42話 最初の挨拶

「別に、気にしなくていい。」



「ついでに、俺の事も秘密にしておいてもらえると助かる。面倒事になるのは嫌いだから」

学校でも、世間でも、静かに暮らしていたい。


「もちろんです。ここでの事は誰にも言いません。」



そう優しく微笑んだ。




彼女が俺を見つめる純粋な眼差しが、嘘偽りで身体を塗り固めている俺の肌に合わず、一瞬、直視できなくなった。



これを、神々しいと言うのかもしれない。



「助かる...。」

俺は、目を背けながら、小さく礼を言った。

少し体が熱くなった気がした。


■■■■■


なんだか、

良い雰囲気で会話が流れていた気がしたのに、今、完全に、その流れを断ち切ってしまった。



再び訪れる沈黙。



なんか、不意に訪れる沈黙って、

フランスでは、『天使が通る(Un ange passe)』

って綺麗なことわざで表現すんだっけな...。


と、現実逃避の思考が駆け巡っていく。



何か、話題。



話題。



小説であれば、こんな男女向かい合わせで気まずい時の会話、スラスラと描写できるくせに、現実だと、無理だな。

すぐに俺の脳内会話デッキが底をつく。



何を話そうか悩んでいると、さっきまで押し黙っていた櫻崎さんが口を開いた。



「あ、あの...」


「ん...?」

何かを言いたげにもぞもぞしている。


「に、西野君が、虹乃先生、だったん、ですよね?」



別に、クラスメイトなんだから、そんなに怖がらなくてもいいのに。


「ああ。俺が、虹乃彼方です。」

そういえば、ちゃんと挨拶してなかったっけ。後で名刺を渡しておこう。

「よろしく。」

「よ、よろしくお願いします。サクラザキです。あ、あのっ!わたし....」


櫻崎さんは、すごく、顔を真っ赤にしながら、うつ向いた目をきょろきょろさせていた。



どうした??


こんなに緊張しているお嬢様、見たことがない。

学校ではもっと、余裕がある感じだし。


そして、意を決したように、目をきゅっと、つむった。



「私、ずっと、ずっと、虹乃先生のファンだったんですっ!!!西野君が先生だって知った時は、驚きましたが、今日、会えて、すっごく、すっごく、嬉しいですっ!!!!!」



恥ずかしさか、緊張からか、紅く染まった頬。

血色の良い自然な唇は困ったようにきゅっと結ばれる。彼女が動くたびに、マロン色の髪の毛がふわりと踊る。その間を駆け抜ける風のように、ヘアトリートメントのフローラの香りが、また、鼻をくすぐった。



「あ、ありがとう...」

突然の大告白。



その緊張がこっちにまで伝わってきそうで、俺は、誤魔化すようにポリポリと鼻頭を掻いた。



なんなんだ?この羞恥プレイは...。



俺は、櫻崎さんの突然の大ファン告白に、有名人気作家らしからぬ恥を覚えた。

そのせいで気づけば頬が緩んでいた。


「ありがとうございます。

俺、基本的に顔出しNGで、

サイン会とかもやらないから。


ファンの人に直接声をもらうの、

初めてで、素直に嬉しい。」



「わ、私も、虹乃先生に直接お礼が言えるなんて思っていなかったので....、すっごく嬉しいです。」


「まぁ、これからは、同じ作品を手掛けるクリエイター仲間としても、よろしくしてもらえると嬉しい。」



「はい。もちろんです。

よろしくお願い致します。虹乃先生。」

彼女が笑うと、ドキッと心臓が跳ねた。ほんとに、笑顔が似合う人だな。


「あの、虹乃先生...」


「あー。そんな堅苦しい肩書で呼ばなくていい。」



「けど、虹乃先生は虹乃先生ですよ?」



「普通はそうかもしれないけど、

小説家以前に、俺達、クラスメイトだからさ。


呼び方は、普通で構わない。

というか、むしろ、いつも通りで頼む。

俺も櫻崎さんって呼ぶし。」



「分かりました。

では、改めて、西野君。

微力ながら、精一杯お仕事を務めさせて頂きます。

これからどうぞよろしくお願い致します。」



これが、真の意味での、クリエイター、

虹乃彼方とサクラザキの最初の挨拶であった。



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