死にたい少女と死が怖い少年の話
桜木翡翠
第1話
「ふわぁ……」
こうも暖かいと眠くなる。今は5月上旬。気温が高くなり始め、どこで何していても眠くなる。学校で授業を受けていても、バイトをしていても。
今日は、特になにもない稀な日。一日中部屋に引きこもっていたらさすがに体が悪くなりそうな気がしたので外に出てみた。普段使う散歩コースをいつも通り歩く。でも、同じ道ばかり歩いていても飽きてくる。なんとなく、普段は通らない路地裏に入ってみた。そこは狭い道だったが、少し歩くと線路沿いの道に出た。折角だからそのまま見たこともない道を歩くことにした。
線路沿いに歩いていくとすぐに民家に突き当り、進むことができなくなったので、少し前に通り過ぎた踏切まで戻るしかない。少し面倒くさいなぁと思いながら、来た道を戻ることにした。戻ろうとしたとき、踏切よりも手前に歩道橋があるのを見つけた。ラッキー、と思い踏切を渡るのではなく、歩道橋を渡ることを選んだ。
歩道橋を渡るなんていつ以来だろう? 最後に渡ったのはもう、何年も前な気がする。なんか子供のころを思い出すなぁ。友達とみんなで競争だーとか言って走って上ったっけ。
って、なに感傷に浸っているんだろう。僕はいつから老人になったのだろうか。思わず笑いそうになってしまう。
ふと、立ち止まり、視界の端に入った黒い影を見る。その黒い影の正体は、少女だった。すらりとしているが、背が特別高いというわけでもなさそうだ。いたって普通の平均的な少女。その少女の特別なところと言えば、まるで線路に身を投げるんじゃないかと思うように柵の上に座っていることだった。
まるでというよりも今すぐに身を投げるんじゃないかという少女の表情を見て、僕は、思わず走り出した。
「危ない!」
少女の腕を引っ張り、歩道橋の内側へと引きずり込む。少女は、驚いたのか「きゃっ」と小さな悲鳴を上げてバランスを崩し、僕の上に落ちてきた。
「いたた……」
僕の上に落ちてきた少女はうめいている。どうやら大きな怪我は無いようだ。
「だ、大丈夫、ですか?」
「……いったーい! 腕ひねったんですけど!」
少女はガバッと起き上がり、ひねったという腕を僕の目の前に突き付けた。その腕はほんのりと赤くなっており、負傷したことが分かる。
「ご、ごめん……。でもあんな所にいたらびっくりするじゃないか」
「びっくり? そんなもの勝手にしててくれる? 私を巻き込まないでちょうだい」
少女は立ち上がり、洋服についたほこりをはらった。そして、僕のことをまるで不審者でも見るかのような目で睨みつけてきた。そして、少女は、そのまま立ち去ろうと踵を返した。
「ま、待ってよ。なんであんな危ない所にいたんだよ」
「なんでって、そりゃあ決まってるでしょ」
少女は最後に振り向いてやはり僕のことを睨み付けて言った。
「死にたいからだよ」
僕は少女を見送った後、歩道橋から線路を眺めていた。彼女が一体どんな景色を見ていたのか。そして、最後に言った「死にたい」という言葉が本物なのか。こんなところで考えていたってしょうがないのだろうけど。
線路に電車が通る。この歩道橋は駅と離れた場所にあるため、勢いよく通っていった。もし、本当に彼女が飛び降りてしまって、轢かれてしまっていたら。考えただけで眩暈がした。「死にたい」なんて軽々しく口にするなんてどうかしている。
僕は眩暈が収まるまで座り込んでいた。空の頂点にあったはずの太陽が西に傾き始めている。ずいぶんと長いことこんなところにいたようだ。日が完全に落ちてしまう前に早く帰って、今日のことは忘れてしまおう。
それから、僕は学校とバイトで忙しく、歩道橋で会った少女のことはすっかり忘れてしまっていた。「死」というものとは無縁の平和な世界に生きていたくて、いつも以上に日常を大切にしていた気がする。充実していたと実感している。
しかし、日常が壊れたのは案外すぐの出来事だった。あの時、歩道橋で見かけたあの少女がいたのだ。僕の通う大学で。鮮やかな緑の葉をつけた木の下で、彼女は空を見上げていた。
その姿は、あの日の刺々しい雰囲気ではなく、儚げな雰囲気を纏っていた。思わず、僕は彼女の姿に見とれてしまっていた。見つめていると、彼女がこちらを向いた。
「あー!! あんたあの時の!」
