上山紗夜との対談

<その程度のことも理解できないんですか?>

 ハンドルネーム・日本国憲法は私に対し、メッセージ上でそう言ってのけた。

<その程度の解釈で春子様の話を書くんですか? 理解に苦しみます>

<そういう貴方みたいな人間がこの世に沢山居たから、春子様は死んだんです>

<死んだ人間は帰ってきません。春子様が死んだのは貴方のような人間全ての責任です>

 私はこの相手が、どこまで一人で私を非難してみせるのかが気になり、返信も送らずに放置し続けた。するとやがて言葉はなくなり、アカウント上でぼんやりと誰に言うでもなく、ハンドルネーム・日本国憲法はこう呟いた。

『そこにお墓はありません』

『勝手に解釈、しないで下さい』

 意味が分からない。私はメッセージ欄に一言……<メッセージは全て見ています>とだけ書いて、相手をまた放置した。

 日課になっている新着メールの確認。私の方から連絡を入れた複数の著名人からの返信に混じって、知らない相手からのメールが一通入っているのが分かる。曰く、自分は宮川春子のことをよく知っている。恐らく、他の人物とは違う宮川春子の話をすることができる……とのことで、怪しげな雰囲気はあれど、分かりやすい詐欺の様式にも沿っていない不思議な内容だと私は感じ取った。

 相手の名前は、上山紗夜……聞いたことのない名前だ。少なくとも今まで会談した相手からこの名前が発せられたことは一度もない。とは言え、情報は集められるだけ集めたいとも思う。仮にこれが何らかの悪戯であった場合でも、それはそれで一つの教訓になるだろう。何処其処に振り込めというような話が出ていない以上、分かりやすい詐欺ではないことは確かであるし、会って損はあるまい……そう思って私は、彼女と会談することにした。

東京都二十三区外にある京王線の駅。そのすぐ近くにある古びた喫茶店の前で待ち合わせる。約束の時間は十四時で、私はいつものように一時間前に現地入りする。相手は約束の時間を十分過ぎたぐらいの頃に来る。

「あの、奥村さんでいいのでしょうか?」

 違和感があった。今まで会った人間と明らかに違う。これは悪い意味でだ。

 今まで会談をした相手。例えば木崎紅葉、大泉五月、芹沢嗣治、阿久津光輝……皆それぞれ過去或いは現在において確固たる地位を築き、そうした意識が服装や内面に現れてくるものだった。それぞれが自分の地位に自負があり、そうした業界の通底意識のようなものが内面化されているのが会話や身振りの中で伝わってきた。しかし、彼女・上山紗夜にはそれがない。どこからどう見ても、彼女は一般人、普通の人間なのだ。

