甲斐和美との対談

 エズラ・ネイスンがどこからか、宮川春子の母親を見つけ出したらしい。既に会談の日程は決まっている。行くのは、私だ。ネイスンは今北米に居るのだから当然と言えば当然である。彼の方の取材も順調に進んでいるらしい。欧米圏で宮川春子と交流のあった人々と会談をし続けているそうで、その中身が定期的にメールで送られてきている。

 私は渋谷駅近くの喫茶店の前で、宮川春子の母を待つ。約束の時間丁度に相手は来た。

痩せた女性だった。パサついた感じのする髪の毛が印象的で、頼りない感じがして……正直に言って、オーラと呼べるようなものは一切ない。ただ、その顔の輪郭だけは私が写真や映像で見る宮川春子の面影があるような、そんな気がしないこともない。

「はじめまして。陽子のことでお話があるとお伺いしているのですが」

「はい、そうです。私、記者の奥村剛男というものです。こちら、宜しければ」

 そう言って私は名刺を差し出す。

「ああ、これはどうもご丁寧に」

 そう言って名刺を受け取る宮川春子の母。傍から見ていて痛々しいぐらい、彼女は何度も何度も繰り返し頭を下げる。

「立ち話もなんですから、店に入りましょう」

 私はそう言って、二人で喫茶店に入った。

「改めまして――私、甲斐和美というものです。甲斐陽子の……いや。宮川春子の母にあたるものです」

「私は今回、記者の立場から彼女。宮川春子の評伝を書こうと考えています。もし、これからのお話の中で、書かれたくないなと思う部分があれば、教えて頂ければ書かないよう意識します」

「奥村さんは新聞記者でしたよね、確か」

「ええ、はい。元ではありますが」

「それならきっと心配は要らないでしょう。何とかなるでしょうし、何とかしようと思います」

 妙な言い方をするな、と私は思った。しかしここで詰まって何か伺いを立てて相手に怪しまれては元も子もない。

「とは言え、どこからお話をすればいいのか。私はある時期から、殆ど娘と会話をしていないのです」

「そうなんですか?」

「ええ――お恥ずかしい話ではありますが、家計がとても苦しくて、あの子が稼ぐようになると何も言えなくなってしまったんです」

「本当に、恥ずかしい話です。テレビで流れるあの子の話についても、耳にはしていても直接何か言うようなことは何一つできませんでした。今も後悔しています。こうなってしまった以上、どうしようもない話ではあるのですが、あの子が死んでしまってもう、私はどうすればいいのかも分からなくて……!」

 そう言って彼女は下唇を噛む。癖なのだろう。噛み跡が皺になって残っているのが分かった。

「あまり、気になさらない方が良いかと思います。本当に良くない話があれば、書かないようにしますから」

「そうですか――そうですね。すいません、取り乱してしまったようで」

「いえいえ。私は仕事でこれをやっているのですから、お母様が気に病むことはありません。寧ろ、こういう場を無理に作って、古傷をえぐるようなことをしている私の方にこそ、問題と責任があると考えて頂いても良いぐらいです」

「でも本当に、私はあの子に。陽子にとって良い母親ではなかったと思います。こうやって奥村さんに話をするのも贖罪のつもりでやっているんです。ちょっと……おかしいですよね。自分でもそう思います。でも、話をしないことには気が晴れないんです」

「そうでしたか――ですが、本当に気になさる必要はどこにもないんですよ。少なくとも私は、あなたの味方です」

 何と浅はかな、白々しいその言い回し!

自己嫌悪の感情を私自身で噛み殺しながら、彼女と会話を続ける。

「それを聞いて安心しました――では、お話をしましょう。させて、いただきます」

「宜しくお願いします」

「ええ、はい」

 そうして会話はようやく本題に入る。

「うちはいわゆる母子家庭で、私は一人であの子を育ててきました」

 阿久津光輝が言っていた通りだ。

私は宮川春子の情報を集める過程で、彼女の本名である甲斐の名字について調査した。するとこの名字は九州に多いもので、それ以外の地域ではあまり見られることのない名前であるとわかった。しかし、上山紗夜や阿久津光輝の話から考えれば彼女・宮川春子は少なくとも東京育ちであるということだけは理解できる。

恐らくこの甲斐和美が東京に来るまでの間にも何かしらの複雑な事情があったのだろうと推測する。無論、口に出すわけにはいかないが、念頭に置いて思案せねばなるまい。

「南平のアパートで私と陽子は生活していました。どうしても収入が少なくて家もあけがちで、保育所に陽子を預けっぱなしのままというのもしばしばでした。そういう生活でしたから、あの子にとっては窮屈だったんじゃないかな、と今も考えてしまいます」

「でも、陽子はあまり笑わない。感情を表に出さない物静かな子供でした。おもちゃが欲しいとか、そういうことも全然言わない子供で――一人の娘を持つ母親として、精一杯やったつもりではありましたが、不足がなかったと言えば嘘になるのでしょう。あの子が十四の頃に、一人で都心に遊びに行って、知らない人から声をかけられたと聞いた時には本当、心臓が止まっちゃうかもってぐらい驚いたんです。私は、そこでもし知らない人に何か信じられないような嬉しい話をされたとしても、それは詐欺だぞと行って……でも実際はそうではありませんでした。奥村さんもご存知かと思いますが、それが阿久津さんだったんです」

