58話 嫌いにはならないでくれ

「なんだ?」

俺の名前が呼ばれたので聞き返すと、櫻崎さんが小首をかしげる仕草で俺に尋ねてきた。

「さっき、私に何か話しかけようとしていませんでしたか?」


「あー、あれね。俺の気のせいだったかもしれないから、忘れて。」

今、聞くような内容ではないなと判断し、気にするなと首を振る。

「そ、そうですか?」

「ああ。」

「分かりました。忘れます。」

ふんむっと記憶を一生懸命消そうとする櫻崎さんがとてもけなげに見えた。


■■■■■

「今日も帰り電車なのか?」

俺は、駅前の交差点に差し掛かったあたりで、何食わぬ顔で隣を歩く櫻崎さんに尋ねた。

「ぇっ...?」

櫻崎さんは一瞬目を見開いたかと思うと、小さく息を漏らしていた。

そんなに身構えられることを聞いただろうか?と思った。

「や、この前、俺と同じ電車に乗って帰ってたのを見かけたから」

「そ、そうだったんですね。」

嫌なものでも見られてしまったかのように困惑した表情で返事を返された。

「最寄りの駅も同じだったみたいだし、なんだったら送るよ。街灯があるといっても夜道は危険だからさ。」

普通に常識的な事を口にしたつもりだったが、「あ、やっ」急に櫻崎さんがワタワタとし始めた。

もしかしたら、異性のしかも、たいして仲良くない男子に「家まで送る」と言われて気味悪がられたのかもしれない。

昔、母さんに「夜道は危険なんだから女の子は家まで送るのが常識よ」と教わっていたんだが、それは一昔前の常識だったのかもしれない。

なんだかんだ、クラスメイトのお嬢様とお近づきになれて浮かれていたのかもしれない。

調子に乗りすぎたか。

「すまない。嫌ならいいんだ。無理強いはしない。櫻崎さんの家なら強そうなSPとかがこっそり後ろから護衛してそうだもんな。だから、その、、、き、嫌いにはならないでくれ...」

俺が言うと、櫻崎さんの表情はさらに暗く沈んでしまった。顔はうつむき、目も合わせてくれない。

「...。」

何も言ってこない。

これは完全に嫌われた。

なにかしら彼女の逆鱗に触れたのだろうかと考えあぐねるが結果は出ず、無言のまま駅の改札口へ辿り着いてしまった。

「えっと、すまない。俺はここで...」

櫻崎さんの顔色を窺いつつも、帰路につきたい俺は5分後にやってくる電車の電光掲示板を見て呟いた。

櫻崎さんとは仲良くやれるような気がしていたんだけどな。

「じゃ、、、また、学校で……」

俺は彼女を残して去ると決め、別れの挨拶をしようと振り返った。


きゅっ。

櫻崎さんの華奢な白い腕でブレザーの裾をつかまれた。

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