久原涼子との対談
エズラ・ネイスンから代理で会談をして欲しいと依頼される。今度の相手は宮川春子のベビーシッターだという。
しかし――ベビーシッター? 赤ん坊の頃の宮川春子を相手にしていたというのは、何も知らないのと同義ではないのか。そこまで考えて私はある推測に辿り着く。恐らくネイスンは保育士という文言を知らなかったのだろう。言い方を変えればベビーシッター……確かに、間違いではない。
私はその保育士と会談することにした。
場所は中野にある寂れた喫茶店。相手は約束の時間の数分前に来る。
「はじめまして。久原涼子と言います」
ウールのセーターに、ダメージジーンズ。しかし決して洒脱ではない服装をしている。ウールは何か撚れた毛のようなものが表面に浮いていて、ジーンズもダメージが入っていると言えば聞こえはいいが、たんにボロくなっているものを吝嗇で身に付けて、それをお洒落だと言い張るような、何か無理のあるような感じのする、映えない服を彼女は身に纏っている。如何にもオーラのないという意味では先の上山紗夜や甲斐和美に通ずる部分があるように思う。
「はじめまして。記者の奥村剛男という者です。まず先に店に入りましょう」
そうして着席し、名刺を手渡す。
「ありがとうございます」
彼女は言って名刺を受け取り、早々にメニューを開く。
「あの」
「なんでしょう」
「パスタを頼んでも?」
「あ、はい。構いませんよ」
この会話で連想されたのはやはり上山紗夜だった。この時も同じように、相手が食事を終えるのを待つことになる。やたらと音を立てて食べるのに、食べ跡だけが綺麗なので私はそれを不思議に思った。
食事を終えた後、彼女は何か悩むような素振りを見せ始める。
「どうかされましたか?」
私が質問すると、彼女は答える。
「あの、どういう話をすればいいのでしょう」
「え?」
「私は、何か探偵の人から宮川春子の話をして欲しいと言われて、そうして日程を調整してここに来ているんですけれど」
冗談じゃないぞ、と私は思う。ネイスンのやつ、雑な仕事をしたな?
私は言葉を返す。相手も不安なのだろう、となればまさか怒り散らすわけにもいくまい。
「久原さんは、保育士さん……でしたね」
「え? あ、はい。そうです。かなり長くやっています。良い仕事とは思っていませんけれど」
「そうなれば一応、業務上の秘密に該当する部分もあるかとは思うのですが――おおよそ、二十年ぐらい前の話です。その頃、久原さんは自身がどの保育所に勤めていたか、覚えていらっしゃいますか?」
「あ、はい。覚えています……確かあそこ、潰れちゃったのかな。今はなかったはずです」
「そこで、甲斐陽子という子供を預かった覚えはありませんか?」
私がそう質問すると、彼女はまたウンウンと唸りながら考える素振りを見せる。
「ああ、居ました。居ましたよ。甲斐さんですよね? 覚えています」
「その子供が後の宮川春子なんです」
「え、宮川春子? 宮川春子がどうかしたんですか。ミュージシャンですよね。確か幾らか前に若くして死んだとかいう」
「その、甲斐陽子が後の宮川春子なんです」
「え?」
そこまで話をしてようやく彼女は私の言葉の意味を理解したらしい。彼女は如何にも大げさに驚いて見せる。
「そうだったんですか! それは知らなかった。宮川春子って、甲斐陽子って言うんですか。知らなかった」
「一般には宮川春子で通っていますし、本名は公開されていませんから、あまり大声で話されると困ってしまいます」
「あ、そうですか。そうですよね。すいません。そうですよね……はい」
ここまで来てようやく話が前進する。彼女は話を始める。
「甲斐さんですよね――確か母子家庭で、お母さんがものすごく痩せていて。陽子ちゃん自身はとても物静かな子供でした。でも、あの宮川春子が陽子ちゃんだったなんて……不思議ですね。有名人と自分が繋がった瞬間ってこれが初めてかもしれないです」
「不思議な巡り合わせですよね」
「本当、そう思います――でも、どこまで話せるかな。二十年以上前の話ですから……確かに、宮川春子が二十七歳で死んだんだから、丁度それぐらい前になるんですねえ」
「――そうですね。陽子ちゃん。あの子はとにかく、誰とも喋らない子供でしたよ」
「話せないわけではないんですね?」
「はい。本当に全然喋らない子供でしたが、コミュニケーションが取れないわけではなかったです。何か聞けばはい・いいえ、でしっかり言葉を返してくれましたし……手間がかからない子供でした。一人でずっと積み木をやったり粘土を弄ったりして……ボードゲームは相手が居ない。だからずっと、一人で遊べるもので遊び続ける。何か複雑な事情があるんだなと思うのは、陽子ちゃんのお母さんも神経質そうな人だったからですね」
「そうなんですか?」
「はい。何か頭に来るとすぐ陽子ちゃんを叱りつけるような人で……目の前でやられると、おいおい冗談じゃないぞって思うんですけれど、それも仕事でしたから。思いはしても口には出さないんです……覚えているのは、それぐらいですね」
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