73話 もう一つの疑問

「?」

まさか、否定される言葉が返ってくるとは思わなかったのだろう。きょとんと頭の上い疑問符を乗せている。だから、俺は、もう一度言葉をかみ砕くようにゆっくり喋った。

「微塵も櫻崎さんの話に落胆する要素は無かったけど?」

「で、ですが...」

このお嬢様は誰かの侮辱を受けないと自己肯定感を確立できないのか?と言うほどに押し黙った。


「曲がりなりにも自分のやりたい事を見つけて、その道に突き進めているんだ。それまでの生い立ちがあったからこそ、今の、サクラザキ先生としての作品が生まれているのかもしれないし、櫻崎さんの想像力が作られたのかもしれない。それは奇跡とも呼べるし、櫻崎さんの努力の賜物だともいえる。家を勘当された事は衝撃的だったかもしれないが、そこまで自分を卑下する必要もない、と俺は思う。何故なら、未だ箱入り娘のまま櫻崎家の中で窮屈な生活を続けていたとすれば、俺とこの作品に出合うこともなかったと思うし、俺の古参だって事を俺が知る事も出来なかったし、同じ高校で切磋琢磨する世界線だって存在しなかったと思う。だから、、、」

「だから、その、なんだ、ありがとう。勇気を出して世を駆け抜けてくれた事。本当に感謝する。」

櫻崎さんを勇気づけようとして口にした言葉達だったが、最後のほうは、羞恥にかられ照れ臭くなった。


櫻崎さんは、段々と尻すぼみ口調になっていく俺の顔をじっと見つめて、緊張の糸がほどけたように肩の力を抜いて笑った。

「クスッ。虹乃先生にそう言われると、私の悩んでいる事が随分ちっぽけに思えてきました。」

「あ、ああ。そうだろう?」

「はい。」

結果として櫻崎さんが笑っているから良しとするか。

最後のセリフ。昔、俺が書いてプチバスったが読み返すのも憚れる陳腐な処女作。黒歴史として封印した小説で年老いた主人公がヒロインに向けて死に間際に呟いていたセリフ。今の彼女へ届いただろうか。


そっと、櫻崎さんを見ると、悩みが晴れたスッキリした表情をしていたので、まぁ、いいか。


「ところで....、もう一つ聞きたいことができたのだが、質問、いいか?」

「?」

きょとんとした仕草だけで返事はないので、肯定ととらえる。

だから、俺は、部屋の隅に目をやり尋ねた。

「あれが作業机なのだと思うが、液タブの電源やらが入っているのはなぜだ?」

君は今日、風邪で学校を欠席したと聞いている。

君は病人ではなかったのか?

「うっ?」

櫻崎さんのにこにこしていた顔が一瞬にして引きつった。

その顔、もしかして....。

俺が突っ込みを入れる前に櫻崎さんが口を割る。

「べ、別に。えっと、ご、午後から熱も下がってきてちょっと調子が良くなったので、そろそろ作業に取り掛からないとなぁと思っただけで....」

目が左右に振れている。

嘘だ。

「う、嘘じゃないですよ?さ、最近、仕事が溜まり気味だったので....。」

目が魚影みたく泳いでいる。

これは、嘘だ。机には空になった錠剤の入っていたヒートが破られ転がっている。

絶対に熱があるなか、無理して作業を進めていただろ。

じゃないと、あんなに設定資料や企画書、解熱剤の袋は机の上に散らばらない。



「ぅ...」

俺が言わんとしている事が分かるのか、櫻崎さんは俺と目を合わせようとはしてこない。


ったく。

ここにも仕事馬鹿がいたみたいだ。なんだか、日ごろ雄大が俺に説教をかます理由が少し分かった気がした。

「はぁ、別に俺がとやかく言う筋合いはないけどさ、今日くらいゆっくりしてもバチは当たらないと思うけど?」

免疫力が下がってる時に無理をすると悪化するだろ。

体温が1℃下がると免疫力は30%低下するって言われている。今日は暖かくしてさっさと布団にもぐれ。

「うぅぅ。」

母親に叱られた子猫のように、目をうるうるさせ見つめてくる。

そんな顔するな。俺が悪人みたいじゃないか。

「あのさ、余計なお世話かもしれないが、同じ作品を手掛ける仕事仲間だからあえて言わせてもらう。」

「...」

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