阿久津光輝との対談
ハンドルネーム・日本国憲法からの返答はない。思えば、たかが一ファンに過ぎない人間から、著名人の核心的な部分を聞き出そうとすることそれ自体に無理がある。例えファナティックな愛慕を対象に向けていたとしても、ファンはファンだ。周辺人物が語る情報に勝るものを持っていることはないだろう。
そこから考えると、今日の会談相手は重要で、恐らく彼女・宮川春子の核心的な部分を掴んでいた人物だったと言えるのではないだろうか。
阿久津光輝。元トラスト社員。過去に複数の音楽ユニットをプロデュースした人物で、彼の代表的な仕事の一つがプリズムの結成である。元々、宮川春子も木崎紅葉も大泉五月も彼がそのコネクションでかき集めてきた人材である。
現在の動向は不明であり、We―Pediaには項目そのものが存在しない。後の宮川春子のソロ活動の方が有名になってしまったものの、プリズムは一時代を築いた音楽ユニットのはずで……そう考えれば彼の名前ももっと知られるべきであろう、と私は考える。今回の取材にしても、木崎紅葉が動いてくれなければ、彼と連絡を取ること自体、不可能であっただろう。
『阿久津さんに会ってあげて欲しい』
『何とかして立ち直って欲しい』
木崎はメールでもそう、繰り返した。彼に一体何があったと言うのだろうか?
私は木崎紅葉の指定された場所へと足を運んだ。某マンションの一室、815号室。出入り口の集合ポストには『有限会社アクト』と書かれている。聞いたことのない社名だ。
実際に部屋の前に行くと、表札には何も書かれていない。本当に人がいるのか……と私は疑ったが、電気メーターは動いている。ということは、人は居るのだろう。
私はインターホンを押す。
しかし、誰も出てこない。何かが動くような気配もない。……遠くからは救急車のサイレン、近くから鳩の鳴き声が聞こえてくる。
木崎紅葉がセッティングしたんだ。約束をすっぽかされるようなことはあるまい……と思うが、このままでは手の施しようがない。木崎を経由して連絡は取れないか、と考えるが、それで彼女に手間をかけさせるのも気が引ける。今回、阿久津光輝との会談をセッティングしてもらっただけでも恩があるというのに、ここでさらに負担をかけるわけにもいかない。
インターホンが壊れているのかもしれない。何度か扉を叩く。反応がない。私は一時の気の迷いで、ドアノブを握る。すると扉は開かれた。どうやら鍵をしていなかったらしい。
部屋の中はオフィスというよりは物置小屋のようになっている。積み上がった書類や雑誌の上に無造作に置かれた雑巾や箒。窓から差し込む陽光がきらきらと宙に舞う埃を映し出している。
そうした物と物との間に彼――阿久津光輝と思われる男は、いる。
私は部屋の奥へと踏み込んだ。一歩踏み込む毎に、すえた臭いが鼻をつき、目まで変な感じがしてくる。部屋全体がそうした臭いで満ちているのに不思議と部屋そのものは乾燥していて、粘ついた感じがなかった。踏み込んだ先の、恐らくダイニングであろう部分には大量の日焼けしたポスターが直に画鋲を刺して貼られている。そこには何枚ものポスターがあるというのに、宮川春子が映っているものは――一枚も、ない。男はベッドの上に寝転がっている。そばには真新しい、まだ埃の積もっていないチューハイの缶が並んでいる。
男は私に気が付いて、目を細めながら言う。
「もみじか?」
男は確かにそう言った。よほど目が悪いのか、わざとそう言っているのか。
「いえ、違います」
「男か。じゃあ小泉か? 珍しいな」
「いえ。私は記者の奥村剛男というものです」
私は彼に名刺を差し出したが、彼はそれを押し返し、受け取ろうとしない。
「記者ね、記者。なんかもみじが言ってたなあ。記者が来るって」
じゃあ。彼は言う。
「あの胸糞悪いガキの話を、俺はしなきゃいけないってわけだ。で、それを聞くのがあんたのお仕事ってわけ。なんつうか、因果な商売だねえ」
そう言って男は、大量に並べられたチューハイの一つを手に取り、中身を飲み干す。信じられない、飲みさしの酒をそこに置いたままでいたのか?
