あとがき~thank you for you~
「掌編・短編100本企画【100本書くまで作家と名乗れない件】」
と題して始めたこの企画。
先日、やっとのことで100本目を書き上げることができた。
本来は2022年中に達成する予定だったこの企画だったのだが、あまりにもやりたいことが漠然とし過ぎていて、何をどうすれば良いか分からないうちに年をまたいでしまった。
それでもやり切れたという達成感がとにかく嬉しい。
ここまでこれたのは、これまで読んでくれた読者の方々、評価やコメントをしてくれた方々、そして日頃から関わっている皆さん、そしてそして、「俺もこんな作品を書いてみたい」と強く思わされるような沢山の創作物のおかげである。
本当にありがとうございます!
今回は100本達成を記念して、これまでの振り返り的な何かをやっていきたいと思う。
【なぜこんな企画に挑戦したのか?】
「掌編・短編100本企画【100本書くまで作家と名乗れない件】」
という企画名にもある通り、俺は掌編並びに短編小説を100本書くまで作家と名乗らないことを決めた。
なんでこの企画名にしたのか、今では良く覚えていないのだが、確か俺は作家と名乗ることに強いこだわりを持っていた気がする。
されど、何も作らないくせに、ただプロフィールに作家と記載するのは気がひけた。
いきなり作家と名乗って持病の「飽き病」が発症して長続きしなかったら、なんとなく自信を失うだろうと思ったからだ。
だから、自分を試す意味でも、まずはつまらなかろうが面白かろうが、なんとしてでも100本書いてみよう。そう考えたことから、この企画名が決まった気がする。
この企画を終えて
先ほども書いたが、企画を始めた当初は作家と言う肩書がなんとなくカッコイイものだと認識していた。今もそれは変わらない。目の前に作家と名乗る人が現れたら、その真偽はともかくカッコイイと思うことだろう。
しかしながら、俺個人として、作家と名乗りたいかどうか問われると疑問に思う。名乗るために立ち上げた企画をやり遂げたにも関わらず、だ。
なぜなら、肩書にはあまり意味が無いと思うようになってしまったからだ。100本の小説を書く道中、様々な葛藤や絶望があった。それを乗り越えた先には出会いや希望もあった。思いがけない評価をもらえることもあり、本当に楽しかった。もしかすると人生の中で一番楽しい時期を過ごしているかもしれないとすら思った。
それこそが自分が今、創作活動をする意味だと思ったのだ。
作家と名乗る自分への憧れではなく、創作活動とそれにまつわる他者との交流や、それによって得られる様々な体験の価値を知った。
だから俺は、これからも作家と名乗ろうとは思わない。
名乗らずに、創作を続けていく。
【学びえた創作ノウハウ】
世の中にはノウハウと言うものが蔓延している。非常に頼りがいがあるし、興味深くもある。いかにもこれが正解ですと言うような切り口のノウハウ記事は、すがりたくてしょうがなくなる。
それらの創作ノウハウは、多分どれも一理あることだろう。
誰かにとっての正解は、きっと他の誰かの正解でもあるのだから。
しかしながら現状の俺としては、創作に限る細かいノウハウと言うよりも、なんにでも言えるようなことがまずは大事だと思っている。
ノウハウ1.沢山書く
沢山書くことが一番大事だと思っている。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるという言葉があるが、それに近いことが創作でも言えると思う。下手くそなうちは、とりあえず楽しみながら沢山撃つことが大事だと思っている。
ただ、以下のような懸念がある。
下手なのでしょうがないし、目を瞑るべきだとは思うのだが、つまらない作品ばかりを投稿してしまうと読む側としてはこの人面白くない作品ばかり投稿していると思われる危険性がある。
一度そういったイメージがついてしまうと、回復は難しいのではないか。
そう考えた時に、それでもなお沢山書くことが大事だと言える理由がある。
つまらないイメージと言うのは、沢山書き続けて上達していくことで塗り替えることができる。
自分のマイページが面白くない作品ばかりで埋まっていたのなら、その倍、面白い作品を書けるようになれば良い。
負の遺産は面白い作品が書けるようになった時に、「自分にもこういう面白くない作品ばかり書いていた頃があったな」と懐かしめる思い出にでもしてしまえばよい。
それに、万が一それなりに有名にでもなったとしよう。
初心者の人に読んでもらえれば、
「面白い作品を書ける人でもこんなに下手くそな頃があったのだ」
と勇気づけることもできるかもしれない。
成功してしまうと、初めからその人はすごい力を持っていたのだと勘違いしてしまうことが多々あるが、誰しも最初は歩き方も知らない赤子だったということは自分の心の片隅に置いておきたい。
ノウハウ2.毎日書く
習慣と言うのは、人生の中でも最も大事なものだと個人的に思う。同じことを毎日繰り返すことで、その作業をすることが楽になる。精度も増す。上達もする。
創作も同じようなことが言えると思う。
毎日書き、見直し、文字数制限に収める。
投稿して読者の反応を見る。
その作業を毎日繰り返すと、何が良くて何が悪いとか、作り方はこうだというのがだんだんと腑に落ちてくると思う。
そういったことをせずに初めからノウハウばかりをインプットしていても、一向に身に着かないばかりだ(自戒)。
ノウハウ本は成功した自分の姿を想像させて気持ちよくはさせてくれるが、創作する際の苦労やそれを乗り越えた際の本当の達成感は教えてくれない。そういうのは自分でしかつかみ取ることはできない。
いかに優秀な指導者がついても、本人にそれをやり遂げる気持ちとか、主体的にやろうとする気持ちが無ければ全く意味は無い。
シビアなことを書いているが、これは自分自身に対する戒めでしかないので気にしないで頂きたい。
