめた。


「死ねや!」


 3人の野盗が目を血走らせて突っ込んでくる。


「俺たちが相手だ」


 5人の傀儡子が武器の穂先を並べて野盗の突進を阻止した。


「ヤー!」「エィ!」「オー!」


 両者は奇声を上げ、獲物を精一杯伸ばして振り回す。槍と槍、槍と刀がぶつかり合ってガチガチと鈍い音をあげた。


 突然、「ウォー!」と前方で声が上がった。その大きさで力蔵たちが進路をふさいだ野盗を追い払ったものだとわかった。


「長者が勝ったぞ!」


 勝蔵は精一杯の大声を発した。それは獲物をぶつけ合うことに必死だった男たちの耳にも届いた。


「引けっ」「逃げろ」「返せ」


 野盗は口々に叫んで茂みに逃げ込み、遺体がひとつ残った。


「勝った……、のか……」


 伊之介が大きく息を吐き、槍を地面に突き立てて自分の身体を支えた。


「勝蔵、無事か?」


 走ってきた力蔵が仲間の無傷を確認し、「お前たち、良く、持ちこたえた」とめた。


「俺たちは、木偶じゃないですよ」


 伊之介が引きつった笑みをつくった。


 力蔵が遺体を見つけて側に屈む。


「殺してしまったのか……」


 野盗であれ盗賊であれ、無用な殺生はしないというのが力蔵の方針だった。人を殺せば恨みを買う。恨みを買えば、殺し合いが続くというのだ。


「すみません。手元が狂った」


 勝蔵は素直に詫びた。野盗に弓矢を向けた時、平静なつもりでも心が揺れていた。人間に武器を向けるというのはそういうことだ、と自分をいましめた。


「南無阿弥陀仏……」


 力蔵が念じる。勝蔵も隣で合掌した。女や子供が寄ってきて、遺体を覗き込んだ。

「さて……」立ち上がった力蔵が伊之介に眼をやった。


「伊之介、力太郎りきたろうと穴を掘れ。こいつを埋めてやろう」


「放っていきゃぁ、いいのに」


 高貴な者ならともかく、死者は河原などの墓所に野ざらしにされる時代だった。それを手厚く葬るのは、力蔵が多少なりとも人間の尊厳に目覚めていたからだ。


 ブツブツ言いながら、力太郎が馬の背からくわを下ろした。彼は熊蔵の息子だ。荷から取り出した鍬を「ホレ」と言ってさっさと伊之介に渡した。


「ワシかよ……」口を尖らせ、伊之介が鍬をふるう。


「親父殿。前の方は、無事なのか?」


 勝蔵は訊いた。


「熊蔵が腕に傷を負ったが、かすり傷だ」


「親父め、運のいいやつだ」


 力太郎が笑う。父親に似て陽気な男だった。



 1人、近づいて来る者がある。不安を顔に張り付けた旅の商人だった。戦闘の間に追いつき、物陰に隠れていたのだろう。


石橋いしばしまで、ご一緒させてください」


 頭を下げる商人に向かって「いいともよ」と力太郎が笑った。


「傀儡子は子供を売ってしまうものと思っていましたが、大勢いるのですな」


 商人が女の周りにいる子供を見て言った。


「そうする党もあるな。足手まといになるくらいなら金に換えてしまおうというのだろう。犯罪者、食いつめ者、駆け落ち者……。党に加わる大人はいくらでもいるから、子供など不要なのだ。だが、ウチの長者は違う。足手まといの子供も年寄りも見捨てない。皆、家族だと、大切に思っている」


「なるほど。立派な方ですな」


「とはいえ、そのために旅の足は遅くなるし、我々の取り分は減るな」


「おや、ご不満ですか?」


「そういうわけでもない。ワシも売られずに済んだくちだ。もっとも、売られた方が良い暮らしができたかもしれんなぁ」


 力太郎がアハハと笑った。


「まさか……。世は乱れていますからな。そんなことは万に一つもありますまいよ」


 商人が物憂げに言った。


 野盗の遺体が穴に納められる。力蔵がこんもりと盛り上がった土饅頭に水をやり、両手を合わせた。勝蔵は、父親の次に拝んだ。


「命を狙った相手の埋葬までしてやるのですな」


 商人は不思議がって力蔵に話した。


「たとえ強盗、野盗が相手であっても、人の命を奪ったのです。その罪は償わなければなりません。なによりも、遺体を放置しては住人に迷惑。人々の心が荒むでしょう。人の心が荒んでは、世の中に邪気じゃきが増える」


 力蔵が普段考えていることを話した。


「なるほど。邪気なぁ……。京の荒法師どもに教えてやりたいものですな」


 商人が荷物を開いて真新しい反物を差し出した。


「これは?」


 力蔵が眉間みけんしわを作った。


「私からの寄進だ」


「寄進?……ワシらは傀儡子。神でも仏でもないが……」


「いや、……なんでもいい。私がやりたいからやるのだ。受け取ってくだされ」


「ならば、遠慮なく」


 言うなりヒョイと腕を出して反物を取ったのは、片腕を血に染めた熊蔵だった。


「あ、……ですな。包帯代わりにでも使ってください」


 商人の苦笑に、熊蔵が人懐こい笑みを返した。

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