「で、あいつ。あいつの話だな。どこから話せばいいんだ?」
「あの」
「あんだよ。話を聞きに来たんじゃないのか」
「いえ、そうなのですが……宮川春子に対して、あまり良い印象をお持ちではない?」
「大人だからな、色々あるのよ。まあ、少しぐらい察しをつけてくれてもいいだろうとは思うがまあ、いい。話をしようや」
どっか座りなよ。彼はそう言うので、私は積み上がった書類の上に座り込む。彼は何も言わない――話が、続く。
「どこまで話を聞いたんだ。まず、今まで誰に会った? それを教えてくれた方が、話が早い」
「え~、木崎さん。大泉さん。芹沢さん」
「あ、あ~! あのへんね。何となく事情は分かった……ご苦労さまなこって」
「でもなあ、困っちまったな。あいつらはあまり都合の悪い話をしないからな。全く貧乏くじだよ、どこまで行ってもあの女は。春子、ハルコ、ハルコ・ミヤカワ……」
「もし都合が悪ければ後日でも」
いやいや。彼は頭を振って否定してみせる。
「悪いわけじゃねえよ。報酬も出すって話だしな――そうだっただろ?」
「ええ、まあ」
「じゃあ話をしよう。思い立ったが吉日だ」
そう言って男は話を始めた。まるで説法を打つかのように、滔々と語り出し始めた。
「俺が初めてあいつ――宮川春子と出会ったのは、新宿駅東口の路上でだ。知ってるか?」
有名な話だった。
新宿駅東口でダンスする女子学生にプロデューサーが目をつけ、声をかけた。その相手こそが後の宮川春子。有名過ぎて今更評伝で行数を割く必要すらないほどに、世間に知れ渡った逸話である。
「一応聞いたことはあります。ただ、どこまでが脚色で、どこが本当のところなのかと言うと――分かりません」
「そうだろうな。そんなもんだ。実際、あの話にもある程度脚色がついている。彼らの仕事はそれなんだから否定することもできんが」
男はそこまで言うと、ウンウン唸り出した。どこから話すべきか、と悩んでいるらしい。少なくとも先程まで彼から見出し得た敵対的な雰囲気は、今はもうない。
「あの頃の俺はまだトラストに居て、自分が担当していたメタルダンスユニットの次のアルバムについて、レコード会社相手に宣伝その他、まあ有り体に言えば仕事の話をしていた。その会談が新宿で行われたわけだ」
「あいつと出会ったのはその帰り道……このまま真っ直ぐ帰るのもなんだなと思って、一つラーメンぐらいは食って帰ろうと考えた」
「東口のあたりには沢山ラーメン屋がありますからね」
「そう。あのへんに行ったのも仕事の都合。そんで仕事の後にラーメンでも食って帰ろうと思った程度のことで、何か俺が普段から次代のアイドル候補を探すために新宿をうろついてたとか、そういう話は一切ない。だから、本当にただの偶然なんだ」
これは嘘じゃないぞ。彼はそう念を押す。
「その時だ――俺が担当していたユニットのPVが駅前で流れていたんだ」
「あの広告、結構金かかるんだぜ? で、俺は何となくそのPVを観るのはどんな層なんだと考えた……市場調査と言えば格好良い響きだが、そんな偉ぶったもんでもない。たんなる暇つぶし以上の意味を持っていなかった」
「だが、そうはならなかったわけだ。あいつが居たからだ――宮川春子が」
「あのユニットのパフォーマンスは中々イケてた。正直俺はプリズムよりあっちの方が好きなぐらい。少なくとも、映像でパっと見ただけで真似できるような代物ではない。それぐらい高度なことをやっていた」
しかし……彼は言う。
「それを完コピしてる女がいる。制服姿だったし細かったから、まあ中学生ぐらいだろうと思っていた」
「自然とその女子の周りに囲いができていた。そいつは誰に見せるでもなく、PVを目で追ってダンスをコピーしていた。周りにいる奴らはPVではなく、そいつをじっと見ていた」
「それが後の、宮川春子ですか」
「そうだ。それこそが……本名、甲斐陽子。後の宮川春子だ。後々ソロで売れちまって、知名度を上げて世界のハルコだ、なんて言われるようになっちまったから、何だか他人事みたいだけどな」
「なあ。馬鹿みたいじゃねえか? 世界のハルコ・ミヤカワだなんて。言い回しが古臭いんだよ」
「そうでしょうか?」
「古いよ。最近は昔と違って、アジア系でも姓名が引っ繰り返ったりしない。でもあいつの呼称は宮川春子ではなく、ハルコ・ミヤカワだったんだな」
