エピローグ

 「ゆうさん、青木久弥さんから、手紙が来ています。事後報告でしょうか」

 マントルピースの前の、暖炉を模したストーブの前で魔術師の密室を読んでいた堂島ゆうが、気だるそうに顔を上げた。小雪も過ぎ、寒さも本格的になる季節、窓の外では、細かくきらきらと輝く雪が踊るように舞っていた。

 「手紙で、報告を送ってくるなんて、いまどき珍しいわね」

 照須は、そうですね、と言いながら、ペーパーナイフを使って不器用に開封していた。

 「それは、そうと、ゆうさん。どうして、たったの十万しか、報酬をもらわなかったんですか? だから、いつまでたっても、アパート暮らしなんです。ゆうさんは、もっとしっかりとした所に住むべきです」

 青木久弥から預かったお金のうち、ゆうが受け取ったのは十万円だった。あとは、すべて、青木久弥に返してしまったのだ。照須には、それが不満でならなかった。

 「どうして? 今回は、ほとんどわたしの、役目はなかったのよ。一番、苦しんだのは、彼だったんじゃない? それに、照須は、ここでの生活は嫌?」

 「あのーえーと、そんなことはないですけど」

 ゆうの澄んだ瞳に見詰られて、照須はしどろもどろになる。この人は、いつもそうだ。物欲というものが、全くない。ゆうの服だって、照須のちょっとしたネットビジネスから捻出しているのだ。いつか、大きな事務所を構えるために、報酬金などはすべて貯金してある。その報酬金を、ゆうは、いつも最低限の金額しか受け取らない。人によっては、無償で仕事を請け負うこともある。

 そんなゆうだからこそ、尊敬しているという面もあるのだが。今日だって、テーブルの上には、デリカの総菜が並んでいるわけだし。ゆうさんみたいな、美人には、こんな生活は似合わない。こんな、わたしみたいな地味な子との生活なんて。

 「照須が、そばにいてくれることが、どんな豪邸に住むよりも、あたしにとっては、大切なことなのよ」

 その言葉を聞き、照須は頬を赤らめる。ゆうさんのために、もっと自分が頑張らなければならない。その言葉が、上辺だけでない、本心からの言葉だと信じられたから、彼女のためになら、死んでもいいとさえ思った。

 「ねえ、どんなことが、書いてあった?」

 ぽっとしていた照須は、慌てて便箋を取り出し、内容を読み取る。速読をマスターしている照須にとって、手紙の内容を把握することは十秒もかからない。

 「青木久弥さんは、現在付き合っている女性と結婚するそうです、それと」

 「それと?」

 「その付き合っている女性は、妊娠しているそうです」

 「とても、いい知らせね」

 照須は、こっくり頷く。

 「それから、最後に、生まれてくる子がもし女の子だったら、里佳と命名したいと、書かれています」

 「そう、なら、今度はその女の子は、きっと幸せになるでしょうね。たくさんの愛情を与えられて、きっと」

 照須は、じっとゆうの顔を見つめる。それから。

 「聞きたいことがあるのです」

 「何?」

 「輪廻転生というものは、本当にあるのでしょうか?」

 ゆうは、少しだけ首を傾げ、照須を見返す。それから、さらさらと降る雪のような声で言う。

 「チベット仏教の最高僧、ダライ・ラマ法王十四世は、こんなことを言ったわ。『次は、どのような人間に生まれ変わるか、そのことを考えると死ぬのが楽しみだ』」


 あなたの願いは?

 その問いに、桐島里佳子は、こう答えた。

 ――もう少しだけ、彼と一緒にいさせてください。迷惑は、もうかけません。

 ゆうには、この仕事を始めた以降、獲得した能力が多くある。苦しみ成仏できない霊魂を浄化させること。それが、最初に獲得した力。それは、神戸理沙との別れによって、得た力だった。そして、次に得た力が、エクソシズム、つまりは霊的解除の能力。そして、ポゼッション――。

 すなわち、精神内部への憑依送還。


 ならば、あなたの願いは?

 その問いに、青木久弥は、こう答えた。もし、償うことができるのであれば、と。彼の心の準備はできていた。

 桐島里佳子の存在は、だから、ただの記憶の一部としてではなく、その魂の欠片として、青木久弥の心に宿ることになったのだ。ゆうの、力によって。

 その彼女の霊が、自然と浄化したのか、それとも、新たな生の形として生まれ変わろうとしているのか、ゆうには、分からない。

 すべての事が終われば、ゆうはただの見届け人に過ぎないのだから。

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白い手の怪~堂島ゆうの霊能ファイル @kirimaiyoru

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