竜崎善知鳥、夏川りりこ夫妻との対談

 竜崎善知鳥、夏川りりこ夫妻。夫が作曲家、妻が作詞家をやっている。業界では名が売れたミュージシャンで、多数のアイドルグループに楽曲を提供している。

プリズムにおいて作詞作曲指導者なる曖昧な役職についていた両名の本当の役割とは、同ユニットにおける楽曲のゴーストライティングである――とは言え、業界では珍しくもない話だ。二人は業界人の中でも売れっ子に属する部類ではあるが、世間的な知名度はそう高いものでもない。大抵のユーザーは歌手に注目はしても、作詞作曲にまでは目が行かないものだ。

 それ故に私は両名とコネクションを構築するのに苦心した。結局、木崎紅葉が間に入ってようやく会談の場を設けることができた。

会談の場所は、赤坂にある小洒落たフレンチの店……コースの値段を見る限り、そこまで値が張るような店ではないことは分かるのだが、それでも少し緊張する。フレンチなぞ、こういう場でもなければ食べる機会もない。

 私が店に到着した時点で、両名は店の前で私を待っていた。

「お待たせしてしまってようで」

「いえ、私たちもついさっき着いたばかりですから」

 夏川りりこはそう答える。

「とは言え今日は冷える。店に入ろう……ここはね、値段のわりにはいけるんだよ」

 そう話したのは竜崎善知鳥。

私は、フレンチレストランに特有のドレスコードに自身が引っ掛からないかどうかを気に病んだが、とくに問題が発生することもなく店内へ素通しされる。それに対し、二人は如何にも勝手知ったるといった感じで、動作に不自然さがない。

夫妻と私の三人は事前に予約していた席まで案内される。丸い机に汚れのない白いテーブルクロス……内心の緊張を誤魔化すのに体力を使うような有様だった。

「奥村さんは」

 夏川りりこが言う。

「ワインは飲まれますか?」

「え? はい。嫌いではないです」

「では頼みましょう。ちょうど指定のものがあるんです」

 彼女が言うと、店員は一本の赤ワインを持ってくる。私のグラスと彼女のグラスにワインが注がれていく。

「竜崎さんは飲まれないのですか?」

 私が質問すると、夏川が笑う。

「ああ、すいませんね。旦那はアルコールが駄目なんです。ワイン一杯でも酔っちゃうぐらいで――炭酸水をいれてもらいましょう」

 彼女がそう言うか言わないかの頃、既に竜崎のグラスにはペリエが注がれていた。どうやら店員が最初から用意していたらしい。

そうして全員の飲み物が揃った段階で彼女はグラスを掲げ、言う。

「天国への階段をのぼっていったハルコちゃんへ」

 竜崎が言う。

「ジム・モリスン、マイケル・ジャクソンと彼女、宮川春子の記念すべき邂逅に」

 私は言った。

「宮川春子さんの死後の平穏を祈って」

 そうして僕らは乾杯する――私のその言葉に嘘偽りは一切ない。心の底からそう願っていた。評伝の記述者である私が、たんなる墓荒らしとならないように……という自戒を込めて。

赤ワインは美味だった。ワインそのものも程々に、夏川りりこは話を始める。

「このワイン、1993年のものなんです。ちょうどハルコちゃんが生まれた年の……本当はプレゼントしようと思っていたんですけどね。どこかのタイミングで」

 前菜が運ばれる中、竜崎が口を開く。

「まさか本当に27クラブに入ってしまうなんてね。勿体ないことだ」

 27クラブ。

阿久津光輝が宮川春子について話す時にもチラと話題に上がったその概念。

天才的ミュージシャンが若くして死ぬ時、その年齢は27であるというジンクス。ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリスン、ブライアン・ジョーンズ、カート・コバーン……錚々たるメンバーの揃う特別な――縁起の悪いクラブに宮川春子は仲間入りを果たした。音楽家たちの栄光の裏にある、掴みどころのない暗闇そのもののようなその概念。