「その呼称がどうも俺には作為的なもののように思えてならなかった――考えてもみろ。あいつの芸名は宮川春子なんだぞ。だがその名前はプリズムの頃に出来たものだ。なのにソロでもその名前を使い続けた。本名を明かすこともなく……そうやって三枚目のアルバムが海外で売り出される頃には今度、ハルコ・ミヤカワと呼ばれるようになった。あの売り方はあざといんだ。連中は外国に向けて、この一人の女の子を売り出そうとしていたわけだな」
「やはりそれは、阿久津さんの職業柄そのような部分まで考えねばならないという部分があるのでしょう」
「そうかもしれないな。それに、これも後々の話だから今はあまり関係がない……話をそらして申し訳ない。本題に戻ろう」
「で、俺も他の人々の例に漏れず、途中からはPVではなくあいつを、甲斐陽子を見た。確かに上手かった。あんなに難しいパフォーマンスを練習したのかしてないのかはともかく、完璧にコピーしている。でも、なんか引っ掛かったんだよなあ」
「なんか、とは?」
「上手すぎるんだよ。本当に、何から何まで完璧にコピーしていた。そのPVにも実は一部ミスがあって、色々やって誤魔化してたんだが、奴はそのミスった部分までコピーしていた。それぐらい完璧にコピーしていたんだ」
「でもな、それは普通に考えればおかしいことなんだよ」
「最近は、素人がアニメのダンスとかを真似た動画を撮ったりするだろ。ああいうのって仮に上手かったとしても、本家とはどこか違う要素が混ざってくるものなんだ。分かるか、あいつらは真似をしているわけじゃない。本物よりも上手くなろうとするんだ」
「つまり本家本元よりも私の方を見てくれ、というエゴが混ざってくるんだ。それが表現者の根源的欲求だ。偽物でありながら本物を越えようとする、そういう意志が生じる。ところがあいつの動作にはそう言った本家を越えようとするエゴが一切存在しないような気がした。それが俺には引っ掛かったんだ」
「そこが妙だったんだ。ただ目の前に展開されたダンスを真似てみた、それ以上の何かがあいつには欠けていた。なのに、サラリーマンのおっさんとかがあいつを見ているんだよ」
「それがきっかけだったわけですね?」
「そう。あの時の俺は――本当の天才というのは、こういうやつのことを言うんじゃないか。そう感じたんだ」
「その時は断言できなかった。分からなかった。何せ、今まで見てきた表現者に同じタイプを見たことがない。大抵の表現者というのは俺が俺がの一点張りか、或いは他人を補助することを割り切ってやっているかで、あいつはそのどちらでもなかった。そういう、自我を発するような感情そのものと無縁な、隔絶した感じがあった。不気味と言ってもいいだろう」
「それが、阿久津さんの思う今の宮川春子のイメージにも繋がっている、と?」
私が言うと、彼は笑って否定する。
「その話は後にとっておこうや……何であれ、良い印象がないのは事実だが、話すにはまだ早い」
「では、話の続きを」
「ところでさ。あんたってどこの記者?」
「夕日新聞です……まあもっとも、花形と言われるような部署には終ぞ配置されなかったような、そういう人間です」
「いやいや、立派なもんだよ。あんたきっと良い記者になれるぜ」
もう記者ではないのに。そう思いながら私は口を閉ざす。所属していた会社の名前を問題のない範囲で使用しているのは他でもない私自身だ。
「PVはすぐに終わった。あいつのダンスもそれで終わり。囲いからは拍手が起きていたが、あいつはそれに反応一つ返さずに、何の感慨一つ見せずにその場を立ち去ろうとした。そこに俺が声をかけたんだ」
「こう言っちゃなんだが、芸能事務所の者ですなんて言ったら、大抵の女子学生は喜ぶもんでな。まあ大人には通用しない、新宿にはそっちの仕事のスカウトも多いからな。でもあいつの反応と来たら傑作でさあ。あいつ、俺が芸能事務所の者だと言って名刺を渡そうとすると、一言
『詐欺ですか?』
と質問してきたんだ」
そう言って彼は笑う。
「仮にそれが本当に詐欺だったとして、はいそうです私が詐欺師です、なんて言うやつ居ると思うか? いねえだろ。で、何とかして名刺を渡そうとするとあいつは繰り返し
『詐欺です! これは!』
って言って、聞かねえんだ。だから結局最後には警察沙汰になっちまってなあ」
