白瀬美希との対談

 宮川春子の評伝を書くと決めた時、最初に連絡を取った人物の一人。応答も早く、けれども日程調整が難航、順延を繰り返した相手。それが彼女・白瀬美希だった。…… We-Pediaにも記事がある。

 兵庫県生まれのアーティスト。実家は和菓子のローカルチェーンを展開する資産家で、トラスト所属のアーティスト。歌手としてよりも作詞家、作曲家としての側面の方が強く、トラストがアーティストの露出を避けるマーケティング方針を取ったのも相まって、その実在性が疑われ、一時はAIだ、白瀬美希なる人物は存在しないのだと言うような都市伝説さえ生まれた、とある。

 彼女は今も現役で活動を続け複数のアーティストに楽曲を提供している。

 待ち合わせ場所も今までと違う。どこかの喫茶店に……ではなく、トラスト本社ビルの会議スペースで待ち合わせることになっている。となれば、今までのように一時間前に現地入りをするのも不自然だ。

 私は約束の三十分前に、トラストビルへと入る。入り口に座る職員に対し、用件を話す。私は会議スペースへ通され、彼女を待つ。彼女は約束の時間に数分遅れて来る。

「すいません。お待たせしました」

 想像していたよりもずっとラフな格好で彼女は現れる。安っぽいワンピースに、よれた帽子。だと言うのにその服装には一種の統一されたキャラクターの存在を感じ取ることができる。

「服、気になります?」

 彼女はそう言って私を見る。

「すいません。失礼なことをしました」

「いえ、いいんですよ。本当はもっと着飾るべきなんでしょうけれど、私はそういうのがあまり好きではないので」

 さあて。彼女は言う。

「しましょうよ。ハルコちゃんの話を」

 そうして、白瀬美希との会談は始まる。

「でも本当、ハルコちゃんが死んじゃったの。未だに信じられないんですよね、私」

「皆さん、そう仰られています」

「そうよね~。だってあの子、何かどこかで生きてるんじゃないかって、そんな感じがするもの。実は死んだっていうのは休みを貰うための嘘で、オーストラリア近くの誰も知らない島で生活してて、唐突に日本に帰ってきて、日焼けした姿で言い出しかねないんです。お久しぶりです! って。でも、そうはならないのよね」

 彼女は話を続ける。

「本当びっくりしちゃった。プリズムの解散もびっくりしたし、唐突に演劇やりたいって言ったり、世界ツアーライブやるって言ったり――本当私、あの子に驚かされてばっかりだった。不思議と嫌な感じはしないの。でも、死んじゃうのは良くないよ」

「ごめんなさい。勝手に話し続けてしまって。どこからお話するべきなんでしょう」

「そうですね。例えば彼女、宮川春子さんとの馴れ初め等をお聞かせ願えればと思います。ですが、それ以外の話も十分、興味深いものです。自由に話して下さって構いません」

「そう? でも本当、あの子のこと考えると色んなことが思い浮かんで止まらなくなっちゃうんですよね。なんで死んじゃったんだろう。あんなに良い子だったのに。あの子にとっての世界があまりに退屈だったからなのかな。そんな気がする」

 言って彼女は目尻を拭う。目が潤んでいる。

「すいません。馴れ初めでしたね。話しましょう……私はトラストに所属しているんですが、最初はバックコーラスから始めたんです。すぐデビューしても問題はないだろうってプロデューサーから言われていたんですけれど、下積みもなしに出ていくのはあまり良くないんじゃないかって。そう思っていたんですね」

「でも、今思えばきっと自信がなかったんでしょう。時間が経ってからじゃないと、そういうのは分からないものなんです」

「そんな時、十四歳の女の子が同じ事務所で売り出されていると聞いて、私びっくりしちゃったんです。そんな若いうちからデビューするんだから、余程天才的で、それで嫌味な子供なんだろうなって……実際はそうじゃなかったんですけどね?」

「ほら、よくあるじゃないですか。大人相手にキツい態度をとる天才子役みたいな。ああいうのなんじゃないかなって、あの時は思っていたんです。今考えれば、私もきっと若かったんだろうな……これって実際がどうとかじゃなくて、たんにそうであって欲しいという願望なんですよ。自分よりも若い子が自分よりずっとできるなんて、素直に認めたくないじゃないですか」

「そういうのは、会社組織に居てもあることです。理解できますよ」

「そうなんでしょうね。きっと、どこに居てもあるような話――だから、その時の私は何とかしてあの子に会って一つぶちかましてやろう! って思ってたんです」

「それで会うじゃないですか。そしたらあの子、こう言ったんですよ」

『はじめまして、白瀬さん。宮川春子と言います。いつも勉強させて頂いております』

「――って! もう、自分でも分かりやすくって嫌になっちゃうんですけど、きっとこの子は悪い子じゃないんだなって……そう思ったんです」

「でも実はこの話にもオチがあって、あの子は実は同じ事務所の人間に会うと、毎回同じようなことを言っていたそうなんですね。芸能界では基本的に歳上を相手にすることが多いし、敵を作るなって言い聞かせられてたみたいで。きっと、クレハちゃんがそう言っていたのかな? 今思えば、ハルコちゃんのぶきっちょさを表すような逸話なので、思い出すと少しむず痒い感じがしますね」