「やはり、春子さんは27クラブを生前から意識していたのでしょうか?」

 竜崎が答えを返す。

「意識は――していた、でしょうね。一人で音楽をやるようになってからは、とくに」

「本来、大人である僕らがそれは良くない。縁起でもない、と止めてあげなきゃいけないはずだったんです。けれど――結局、誰もそれを言い出すことができなかった。あのアンバランスな天才が、自分たちの言葉一つで崩れ去ってしまう、その可能性を考えて」

「アンバランスな天才、ですか」

 私の問いに夏川りりこが言葉を返す。

「売れるアーティストにも色々あるんです。私たちは色々なパターンを知っている……でもあの子は、特別危ない感じがしました。あの子にとってはアイドルをやる以外のことが本当に何もなくて、大人たちは皆誰も、あの子がこれからの人生を生き抜くに値するだけの何かを与えることができなかった」

 夏川がそこまで話したところで、竜崎は唐突に口を挟んだ。

「阿久津が良くないんだよ」

 その語調にはほんの少しの怒りが込められているような気がして、私は思わず質問する。

「阿久津さんと何かあったのでしょうか?」

 私のその言葉を聞いて彼は我に返ったような感じで言葉を返してくる。

「ああ、いや。僕ら夫婦と阿久津くんに何かがあったというわけじゃない。ただ彼女に、宮川春子に27クラブという概念そのものを教えてしまったのが彼なんだ。それがあまり良くなかったんだと僕は思うんだな」

「とは言え、それを糾弾するわけにもいかない。普通ああいった概念みたいなものを真に受けるのは、中途半端な音楽家志望ぐらいなもので、まして今売れているアイドルの一人だった彼女が27クラブなんて陰気な概念を真面目に検討する必要なんて、どこにもなかったはずなんだよ……だから、僕は阿久津くんについて良くない、とは言うけれども、あいつだけが悪いんだと断罪する気にもなれないんだ」

「彼女――宮川春子のアルバムには幾度となく27という数字が現れてきますね」

「そう。明らかにあの数字に固執していたのが楽曲でも分かる――奥村さん。春子さんの二枚目のアルバム、知ってる?」

「確か……『クラブハウス・サウンド』」

「あのアルバムの二曲目が『僕をクラブに入れてくれ』って言うやつなんだけど」

 夏川りりこが叫ぶように言う。

「あれ! あの曲! 私はあの曲を初めて聴いた時、とても怖くなったんです。あんなに若い子が死を見据えて歌を作っていたんですからね……想像を絶する、といいますか」

「あの子には本当にアイドル以外に。アーティスト以外に人生がなかったから」

「そうなんです。だから――私たち大人は、もう少し真剣にあの子のいう27という数字の意味を考える必要があったはずなんです」

 夏川りりこがそう話した時点で既に前菜が終わり、スープが出てくる。彼女は一杯目のワインを飲み終えて、二杯目へ。

「でもハルコちゃん、本当に良い子でしたよ」

 夏川の言葉を竜崎が肯定する。

「それは間違いない。だからこそ、惜しい。皆そう思ったはずなんだ。でも結局、大人の誰もが彼女に人生というものそれ自体を教えてやることはできなかったんだ」

 私は話す。

「皆さん同じようにお話しますね。良い子だったって」

「まあ、故人の悪口をわざわざ言うような人なんてそうそう居ませんよ……でも本当に、あの子は気の毒なぐらい良い子でした」

「もう少し人を疑った方が良かったんだ。それこそファンだって嘘をつくことがあるんだって思っていれば……」

「ある方が仰っていました。彼女は危ういぐらいファン至上主義だった、と」

「そうなんですよ。それどころか、ファンこそが自分で、自分自身。宮川春子なるものはどこにも存在しないのではないか……そんな風な話もしていました。ファンの目に映る私こそが自分の姿であり、自分が知っている自分は自分ではない、他人だと言うような……」

「しかし、そうした徹底したプロフェッショナリズムこそが彼女の圧倒的なパフォーマンスの源泉だったのではないでしょうか?」

「そうでしょうね。実際、プリズムの中でも不動のセンター、メインボーカリストはハルコちゃんでしたからね……でも、ハルコちゃんに負けないぐらい、木崎さんも良い子だったから。何か悲惨な感じがしましたね。それこそ女の子だけのユニットにして、全員に華を持たせてあげても良かったんじゃないか」