「警察、ですか?」
私はわざとらしく驚いて見せた。すっかり気分が乗った彼は、口調を変えずに話し続ける。
「ほら、東口に交番あるだろ。あそこの警察が来て俺は大いに叱られた。紛らわしいことをするな、ってさ」
「そこまでいって初めて奴は俺のことを信用したらしいんだ。ぼそりと一言
『詐欺じゃなかったんだ』
って言って。冗談じゃねえ」
「でも、それで阿久津さんは宮川さんと出会うことが出来たんですよね?」
「そう。それがあの女と俺の出会いだ……ネットや記事で見る話とは随分違うと思うかもしれないが、現実ってのはそういうもんだ」
「他のプリズムメンバーとはどのように出会ったのでしょう」
「あいつらは元々ツテがあったんだ。もみじは元々ハートロックの頃から顔見知りで……あ、書くんだったら本名は隠してくれよ。もみじはクレハの本名だ」
「勿論です」
「ハートロックは中々イケてたんだが、メンバーが抜けて解散した。モラトリアムで音楽をやっていたに過ぎない他メンバーに対し、ロックにどっぷり浸かっていた女が一人。女だけが残されて男は消えた――まあ、分かる。あいつは確かに上手かった」
「上手いと言えば小泉もそうだ。あいつは上がり症だからバンドを組めないってだけで、ドラムだけなら相当に上手かったんだ。実際、昔は本当に喋り方が無茶苦茶で、会話するのにも苦労したもんだが、今はマシになっただろ? でも昔はそうだったんだ。でもドラムだけは本当に上手かった。最後に来たのが宮川春子だったんだ」
「彼女が最後のピースだったわけですね」
「まあ、後から見ればそうなるんだが……ぶっちゃけ最初は、あいつにメインやらせようなんて気持ちは全然なかった。ゼロと言えば嘘になるけどな」
「新宿の一件以降、前の会社の施設を使ってレッスンさせたりもしていたが、やはり相変わらず無茶苦茶上手い。けれどそれ以外にはなにもなかった」
「ユニット内での立場とか配置とかも、自然な流れで組んでもらって、どうしても駄目だとなったら俺が口を挟むつもりでいた。今思えば、そのへん曖昧だったから苦労したのかもしれないなあ」
「最初はあまり売れなかったそうですね」
「そうなんだよ。会社側からもせっつかれて板挟みで……メンバーのうちもみじは、良い時も悪い時もあるって感じで、小泉にしたってドラム以外のことに興味がない。一番可哀想だったのはあいつだった。プリズムだけが、あいつにとっての家族だったからな」
「三枚目のアルバムが売れて以降は?」
「そう。急場しのぎで作った『暁光』がに売れたんだ。そっからはもう無茶苦茶に早いメリーゴーランドに乗せられてるみたいに、同じ動作を何度も何度も繰り返す芸能稼業が始まった」
「売れないユニットも大変だが、売れたユニットというのも結構大変なんだよ。巡業営業撮影終われば全員くたくたで……プリズムは歌もダンスもイケてる本物志向のユニットだって売り出し方だったから手も抜けない。結局、春子も学校に通えなくなって、高校は中退になったはずだ」
「芹沢さんからは、彼女は読書家だったと聞きました。だから、学校を出ればよかったんだ、とも」
「詩が好きだって話だったよな。でも小泉なんかはそういうのがサッパリで、言われるだけで目を回していたのを覚えている。まあ、微笑ましい話だな」
「プリズムが有名になって以降、春子さんに何か変化はありましたか?」
「パフォーマンスはやはり、最初の頃から良かったし、あいつには客を乗せる天性みたいなもんがあった。けれど破壊的なことはしないから、ライブの印象がとにかくいい。変わったとすれば、例の地震だろうな」
「木崎さんも同じように話していました。あの震災が契機だった、と」
「春子が福島でライブをやりたいと言って、もみじは冗談じゃないと言って怒る。小泉は中立だったが、最後にはもみじの肩を持った。結局、福島でライブをやるという話は立ち消えになったが、それ以降プリズムの方針と春子のやりたいこととで衝突が起こるようになったんだ」
「春子はファン重視で、ファンが喜ぶのであれば何でもする。もみじは目ざとく、利益にならないことはあまりやりたがらない。小泉は職人気質、おいらはドラマーを地で行くやつで、それ以外のことに興味がない」
「確かに、春子のパフォーマンスはすごかったよ。でもそれでプリズムがああいうふうになっちまったんだからなあ」