 そこまで話をされてようやく私は、目の前にいる女性と宮川春子とが一つの線で結ばれた――この親にしてあの子あり、だ。

「阿久津さんからもお話お伺いしました。春子さん本人もどうやらそう思っていたようで」

「そうですよね――だって、そんなラッキーあり得ないじゃないですか。でも本当だった。正直最初私は、あの子が芸能界で上手くやっていけるなんて思ってもいなかったので、お金がかからないなら好きにやればいい……ぐらいに考えていたんです。レッスン費用も会社持ちでしたし、学業に支障をきたすことがなければ後は何も言いませんでした」

「阿久津さんに対して、お母様はどのような印象を覚えましたか?」

「折り目正しい、いかにもな好青年だと思いましたよ」

「そうでしたか」

「今は知りませんけれど、昔はそうだったんです」

 話は続く。

「その頃の私は、陽子が養成所に入ったのを良いことだと思っていたんです。普段あれほど物事に反応しない静かな子が、養成所で起きた出来事を笑いながら話すんです。そうやって、夢中になって楽しむことができるのなら、止める理由なんてどこにもないじゃないですか……けれど、陽子が高校に入ってからは少し後悔するようになりました」

「それは、何故でしょう」

「高校に入った頃の陽子は既に芸能活動をしていたので、学校でそのことを言ってしまったんです。そうしたら、陽子が学校でいじめられていると言い始めて」

「そうなんですか!?」

「ええ、そうです。あの子が負の方面で明確に感情を示したのは、あれが初めてのことでしたから……今もよく覚えています」

「すいません、お母様。少し宜しいでしょうか?」

「え? ああ、はい。なんでしょう?」

「私は以前、陽子さんの高校時代の同級生だった上山紗夜という人と話をしたことがあるのですが」

「そう!」

「はい?」

「そう、その上山紗夜が、いじめの主格だったと陽子は言っていました」

 私は絶句した。彼女はまくし立てるように言葉を放ち続ける。

「はい……はい。間違いなくそうです。上山紗夜です。それがいじめの主格でした。あの頃、芸能活動と学業の両立で色々と悩んでいた頃に追い打ちをかけるようにそういう話があったものですから――上山さんは、陽子について何と言っていましたか?」

「人気者で存在感があって、そのせいでクラスで浮いていた――と」

「白々しい! あの子のせいで私がどれだけ苦労したと……結局あの後、陽子は高校を中退してしまうんですが、あの子が中退の理由に彼女の名前をあげるぐらい、あの子は上山さんを嫌っていました」

「私は怒りました。今どき、高校も出ないでこれからどうするんだ? と大喧嘩して、でも結局あの子は学校をやめてしまったんです」

「今も覚えています。陽子に対して怒ると、あの子は寂しそうな顔をして――私はアイドルとして成功しているのに、どうしてお母さんは認めてくれないんだ、って。その後もあの子は活動を続けて、その高校中退の一件から殆ど口も利かないようになりました。それが私の知るあの子の――宮川春子に関するお話です」

「そうだったんですね……お母様にも大変な苦労があったかと思います」

「いいえ。結局、私が人の親として不足している部分があまりに多すぎたことに全ての問題があるのです――結局、あの子は二十七歳で死んでしまったんです。私は一体、あの子にどうしてあげれば良かったのでしょう? 今も分からないでいます」

 彼女がそこまで話すと、机上に置かれていた彼女の携帯電話が振動する。

「――すいません。出ても?」

「どうぞ」

 私がそう答えると彼女は電話に出て、通話を開始する。

「どうされましたか? え、余計なことを話していないか? やめて下さいよ」

「信頼できる記者さんですよ。あとで名刺を見せます」

「ええ、大丈夫。大丈夫ですから」

「とりあえず――また、後で」

 そう言って彼女は電話を切る。

「すいません、話を途中で切ってしまって」

「もし何か急ぎの用事があるのであれば、そちらを優先して頂いても構いませんよ? もし宜しければ、また会談の日程を調整しても良いのです」

「いえ、そういうわけじゃないんです、全然……本当に、何ともなくって」

 言って、彼女は笑う。皮肉な、何かを馬鹿にするような、冷めた笑みを浮かべ、彼女は言う。

「私と陽子が、あの狭いアパートで暮らしていた時には周りに誰も居なくて、何かあっても助けてくれることなんて全くなかったのに。笑っちゃいますよね? 今は親戚で一杯なんです。何かする度に連絡を入れてきたり、文句を言ってきたり……顔を合わせれば、最後には皆口を揃えて、ハルコちゃんはすごい。ハルコは立派だ、なんて言って。皆あの子のことを褒めるんですよ? でもそれなら、何故あの頃に。どうしようもないぐらい生活が苦しかったあの頃に、何故私たちを助けてくれなかったんだろう? って。そういうふうに、思うんですよ」

 そこまで話して彼女は水を飲み、少ししてまた口を開く。

「すいません。話を――続けましょう」

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