自動車に乗りながら

 中央自動車道の代わり映えしない道を、私はレンタカーでひた走っていた――高速道路には魔が潜んでいる。その名を睡魔と言う。

パーキングエリアへ入る。

何度目か分からない休憩……自販機で購入したホットのブラックコーヒーの苦味が脳に突き刺さる。

「素直に飛行機、使えばよかったかなあ」

 後悔先に立たず。しかし今回の会談は急場で決まったことであるし、予約の枠が余っているような時期でもない。最悪、天候不良による順延もあり得るような地域だ。

 私は今、宮川春子の中学時代の担任教師と会談をするため、富山県へ向かっている。名前は龍造寺豊。現在も中学教師をやっているそうで、今は富山県にある中学校に赴任しているらしい。車を走らせ、富山県に近付いていくにつれ雪がちらつくようになり始める。龍造寺氏も大変な場所に赴任したものだ……。

 そう言えば。私は少し思案する。

 宮川春子が死んだ日付は二〇二〇年七月三日。日本はその頃ちょうど夏の盛りの時期で、人々はその陽射しの強さに苦難していた。だが南半球にあるオーストラリアの季節は冬。ある追悼番組では『宮川春子、27歳の夏』と題を打って番組を作っていたが、実態にはあまり沿っていないように感じる。

エズラ・ネイスンはメール上で何度か、このような話をしている。

『シドニー・オペラハウスで行われたハルコ・ミヤカワのライブは伝説的なものだった』

 その伝説的なライブの余韻冷めやらぬ中、宮川春子は誰の目にも止まらない、誰も居ない、寒々としていたであろうホテルの螺旋階段で足を踏み外し、頭を強く打って、死んだ。……その死が本人の意図したものであったのかさえ定かではない。人々は真夏の盛りに死んだ宮川春子にある詩的な情緒を見出そうとしていたのを覚えているが、実態として宮川春子は夏ではなく、冬に死んだのだ。

 人々が想う宮川春子と、現実の宮川春子は違う――明確に、違うものだ。そこに生じている差を埋めるのが、私やネイスンの役目なのであろう。

彼女――宮川春子には、不思議な魅力が備わっている。会談相手の半分以上は先の竜崎善知鳥・夏川りりこ夫妻のような一流の、今も現役で活躍する人物。だと言うのに、宮川春子はそうした、多種多様な才人たちにさえ消失と空白を感じ取らせてしまう。彼らが恐らく、言語を尽くして語っているであろう宮川春子のどのような話を聞いても、彼女自身――宮川春子そのものの実像を掴むことはかなわず、それどころか、私の中にある宮川春子の輪郭そのものが朧気に、ぼやけていってしまうような気さえしてくるのだ。

 世界的アーティスト。世界のハルコ。ハルコ・ミヤカワ――インターネット上で検索すれば、彼女に関連する情報が大量に出てくる。その半分ぐらいは真偽不明の、本当に彼女と関係があるのかさえ分からないような陰謀論、怪文書の類。……無論、本当のことも幾らか載っている。有名な逸話は検索すればすぐに出てくる。加えて私は、生前の宮川春子に接していた人々と話をした。木崎紅葉、大泉五月、阿久津光輝、白瀬美希……彼ら、彼女らの語る宮川春子の像を私は知ることができた。

 しかし――だと言うのに。私は未だに彼女の実像を掴み取ることができない。私に掴み取ることができるのは、彼女のその美しい、なめらかな輪郭のみである。

真ん中には、その輪郭の円環の中心には確かに彼女、宮川春子が居る。確かに存在している。しかし、その中心に居るはずの宮川春子それ自体を、私が掴み取ることはできない……『星の陰影』とはよく言ったものだ。

 人々は彼女が発した光の、その『残光』に焼き尽くされてしまう……あの、プリズムの元プロデューサー、阿久津光輝のように。

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