「解散はほぼ既定路線だったわけですね」
「だが、プリズム解散を一番嫌がったのは誰あろう、あいつ――宮川春子だった。もみじにとってのプリズムはハートロックの次でしかなかったし、小泉は元から流しのドラマーみたいなもんだったんだが、春子にとってはプリズムこそが家族だったんだな」
「家族、ですか」
「だってさ。あいつの家って母子家庭なんだぜ。そりゃあ――」
「えっ、そうなんですか!」
これは本当に驚かされた。何の演技もなしに自然と驚嘆の声があがる。
彼は如何にも、まずいことを喋ってしまったふうな顔で言葉を返す。
「あ、知らなかったのか。そうなのか……まずいな。あまり大声で言わないでくれ。もし書きたいなら直接の親にでも許可をとってくれ――まあもっとも、今の俺でもどうやればあいつの母親と連絡が取れるのか、検討もつかないんだけどな」
「では、宮川春子にとってプリズムとは代替的な家族だったわけですね?」
「多分、そうだったんだろう。反抗期も知らない、満たされることを知らない子供が、遅れてきた反抗期をユニットでやって物別れ。それが本当のところだったんじゃないかと俺は思う。普通、家の中で終わってなきゃいけないことをユニットに持ち込んで――やっちまった」
「金になるっていうのも考えもので、この頃にはあいつをソロで引き抜こうとする会社が出始めた。こっちの利益とあっちの利益の狭間にあって、一人の少女の感情は無視された。大人は必死だよ。金の卵を産むがちょうだ。誰も手放したくはない」
「そうやってプリズムの解散を止められなかった俺にも問題はあったと思う。けれども、元はと言えばあいつの機能不全家庭の方にも問題がある。結局最後には引き抜かれてしまったんだが……物別れというのは誇張じゃないんだ」
「あの時は大変だった。春子の親族を名乗る人間が現れて間に入ろうとしたり、でも肝心の春子本人は『あんな人知らないです』とか言ったりして――ぐっちゃぐちゃだ」
「でも、あいつは。宮川春子は最後までプリズムが大好きだったみたいなんだ。そこは変わらなかった。けれど周りにとっては、そうじゃなかったんだ。もみじにとっても、小泉にとっても、俺にとっても」
「……阿久津さんにとってプリズムとは、何だったのでしょうか?」
「俺にとって? 決まってるだろ、ユニットだ。それ以上でもそれ以下でもない。あまり感情移入しない方がいいんだよ。プロデューサーは複数人を相手にしてるんだからさ」
「でも、あの天才を活かせなかったんだなっていう後悔は今もあるよ。スティグマと言ってもいい。お前は宮川春子を見出したのに、終ぞ彼女をハルコ・ミヤカワにすることはできなかった」
「何せもう、宮川春子は死んでいる。27クラブの仲間入りを果たしてしまった。もう死んでいる。あいつはそれでいいかもしれない。だが――生きている俺は一体、どうすりゃいいんだ。今も、分からないんだ。ビートルズをこの世に残して死んだブライアン・エプスタインが羨ましいよ。俺はああはなれなかった……くそったれ」
「だから、春子さんが」
「そう、大嫌いなんだ。でもさ、この嫌いっていうのは後悔なんだろう。27クラブ入りさせてしまったことへの後悔。宮川春子に出会ったしまったことへの後悔。重なった幾つもの後悔――でも、もうどうしようもないじゃないか。だから、俺は……宮川春子が嫌いなんだよ」
「……今日は、貴重なお話をお伺いさせていただき、感謝しています」
私がそう礼を言うと、彼は何か吹っ切れたような、爽やかな表情になって、こう言った。
「なに。これぐらいの話なら幾らでもしてやるさ」
「それに。酔いも少し覚めてきた。たまには外に散歩にでも行って、良い空気を吸おうか」
その言葉を最後に、私と彼は別れていった。……帰りの電車の中で、私は考える。
彼・阿久津光輝はきっと、夢の残骸だったのだろう。
宮川春子という壮大な夢の――その残骸。跡地。成れの果て。宮川春子という太陽に焼き尽くされた灰のようなそんな人物。そして、これから送られる彼の人生は常に、宮川春子の残影が見え隠れする……そう考えると、彼があのように悲観的な態度を取る理由もほんの少しだけ、理解できるような気がする。
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