 竜崎は言う。

「しかし、木崎紅葉はメインを張れるボーカリストではなかったろう。確かにギターは上手かったし、ドラムの五月くんも上手かったから、ああいう形になったんだろうけれど」

「それが分かっているから尚の事、苦しいんですよ――だって、クレハちゃんのギターって本当に上手いんですよ? 男なんかに負けてたまるか! って感じで。サツキくんもそのへんのドラマーなんて目じゃないぐらい上手かった」

「でも、中央に居るのはいつも宮川春子なんだよな」

 スープが終わり、メインの肉料理が出てきた。その香りに私は食欲を刺激される。それぞれが目前の肉料理を切り分けながら、話は続けられる。

「あの子はプリズムで一番年下の、それも一番不器用な子だったのに、音楽とパフォーマンスでは彼女が一番で、常に主導権を握っていたんですね。普段は本当にぶきっちょで、ちょっと抜けてるのかなって思うぐらいなのに」

 夏川の言葉に対し、竜崎は言った。

「ちょっと?」

「ああうん、そうですね。ちょっとどころではないかもしれません――だいぶ、抜けてました。あの子は」

「ほら、あっただろう。クッキーをめぐる大冒険がさ」

「ありました、ありました!」

 そう言って夏川りりこは笑う。

「クッキーを巡る冒険、ですか」

「あ、すいません。こっちで勝手に盛り上がっちゃいました……あの。ハルコちゃんがね、ライブの何時間か前に言うんです。ライブ前の楽しみにとっておいた美味しいクッキーがあって、それが見つからないって」

「それで宮川春子の方の記憶がまた曖昧なんだよ! 良さげなカンカンに入れておいたんです。そのカンカンが見つからないんですって言って。でも、その良さげなカンカンって具体的にどこが良いんだ? と聞いても要領を得ない。犬のおまわりさんみたいな状態になってしまってな」

「結局、そのクッキーは見つかったんですか」

「見つかりましたよ~。でも、オチもついちゃったんですよね。確か……」

「消費期限切れ!」

「そう、そう! それを知ってクレハちゃんは物凄く怒っちゃって……でもそれだって、みんなハルコちゃんが好きだから付き合ってあげてたんですよねえ」

「普通、そんな子供じゃないんだから……って言われても変じゃないんだけど、宮川春子の場合、本当に子供だったし、プリズムの二人からすれば妹とか娘みたいなものでね」

「プリズムはまるで、家族みたいなユニットでした」

「そうだね、家族的だった。でも実際はユニットだから」

「ハルコちゃんは二人の凄さを理解していた。だから何とかして二人を立てようとして、ポンと主導権を渡そうとしたりして、でも二人には気持ちの良いことではなかった」

「二人からすれば、宮川春子との差をさらけ出されるような感じがしたろう。言い方は悪いが――公開処刑、みたいな感じで」

「そう。差がハッキリとしてしまう。でもハルコちゃんは全く悪気がない。それどころか善意でやっている……」

「ああいうのを見るたびに、僕はいつも居たたまれないような気持ちになったよ」

「そうよね――だって、ハルコちゃんは二人のことが本当に大好きだったから」

「僕が音楽を教えたのだって本当に良いことだったのかと今も思うよ」

「でも、あの目には勝てないわ……あの子が何か欲しそうな目をして私たちをじっと見たら、要求されている何かを差し出してあげたくなってしまう。私も駄目でした。あなただって、駄目だった。勝てなかった」

「本当、あの目はずるかったね。僕ら程度の意志力じゃ抗うこともできない」

 二人の会話は続く。


 私は、考えた。ここに何があるのか? ――空白だ。

 この感情を抱いたのは恐らく二度目。先にあったのは旧プリズムのメンバーと酒を飲み交わした時……。

宮川春子という、かつてこの場の話題の中心にあったであろう存在の消失。それが元プリズムの二人の間にあったように、この二人の間にもある。ここにも、宮川春子は不在の形で存在証明を成している。しかし確かに彼女はここに不在であるはずなのに、彼女が居たというその形跡は明白に存在しているというのに、ただその――答えだけが、ない。

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