「春子さんは常に敬語で話をしていたというのも、よく聞く話ではあります」

「ああ、あれもね――実態はそうじゃないというか。やはり、処世術だったんです。ほら、十四歳って本来ならバイトも出来ない歳じゃないですか。敬語の使い方なんて、誰からも教わらなかったはずなんです。だから、せめてです・ます調で話をすれば、相手は悪い印象を持たないだろう、と計算していたんです。本人がそう言ってました。でも、じきにそっちの話し方の方が素になっちゃって、いつもそういう話し方をするようになった。でも、その話し方も砕けて、敬語でも標準語でもないような話し方をする時もありました」

「……話を戻しますが、最初白瀬さんは春子さんに対し、一つへこませてやろうと思ってアプローチをかけたんですね」

「そうなります。でも実際は、私の方が取り込まれちゃった。あの子は本当に、話せば話すほど良い子で、何かあればいつも場を盛り上げてくれるし……あの子にお酒を教えたのは私なんですよ」

「そうなんですか?」

「当然、成人してからの話ですよ? でも、悪いことは全部、私が教えちゃったようなもんだったなあ。もう、悪友。ゴールデン街にいい店があるんだって言って、文化人が集まるバーに連れて行ったりして。あの子はプリズムに居た頃、親元を離れて寮みたいなところに入っていたので、そこには門限があったんです。けれども、それを破っちゃう時があって、あの子はそういう時いつも私を誘うんですよ――ずるいなあ。今も覚えてる」

『白瀬ちゃん、行きたい場所があるんです』

「って、天下の宮川春子にそう言われて、誰が断ることができるんですか? そうやって一緒に遊びに行って、帰って――でも、怒られるのはいつも私なんです。ハルコちゃんはお咎めなしで。でも全然、悪い気はしなかったんですよね」

「それは、何故でしょう?」

「だって――十四歳で、ただの女の子が身一つで芸能界に入って、あんなに人気が出ちゃって。それじゃ全然遊べないじゃないですか。普通あれぐらいの年頃って遊んでナンボのはずなのに、あの子は何ヶ月か先までずっとライブや撮影で予定がずっと埋まってる。クレハちゃんはそういうことしっかり考えてて、たまにハルコちゃんを連れてどこかに行こうとするんですけれど、メンバーだからこそ出来ないこともあったんです。それこそ門限やぶりなんて最たる例で……だから、阿久津さんも分かっていたんじゃないかしら。ひどいこと、残酷なことをしているのは自分たちなんだって認識、きっとあったはずなんです。でも、プリズムが解散してトラストを抜けた後も、結局あの子の悪友は私でした。色んな人と付き合いがあったはずなのに、不思議な気がしますよね」

 そう言えば。彼女は言った。

「最初にハルコちゃんに作曲を教えたのは、私なんですよ!」

「――それは、重要な話なのでは?」

「そうでもないです。本当に初歩の初歩しか教えられなかったので……発展的な部分は竜崎さんとかが教えたんじゃないかしら? あの頃は地震の後の、プリズム自体が怪しい雰囲気になっていた時だったので、あまり大っぴらには言えないことですけれど」

「ハルコちゃんはどんな時でも、いつも新しいことに興味津々で……それが彼女にとって良い効果を齎したのかは、正直今も、分かりません」

 そう言って彼女は、懐から飴を取り出し、舐める。奥村さんも如何? と彼女は言ったが、私は断った。

少しの間、二人は沈黙する。その後に彼女はまた、話をし始める。

「本当に、良い子でした。なのに――死んじゃったんです。可哀想過ぎますよ」

「なんで誰もそばにいてやれなかったんだろう。私にも後悔があります。とくにあのソロ名義でのアルバムが売れ始めてからは会って話す機会も減ってしまって。それでも、会う度に彼女は、新しく見えた世界の楽しさについて、満面の笑みで語ってくるんです」

「その度に私は、ハルコちゃんが遠くへ遠くへ行ってしまうような気がしました。この子は一体、どこまで行ってしまうんだろう? 私も、クレハちゃんも、サツキくんも……誰も彼もみんな置き去りにしていって、誰もついていけない。そんな風に思いました。でも誰も止めることができないんです」

「みんな、ハルコ・ミヤカワに夢中でした。ご存知ないかもしれませんけれど、あの子が出るライブではいつも過呼吸になって倒れるような人が出たり、日本語を知らない人が聴いて涙するような場面があったんです」

「ハルコさんとライブ、ファンについては沢山の逸話がありますね。大抵、伝説的なものばかりで」

「まるで、地平線に昇る太陽のような――そんな子でした。夜を過ごした人々が待ち焦がれるような、そんな、大きな大きな、太陽。あの子がいて、あの子がライブをやることによって、どこかの誰かが辛い夜をやり過ごすことができたのなら」

「そう思う他、ないじゃないですか。二十七歳で死んだハルコ・ミヤカワは、世界にとって必要な存在だった。そう信じる他ないでしょう。それこそが、残された人々の使命ではないのですか」

 すいません、時間になってしまいました。彼女はそう言って立ち上がり、右手を差し出した。

「お話できてよかったです」

 彼女はそう言い、私も右手を差し出し、彼女と握手する。その手には心地良い温もりがあった。

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