「はじめまして」

 私は答える。彼女は何か落ち着かない様子で目線があちこちに泳ぐ。怯えた小動物のような様子。

彼女は言った。

「あっあの。奥村さんって、記者さんなんですか?」

「はい。そうなります」

「えーっ! じゃあじゃあ、やっぱり週刊誌とかですか?」

「いえ、私はそういうのではなくて。新聞社の人間なんです」

 厳密に言えば今はそうじゃない。しかし、そう言ったところで何になる? ただ話がややこしくなるだけだ。

「えっじゃあ新聞記者? さんって、どういうことするんですか?」

「申し訳ありません。守秘義務がありますから。話しちゃうと首が寂しい」

「……首が?」

「ああ、クビになってしまうと言うことです」

「そういうことですか! すいません、何か」

 立ち話も何なので。そう言って私は店に入ろうとする。彼女の表情には今もどこかに怯えがあるように見えてならない。席に座り、私は彼女へメニューを手渡す。

「好きなものを頼んで下さい」

 私がそう言うと、彼女の表情は一気に――あからさまに、明るくなる。

「え、いいんですか?」

「はい」

 言いながら私はメニューをざっと確認する。仮に頼まれたとして、問題が起こるような高いメニューは一つもないので、私は安心する。

「じゃあじゃあ、私はプリン・ア・ラ・モード頼んじゃおうかな」

 私は店員を呼ぶ。

「私はアメリカン。こちらの方は、プリン・ア・ラ・モードで」

 店員は無言でその場を去る。

「プリン・ア・ラ・モードって、どんなのなんでしょうね」

 そう言って彼女は私を見る。無邪気な目で、その単純さに私は驚かされる。

「お話をさせて頂いても宜しいでしょうか?」

「えっ……あ、はい。そうでしたね。そうでした……宮川春子の話ですよね」

「宮川春子って、本当は甲斐陽子って言うんですけれど、正直私はあんなに有名になるなんて思ってもいませんでした」

「失礼――これは私の予想に過ぎないのですが、上山さんは芸能関係者ではない、のでしょうか?」

「えっ? あ、はい。違います。ゲーノー人じゃないですよ。でも宮川春子についてはよく知っています。高校、同じだったんで」

「そういうことでしたか!」

「そうなんです。だから私、色んなところで宮川春子の本名知ってるよって話してたんですよ」

 それはあまり褒められたことではないのではないか? とも思ったが、私は言及を避けた。わざわざこの場面で相手の感情を害することもないだろう。

「では、高校生の頃の宮川春子について。詳しく話を聞かせて頂いても?」

「はい。いいですよ! 今日はその話をしにきたので!」

 彼女はそのように殊勝な言葉を返したが、店員が運んできたプリン・ア・ラ・モードで会話は中断される。

「わ、すごいですねこれ。美味しそう!」

 彼女はそう言ってプリン・ア・ラ・モードを食べ始めてしまう。

結局――会話は中断。私は一口それを食べるたびに大げさな感嘆符付きの言葉を吐き出すばかりで、話は進められそうもない。このプリン・ア・ラ・モードが片付けられる間、私はアメリカンを少しずつ啜って飲む。それが何やら無性に貧乏臭い感じがしてしまったので、私は自嘲的な感情を抱く。……たっぷり二十分は時間をかけて、彼女はプリン・ア・ラ・モードを食べ尽くす。最後には、プリンの天頂に乗せられていたさくらんぼの軸をその手で結ぶところまでやった。

私は話を切り出す。

「春子さんの話でしたよね」

「はい、そうです」

「あの子、高校入学した時の自己紹介でこう言ったんですよ」

『甲斐陽子です。ゲーノージムショに所属しているので学校には毎日通えないかもしれないですが、宜しくお願いします』

「そんな言い方だったから、他の生徒みんな驚いちゃって。私もそうでした」

「だってだって、ゲーノージムショ? ですよ。なんか嘘みたいじゃないですか、まあ嘘じゃなかったんですけどね。で、もうクラスのみんな質問攻めにしたんですけれど。二つぐらいの質問に答えると、ついさっきまでニコニコ顔だったのに急に無表情になって……ごめんなさいって言って、後はもうみんなのことを無視しちゃって」

「それは、驚きますよね」

「そう。だからみんなで、ゲーノー人ってああいう感じなのかな、とか話すんですけれど、人生でゲーノー人に会ったことのある生徒なんて居なくって、だから誰も本当のことは分からないんですよ」

 彼女はそこまで話して一度、水を飲む。そうした後にまた話を続ける。

「学校のクラスってそれぞれ何となく位置があるじゃないですか。不思議ちゃんとか、高嶺の花とか、そういう……でも、春子さんは最初からゲーノー人だったから、ぶっちぎりの最上位に居たんです。告白なんて恐れ多いし、遊びに行くにも誘えない。それに大体、いつも最初に帰るんですよ。掃除とかあっても無理強いできないし、なんか車が迎えに来たりとかして……何者だよ。あ、ゲーノー人だったわって!」

「あまりクラスには溶け込めていなかった」

「だってもう、それどころじゃないですもん。とくにあの有名なアルバムが売れた時。その頃から学校に全然来なくなっちゃって……あの子の、甲斐さんの席はあるのに、そこに本人は居ない。本人は居ないはずなのに、そこにいつも居るような気がする」

「変なんですよ。だってテレビつけたらいつも映ってるんですもん。三日に一回は顔見てました。ま、テレビで見た時の方が現実より可愛かったですけれど、それでも甲斐さんは甲斐さんなんです。だから、その席の空白がやたらと印象に残って――想像できます?」

「ええ、なんとなくではありますが」

「そんで、最近その頃の奴らと同窓会やるんですよ。で、同じクラスだった男子が叫ぶ。あの時、甲斐さんにコクってれば良かったとか、酔った勢いで言うんです。可愛かったよな、甲斐さん、って――馬鹿じゃねえの、って。どうせそんなこと出来やしないクソビビりの癖して、酔ってそういうこと言うんです。笑っちゃいますよね、ホント」

 彼女は、氷が溶けた残りの水を飲み干し、言う。

「ばーって喋ってたらお腹空いてきちゃいました。なんか頼んでもいいですか?」

「どうぞ」

「わー、やった。店員さん! 紅茶シフォンケーキお願いします! 奥村さんは?」

「私はレモネードを」

「じゃ、それ注文で――ここ、美味しいなあ。今度イツメンと来ようかな」

「しかし、結局春子さんは高校をやめてしまったんですよね?」

「そうなんですよね~。ま、でも忙しいんだから仕方ないんじゃね? って感じでしたね。……ところで、奥村さん? って春子さんの本を書くんでしたよね」

「はい、そのつもりでいます」

「やっぱインゼー? とか、すごいんですか」

「どうなんでしょう。売れるかどうかは今の段階では、分かりかねてしまいます」

「そっかあ……でもなんかすごい空の上の人の話って感じで、やっぱすごいです」

「そんなことはないですよ」

「あの、奥村さん」

「なんでしょう?」

「奥村さんも何か食べません?」

「――いえ、私は結構です」

「私なんか頭使って喋るとお腹空いちゃうんですよね。新聞もそういう人、いませんでした?」

「いましたよ。ドライフルーツをよく齧っている同僚がいました」

「なるほど~、ドライフルーツですか……あ、ところで」

「なんでしょう?」

「この取材って確か、お金貰えるんでしたよね?」

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