34話 電話 


「期間中に虹乃彼方の書籍を購入した方の中から抽選で3名様に直筆サイン入り本プレゼント...企画」

「ですー。サインお願いします。」

「あー、いつものやつですね。」

「そうですっ!よろしくお願いします!」

「分かりました。3冊くらいならすぐ終わるんで、まぁ、大丈夫です。」

「えっ?」

山本さんが驚いたように声を上げた。

「あ``?」

俺も追って反応する。

「えっとー、先生?」

ちょんちょんと、山本さんが目を逸らしながら右下の備考欄を指で示した。




は?

その指先に視線をずらすと、俺は思わず2度見をした。

え?は?


企画書の備考欄にそれは小さく書かれてあった。


虹乃彼方の新作の宣伝効果を上げるためにすること。

※全国の月島書店に虹乃先生のサインを配布。


は!?


そして、俺は察した予感を確かめるように、山本さんの顔を見た。



山本は、全てを悟った仏のような顔で深く頷いた。





俺の予感は当たっていた。


嫌な予感がして、部屋の隅に置いてある一つのダンボール箱に目をやる。

しかも、特大サイズ。


それを指さして山本さんが、ニコニコ手招きして中を覗くように促してくる。

今すぐにでも現実から目を反らしたかったがそうできないと山本さんが目で訴えてくる。


会議室に入った時に、ダンボール箱の存在に気付いてはいたが....。

ゴクリ。

意を決して段ボール箱を覗くと、予想以上に溜息が漏れた。


はぁー。

まさか、色紙と全国の月島書店のリスト名簿がぎっしりとは....。



「...つまり、今日、最後の仕事は、サインをしろと...?」

俺は、さっきからアイコンタクトだけで何も言わない山本さんの顔色を窺う。

人の言いたい事は、表情だけでは読み取れないかもしれない。

もしかしたら、俺の勘違いだってこともあるかもしれない。

『この色紙1枚にサインを書いてください。あとは、こちらで印刷をかけて色紙を複製します』とかなんとか言われる世界線だってきっとある。

うん。そうだ。そうに違いない。

俺は、すがる気持ちで、否定される事を願って、尋ねた。

「一枚一枚手書きなんて、そんなこと、言わないですよね?俺、今、忙しいって知ってますもんね?」


しかし、悲しい事に、返答はすぐに帰ってきた。

現実逃避をする時間も許されなかった。




「何を弱気になってるんですか、先生!!そういう事です!複製なんてしません!!一枚一枚丁寧によろしくお願いします!」

山本さんが俺の問いかけに「さっすが!!虹乃先生、私の言いたい事まで酌みとって下さるとはっ!!」と誤解をし、一人感動している。

そーいう事じゃないんだけどな。

けれど、フィルターのかかってしまった山本さんには、俺の意図している事が伝わらない。


「では!!虹乃先生!!!月島書店は全国に229店舗ありますので、色紙は229枚。お願いしますっ!!」

意気揚々にお願いされた。

もちろん、俺に拒否権などは無かった。


俺の小説の宣伝とは言え、、、、エグ。

この色紙、書店に配ったからと言って、飾ってくれるとも、売り上げが伸びるとも限らないだろうに。

「そんなことはないですよ?色紙があると目に留まりやすいですし、先生がSNSで色紙にサインした。頑張った。本、買ってください。と呟いて下されば万バズ間違いないです!」

いやいや、そんなに人生甘くないだろ。


「と、に、か、く!これは、上からの企画なので、できれば素直にしてもらえたら....私も、助かる....の、ですが...。」

段々と涙声になってくる山本さん

「はぁ。分りました。とりあえず、やってみます。」

嘆いていても仕方がないと腹をくくった。


■■■■■■

■■■■■■



取り敢えず、3冊しかない本のサインから終わらせよう。

俺は、ダンボール箱から単行本を取り出した。懐かしいな。これ、デビューして2作目の奴だ。一発目の作品がバズりすぎて、本当に売れるのかビビりながら書いてたんだよな。

改稿作業が遅れまくって、確か、入学式の次の日、徹夜明けの最悪な顔色で出席して雄大に笑われたっけ。一冊の本で色々な思い出が思い出される。

「ここにサインペン置いておきます。好きなだけ使ってください。」

「ありがとうございます。」

「私は少し別の仕事をさせてもらいますね。この後、会議が入っているので....。」

「大丈夫です。別に気にしません。」

「すみません。」

山本さんは、デスクにノートパソコンと会議資料を広げ、事務作業モードに入ってゆく。


さて。俺もやりますか。

黒の油性ペンを手に取り、単行本の表紙を一枚めくった。ライトノベル特有のカラーの挿絵が出て来た。そのイラストの右ページに俺は、『虹乃彼方』のサインをつらつらと描いた。



小説家の中には自分のサインに1言のコメントを書くタイプがいるが、俺は名前をただ書くシンプル派。

別に理由は大したことじゃない。



もし大量に量産する事になった場合に『面倒くさいから』である。

ラノベのサインは5分もたたず終了した。


次は、色紙。

横目で山盛りに積みあがっている色紙を確認するように視線を流す。

299枚。

エグイ。

けど、やらないとなー。


てか、この店舗名簿って、わざわざ入っているって事は、あれ、だよな。

けど、何も言われていないし、なにも自分から首突っ込んでこれ以上仕事量増やすのもな....。

俺が月島書店の全店舗リストとにらめっこをしていると、感づかれたのか、作業の手を止め山本さんからヤジが入る。

「あ!言い忘れていましたが、もちろん書店の名前も入れてくださいね!○○店様みたいな感じでっ!」

ふーっ、すー。

溜息を吐きそうになるのを必死に堪えた。

「....はい。」

ですよねー。これは泣く。


■■■■■

30分後。

52枚ほどサインを複製し、少し集中力が切れた頃、

ピロリロリン♪




向かいで別の事務作業をしていた山本さんのスマホが鳴った。メールの着信だったようで、画面を確認すると、立ち上がり、部屋に備え付けの内線でどこかに電話をかけはじめた。




「すみません。受付ですか?編集部の山本です。そちらに...。



はい。はい。え?30分くらい前から⁈はい。分かりました!

今から迎えに行きます!!ありがとうございます!!」

ペコペコと、誰もいない空間にお辞儀をしている山本さんを見るのは少し滑稽だ。

「はい。では、失礼致します」


山本さんは電話相手と数回言葉を交わすと電話を切った。

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