そして、毎日書くというのはもしかすると、面白い作品を書くことと並んで重要なことかもしれない。
一、二本、面白い作品が書けたとしよう。
しかしその人は沢山の作品を書いてきた訳ではない。
そういった人がそれから何作か作品を書いて、以降の作品の評価があまり高くなかったとしよう。待っているのは「ああ、俺って才能ないのかな……」みたいな絶望感である。
世の中の人がどうかは知らないが、個人的にはいくら口で自分に才能は無いとか認めているように言っていても、読者から評価されなかったり読まれなかったり低評価だったりすると残念で仕方がない。そっこーで筆を折る。
そういう過程を何度も通り、筆を折っては再度持ち、折っては再度持ち、ということを繰り返していける程のメンタリティや習慣を身に着けることが、創作に限らず「何かを生み出す」ために必須だと最近思う。
他者評価以上に、そうやって続けられる自分自身を評価できる精神も育つ。
ノウハウ3.意気込まない
名作を書こうとすると大概筆が進まない。
良いアイデアだから時間ができた時にやろうとか、力を付けたら書こうとか、そういうやましい考えが先行してしまうのだ。
こういう時に、承認欲求やらなんやらに邪魔されているなあと思う。
これは自分が今まで生きてきた中でも散々感じたことだ。
何事も意気込み過ぎると上手くいかない。
高校生の頃、軟式テニス部に所属していた。
最後の大会に出られるかどうかを決める校内戦があったのだが、惜しくも負けてしまった。
校内戦であるにも関わらず緊張してガチガチだった。
まるで自分の全てをかけるかのごとく、とりあえず力いっぱい取り組んでいた部活動。
なのに、力を発揮できず、最後の試合にも出られないまま負けるなんて。
その後、大学で思い切り楽しくテニスをした。
成果を気にせず、目の前のプレーを楽しくすることを一番に考えたのだ。
結果、県内の一般の大会で第一シードを破りベスト8進出。
いまだに覚えているということは、それだけ衝撃的な出来事だったのだろう。
あまりにもその試合が衝撃的過ぎて、その後負けたことは大して覚えていない。
このことから言えるのは、
「必ずしも成果を出さないといけない」
という意気込みは良い結果に結びつけるのが難しいということ。
もちろんプレッシャーがかかっていた方が力を発揮できる人も、そういう場合もあるだろう。
しかしながら失敗を恐れるあまりにがんじがらめになってしまうというのなら、「〜ねばならない」という思考は足枷でしかない。
だから、名作を書くよりも、とりあえず書こう。
成果を出そうとして出せるのはプロフェッショナルの仕事だ。
まずは目の前で作業すること自体に楽しみを見出すこと。
【今回の挑戦における驚愕の成果物「好きなこと」の醸成。】
言葉にしてしまうと本当に恐ろしいのだが、この際自分の気持ちに素直になって白状させていただく。
小説なんて、大して好きではなかった。
だが、絵も描けない、動画も作れない、話すのは苦手。
そんな自分にとって最も手軽に何かを作れる手段、それが小説。
趣味の創作活動として挑戦できた理由と言うのは、多分それだけだった。
もちろん、数あるコンテンツの中で小説だけにしか再現できない魅力と言うのはある。
それを良くも知らずに「小説なんて」と思っていた過去の自分にビンタを喰らわせたい。
しかしながら、小説を書き続けたことで小説を書くという作業が本当に好きになった。
これは、驚くべきことである。
動機付けという言葉がある。
それに関して、自分は
「自分の内側から来るモチベーション」に関しては肯定的だった。
「他者から与えられるモチベーション」に関しては、どちらかというとネガティブなイメージを抱いていたのである。
創作に置き換えて簡単に言うと、
「別に他者から評価を得られなくても続けられるということが重要で、そうでないならやらない方が良いのではないか?」
「誰かからの評価ありきでしかできないことなんて、やっていて本当に楽しいことではないのではないだろうか?」
と、そんな風に考える傾向があったのだ。
自分で主体的にやれることが楽しい。その考え方は今でも変わらない。
誰が見ていなくても評価されなくても何かを継続できる。そのことが素晴らしいであるという考えも変わらない。
が、今回の挑戦を通して感じたのは、他者からの評価や関係性によって、創作活動が好きになっているという実感である。
これが、今回の挑戦における最大の成果だ。
なのに、言語化が非常に難しい。
得意なことで誰かに貢献している、みたいな大層な言葉にしてしまうのは気が引ける。俺はもっと、あさましくて愚かな人間だと思っているから。
なので、いわゆる「自分の行動を通して誰かに影響を与える喜び」と言っても良いのかもしれない。
【これからの活動について<重要>】
今後も140字小説は続けていく予定だ。
最低、一日一本の小説を上げていく。
加えて、1万字未満の短編の執筆にどんどん取り掛かりたい。
カクヨムコン8に出している「デュクシ!!!」という短編があるのだが、まったく想像だにしない程の有難い評価を頂いており、驚愕している。
今後もこういった作品にどんどん挑戦していきたい。
また、既に片方は始めているが、インスタグラムやYoutubeでの小説投稿にも積極的に取り組んでいく。
画像や動画の見せ方に工夫を凝らしていくのも楽しいはずだ。
かなり漠然とした目標にはなるが、憧れのとある作家さんの一人のように、
「大手企業による出版ではなく、作品作成から収益化までを可能な限り個人の力で完結させる仕組み」
を目指す。
まあ、それはあくまでも目標。
まずはこの調子で創作活動を楽しんでいきたい。
掌編・短編100本企画【100本書くまで作家と名乗れない件】 こばなし @anima369
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます