柑橘編

「突然ですが今回で最終回です」


 黒田がトモエの顔を覗き込むと、彼女はソファに横たわり、欠伸を噛み殺しているところだった。


「……あれ? あんまり驚かないね」

「だって……別に興味ないし」

 トモエの冷え切った声が部屋に転がる。そんなこと言わないでよ、と黒田が苦笑した。


「せっかくの完結編なのに……そうやって寝っ転がったまま終わりを迎えるつもりかい?」

「お前だって炬燵でゴロゴロしてるじゃねえかよぉ」


 今日は休日で、学校も依頼もなく、二人とも部屋でだらだらと過ごしているのだった。炬燵で丸くなり、黒田がミカンの皮を剥きつつ、ぼんやりと笑った。


「残念ながら文字数の関係で、今回はあまり長いことやってる暇はないんだ」

「だったら早く話進めろよ!」

「まぁまぁ……。焦ってもしょうがないだろ。今、どうやったら最高の最終回が迎えられるか、僕なりに考えてるところなんだよ」


 言いながら、ミカンを一切れ放り込む。歯で噛んでやると、果汁がじゅわっと溢れ出てきた。甘酸っぱい味が口の中に広がり、黒田は目を細めた。


「その描写が要らねえって言ってんだろ!」

 寝っ転がったまま、トモエが吠えた。

「此の期に及んでだらだらだらだら……無駄が多すぎんだよお前は!」

「やっぱり最終回だから、盛大なセレモニーとかさぁ。記念Tシャツと記念グッズは欲しいよねえ」

「要るかそんなもん! 負の遺産になるわ」

「しかしこうして今振り返ってみると……何と言っても、ラスベガス連続殺人事件。あの大掛かりなトリックを暴いた時は興奮したなぁ……あの時が一番大変だったね!」

「何言ってんだコイツ。そんな事件解決してねえだろ。存在しない栄光を堂々と捏造するな」


 トモエが青筋を立て、近くにあった果物ナイフを投げつけた。黒田が慌てて飛び退く。


「危ないなあ! 当たったらどうするんだ!? 今時コンプライアンスが厳しくて、そう言うギャグはもう笑えないんだよ」

「いや、ギャグじゃないし。これミステリーだし」

「や、やめてよ……分かった! 分かった真面目にやるからトモエちゃん!」


 顔を引き攣らせる黒田を、トモエがマジマジと眺めた。


「しかし……どうして急に終わる気になったんだ? 『時代に求められてない探偵』」

「『解決したくない探偵』だよ! どんな間違い方!?」

「さては、色々怒られる前にさっさとやめてしまおうと……そう言うハラだな!?」

「何を言ってるんだあ? 僕には何が何やら……」


 黒田が露骨に目を逸らした。


「……だけど、時代のせいにしてたってしょうがないじゃないか! 僕らは僕らなりに、コンプライアンス的にOKな殺人事件を模索して行こうよ!」

「コンプライアンス的にOKな殺人事件……!?」


 黒田が頷いた。


「嗚呼。『ノックスの十戒』って知ってるかい。昔偉い作家が決めた、ミステリーを書く上で守るべき10のルールがあるんだけど……それの現代版だよ。コンプライアンスを守りつつ、新しいルール、新時代のミステリー小説を作ればいいんだ!」

「新しいルールって?」

「まず第一に……『犯罪をしてはならない』」

 トモエが口からミカンを噴射した。


「ミステリー小説なのに!?」

「それから次に、『殺人をしてはならない』」

「そりゃそうだけど……いやそうじゃなくて!」

「何? コンプライアンス様に逆らうのかい?」

「いや、ミステリーと相性悪過ぎるだろうがよ。『殺人をしてはならない』って、当たり前だろ。小学生でも知ってるわ。だけど、それでも世の中殺人が起きちゃうから、探偵がいるんだろうが」

「そんなもんかねえ」


 黒田が肩をすくめた。さぁて。もう特にネタもないし、残りはミカンを描写しながら終わろうか……などと思っていると、突然呼び鈴が鳴った。


 二人して玄関に行くと、正面に見知らぬ女の子が立っていた。


「あの……探偵さん」


黒田の膝くらいの背丈の女の子は、顔を真っ赤にして一輪の野花を差し出した。


「事件を解決してくれて……パパを助けてくれてありがとうございましたっ」


 名前も知らない女の子は、たどたどしくそれだけ言うと、さっと身を翻して道を駆け出してしまった。


 あっという間の出来事だった。その様子を、二人は玄関に立ったまま、じっと見つめていた。


「…………」

「……どうだ? 事件を解決するのも悪くないだろ?」

「……そうだね」


 道端で摘まれた山茶花の匂いを嗅ぎながら、黒田はほほ笑んだ。雲の向こうで夕日が赤く淡く燃えている。トモエが黒田の脇を小突く。


「こんだけ応援してもらってよぉ。期待に応えねえと! 男として、探偵として、このままじゃ終われねえよなあ!?」

「うん……せっかくやる気を出してもらったんだ」


 黒田が頷いた。

 自分もこのまま、夕日に向かって駆け出すか。

 それとも難事件を解決しに、ラスベガスに向かうか。


「……でも寒いから、やっぱり今度にしておこう」

「そう言うとこだぞ」


 それから探偵と少女は再び炬燵に潜り込み、ミカンを食しながら、次の事件に備えるのだった。机の上では、淡い桃色の山茶花がのんびりと揺れていた。


〜終〜

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

解決したくない探偵 てこ/ひかり @light317

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