蛇足編

 白銀の世界。ある閉ざされた山荘で。パチパチと小気味良い音を奏でる暖炉の前で、その男は腕組みをして不敵な笑みを浮かべていた。


「教えてくださいよ、探偵さん」


 彼の視線の先には、黒髪の、一人の青年が立っていた。黒田長長。探偵である。


「私には完璧なアリバイがあるんですよ? それなのに、どうやって彼を殺せたって言うんですか?」

「それはもうアレです」


 その言葉に、探偵・黒田が目を光らせた。


「こう、グニャッ、と……」

「グニャッと?」

「……以上です」

「そこはもっと時間かけろよ!」


 あまりに抽象的過ぎる推理に、白髪の少女・三ツ藤トモエがそう叫んだ。



 こうして事件は解決した。連行されていく犯人を見つめながら、黒田が寒そうに体を震わせた。


「また事件が解決してしまった……」

「何でがっかりしてるんだよ」

「だって、第三の事件にして、まだ10000字にも達していないんだぞ。こんなに早く事件が解決してしまったら、残りの頁、探偵は一体何をして過ごせば良いんだ……」

「だったらもうちょっと、トリックとか、丁寧に説明してくれよ。ふわっとし過ぎなんだよ説明が」


 トモエの苦言に、黒田は肩をすくめる。


「作家にも理論派と感覚派なんてのがいるようだが……どうやら僕は、探偵としては感覚派だったようだ」

「何だよ感覚派の探偵って。感覚で殺人事件を解決しようとするな」

「上手く説明できないけど……何となく分かってしまうんだよ。ここに凶器がありそうだな……ほらあった! みたいな」

「犬かお前は」

「これ証拠っぽいな……ほらやっぱり! みたいな」

「なんだそりゃ。何の根拠も論理的な思考もなく……全ての探偵に対する冒涜だろこれ」

「だからここがグニャってなってブワッてなってるから……犯人はあなたです!」

「肝心の推理が何にも伝わってこない……」


 警察はすでに行ってしまったが、文字数が埋まらないため、終わるに終われない。黒田がスマホを取り出した。


「仕方ない。本編とは全く関係ない日常の風景を描いて、箸休め回を作ろう」

「まだやる気なのかこの三流……」

 トモエが呆れ果てた。


「こないだので終わりで良かったじゃねえかよ」

「まだ諦めちゃいないよ。内容がアレでも、豪華特典をたっぷり付ければ売れるかもしれないじゃないか」

「お前は本当に金のことばっかりだな」


 黒田が慌てて首を振った。


「ち、違うよ……トモエちゃんには分からないかなぁ、この気持ち。グッズやらコラボやらで、少しでも好きな作品を身近に感じていたいって。何気ない日常だって、その作品の奥深さを感じさせてくれる大切な一場面なんだよ」

「本編が薄っぺらいのに、奥深さとか言われてもな。『事件部分を一切描かない推理小説』みたいなもんじゃねえか」

「そんなミステリー小説あるわけないだろ、ハハ……」


 黒田は悠長に笑った。


「仕方ない。それじゃいっそ異世界に転生して、『転生したらホームズだった件』を始めるか」

「ホームズに謝れお前は。大体、本当に異世界転生があるなら『殺人』って成立しないんじゃ」

「主人公の子供をメインに据えて、次世代で続編を始めるか」

「もう!? 早過ぎんだろ、まだ三話だぞ」

「見事地区優勝を果たし、全国大会編を始めるか」

「探偵の全国大会って何なんだ」

「待ってください!」


 すると、上空に現れたヘリコプターから、梯子を伝い、一人の青年がスルスルと降りてきた。


「君は……?」

「お父さん。私はあなたの、未来の息子です」

「だから早過ぎるって! 子供出てくるの!」


 よく見ると顔立ちが黒田そっくりである。突如現れた未来人が、神妙な顔をして二人を見据えた。


「今日はお父さんにお願いがあってきました」

「お願い?」

「どうか私に主人公の座を明け渡してください。お父さん、もうあなたの時代じゃない」

「時代じゃないとか言うなぁ!」

「良かったじゃん。お前、荷が重そうだったもんな」

「トモエちゃんまで!? 誰が主役としては失格だって!?」


 青年が悲しそうに目を伏せた。


「貴方の人となりまで否定する気はありませんが……。解決したくないなんて、少なくとも探偵としては失格ですよ。解決してこそ探偵じゃないですか」

「く、くそぅ……なんて攻撃力の高い正論なんだ。全く反論できない……!」


 黒田が唇を噛んだ。


「だ、誰が明け渡すものか……僕だって、まだまだ解決したくない事件が山ほどあるんだ!」

「探偵のセリフか? これが……」

「内容なんて本当は皆どうでも良いんだ! 推しキャラが歌って踊ってりゃ、それで満足なんだよォッ!」

「そうやってすぐぬるま湯に浸かろうとするから! あなたはいつまで経っても三流なんだッ!」

「うるさいっ! なんでもかんでも自分を基準に考えるんじゃないッ! 三流には三流の……意地ってモンがあるんだッッ!」

「何の戦いなんだこれは」


 殴り合う親子を横目で眺めつつ、トモエは下山の準備を始めた。


「ト、トモエちゃん……!」

 髪を鷲掴みにされながら、黒田が叫んだ。

「帰るのかい!? 気にならないのか!? この戦いの結末が!」

「んぁ……どうせ主人公が勝つんだろうなって」

「……それって僕が勝つって意味だよな!? 僕を応援してくれてるんだね、ありがとうトモエちゃん!」


 勝ったのは息子の方だった。意気揚々と未来へ帰っていく青年の、その背中のなんと逞しいことか。星空の下、大の字で横たわりながら、黒田は大粒の涙を流していた。


「…………」

「…………」

「……ッ」

「……泣くなよ」

「たとえ、時代が必要としなくなったって……」

 やがて黒田が涙を拭いて起き上がった。

「それでも僕は……人形のように踊り続けるよ。探偵らしく、謎と言う名のダンスホールの上で……!」

「……ただのひやかし要員じゃねぇか! 解決をしろ解決を!」


 それから黒田が出版社に持ち込んだ『えぇじゃないか探偵』は、箸にも棒にもかからずゴミ箱に捨てられた。逆に、『未来探偵』は飛ぶように売れたと言う。


 〜終〜

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