白石良美の失踪

 一連の会話全てが私の予想していた通りに展開されたので、私は嬉しく思う。

 実際に日本国憲法が重大な資料を抱えているとは思わない。もしかしたら、強がりであのようなことを言っていたのかもしれない。だが、その部分は別にどうでもよかった。

 私は宮川春子の評伝を書くにあたって多数の人間と会談をした。半分以上は業界人だが、中には上山紗夜のような一般人も居た。誰も彼もが宮川春子の話をしたがる。業界人でも一般人でもそれは変わらない。しかし、結局私はこの宮川春子という一人の綺羅びやかな天才の実像を掴めずにいる。……私の理解力が足りないのか。感性が鈍磨しているのか。可能性としてはあり得るが、それを素直に認めてやるのも癪だった。私にも記者としてのプライドがある。

 つまるところこれは、確認なのであった。私。記者・奥村剛男が理解出来ない宮川春子という人物について、他の人間も同様に宮川春子を理解できていないのだ――という、確認のための作業。それが、私があの日本国憲法と会って話をしてみたいと思う本当の理由なのである。

 私は日本国憲法に連絡を取る。

<今も東京に来たいと思いますか?>

 彼女の返答は早かった。

<行きたいですよ>

<泊まる場所は何とかなるんですが、飛行機代はどうしても、難しそうです>

 私は言う。

<それを出そう。手段はある>

 彼女は答える。

<別に私、可愛い系じゃないですよ>

<そういうことじゃないんだよ>

<どっちでもいいですけどね>

<今更失うものがあるでもない>

<春子様ももう、居ないのに>

<とうの昔に、私は滅んでいるんです>

<人に滅びなんてものがあるのか?>

<今、何人が春子様の話をしていると思いますか>

<分かっていますよ>

<奥村さんが色んな人と話してるんでしょ>

<でももう、宮川春子は帰ってこないじゃないですか>

<滅んでも、残るものはあるだろう>

<そこに私は残っていません。私は路傍の石ですから、どこにも>

 そこまで言って彼女はまたしばらく黙り込む。非常にやりづらい。

私は質問した。

<ところで、私はあなたの本名を知らない>

 彼女の答えは意外なほどすぐ返ってくる。

<言わなきゃ駄目ですよね。こうなったら>

<白石良美といいます。宜しくお願いします>

 彼女との会話が終わってから数日経って、私はネイスンと協力して彼女に航空券を渡す手筈を組んだ。

日本国憲法――白石良美が東京に来る。私は彼女と会談の約束をしている。

<二週間ぐらい滞在すると思います>

<しばらく東京散策してからでいいですか>

<構いません。会談の日程だけ、先に決めさせて頂いても?>

<はい>

 彼女が東京に来る週の土曜日に、私は彼女と会談することにした。約束の場所は新大久保駅、改札の前。私はいつも通り、一時間前に現地に到着し、彼女の到来を待つ。

その日の東京は曇り空で、降水確率は40%だった。結局――雨は降ってきた。新大久保駅前は人が多く、どこかで人を待とうとしても立っていられる場所がない。私は一人、静かに降る雨の中で傘も差さずに彼女を待つ。

 約束の時間になった。

 しかし――彼女は、来ない。

 私はSNS上でメッセージを送る。

<今、どこにおられますか?>

 返答は、来ない。それでも私は彼女を待つ。何か事情があるのだろう。遅れてくるだけの理由が、彼女の方に。そう考えながらも私の口からは、思いと正反対の言葉が吐き出されてくる。

「やられたか?」

 私は一人、そう呟く。可能性は否定できない。今までが運が良かったというだけで、こういう事例が生ずること自体は十分にあり得たことだろう。

「もう少し――人を疑うべきだったか」

 どんよりとした新大久保駅前の空を眺めながら、私は一人で彼女を待ち続ける。

その日。……彼女、白石良美は現れなかった。私は終電近くまで待ち続けたが、彼女は結局、集合地点にもSNS上にも姿を見せず――彼女、白石良美は完全に行方をくらませた。

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