僕のことを指さしながら叫ぶその姿は、さっきまでの儚げな雰囲気とは程遠いものだった。
「よくも邪魔してくれたわね!」
「僕は邪魔したつもりないんだけど……。そもそも君が悪いんだろう」
彼女はすごい剣幕で近づいてきた。
「せっかく特等席で景色を眺めていたのに台無しよ」
「……は?」
景色を眺めていただって? この前と違うことを言っていたじゃないか。
「君は僕のこと、からかっているのか? そういうことなら他を当たってくれないか」
「はぁ? あんた何言ってんの? わけわかんないんですけど」
彼女は心底不愉快そうに言葉を吐き捨てた。
変な奴に絡まれてしまった。僕はさっさと立ち去ろうとした。
「あんた、何逃げようとしてるのよ」
立ち去れなかった。彼女は僕の腕をがっしりと掴み、絶対に離さないという意思が感じられた。
「謝罪をしなさい。誠意を見せるのよ」
そう言いながら彼女は僕のことを強く強く引っ張っていった。
僕の腕を強く引っ張って彼女は、大学構内にあるカフェに入っていった。そこで彼女はチョコパフェを注文した。そして、彼女は当たり前のように「あなたの奢りだからね」と言った。彼女の言う誠意はこれのことのようだった。たかだか景色を見るのを邪魔したくらいでこんなことになるとは……。面倒にならないうちに帰りたかったが、帰らせてもらえそうにないので、コーヒーを注文した。
「ここのチョコパフェおいしいんだよ」
彼女はにこやかに話す。さっきまでのきつそうな印象はどこへ行ったのやら。表情がコロコロ変わる感情豊かな人というか、情緒不安定な人というか。
運ばれてきたチョコパフェをキラキラとした顔で頬張る姿は幼い子供のようだった。
「あのさ、この間のことなんだけど」
「この間のこと? これでチャラだけど」
彼女はきょとんとして食べる手を止めた。
「チャラって……。おつりが来てもいいくらいだと思うんだけど。なんであんな所にいたの。本当の理由を教えてくれないか? さっきのは嘘だろう」
遠まわしに聞いてもしょうがないと思い、直接聞くことにした。このままでははぐらかされた挙句にただチョコパフェをおごっただけになってしまう。
「本当の理由ねぇ……」
彼女は小さくつぶやくと考え込むような表情をした。
「あなたはそれを聞いてどうするの?」
逆に質問で返されてしまった。正直に言えばこんなのはただの好奇心だ。本音なのか建て前なのか、知りたくなっただけだ。
「もし、この前言っていたことが本当のことなら相談に乗ろうかと思って。ほら、話をすると楽になるって言うでしょ」
「嘘だ」
すぐに否定されてしまった。
「君はそんなことをするタイプの人間じゃないね。面倒ごとには首を突っ込まないタイプだな。人との関わりを積極的に持ったりはしないね」
その上、僕の人間性について評価をされてしまった。かなり評価は低いようだ。
彼女は、僕の評価をしつつも僕と一切目を合わせようとはしなかった。残りが少なくなったチョコパフェをスプーンでぐるぐる回して、チョコレートとクリームとコーンフレークをぐちゃぐちゃにとかき回す。
「別にどうでもいいんだけどね。君がどんな人間だろうと」
彼女はぐちゃぐちゃにかき回していた手を止めて、ドロドロとした塊を口へと運んでいく。
「そうよ、私はあの場所に死ぬために行ったの。電車に飛び込んでしまおうと思ってね」
彼女はやっと僕に目を向けた。その眼は、氷の様に冷たい眼だった。
「なんで、そんなことを思ったの? ほら、生きてたらきっと良いことあるよ」
僕は努めて明るい口調を心掛けていった。
「別にさ、良いことのあるなしなんてどうでもいいんだよ。私はそこに興味はないんだよ」
チョコパフェを食べ終えた彼女は「このパフェ甘すぎ……」と言いながら、僕がほとんど飲んでいなかったコーヒーを飲んだ。
「ただただ死にたいだけ。死に興味があるだけ。それじゃいけないかしら」
彼女は平然とそんなことを言う。
「それは哲学的な話かな?」
「違うと思うけど」
彼女は僕のコーヒーも飲み干してしまった。
「ご馳走様でした。まぁこんなどうでもいい話はここで終わりにしましょう。これで後腐れなく終わりだからね」
そう言い残すと彼女はさっさと出て行ってしまった。後腐れなくって向こうが声かけてきたくせに……。
僕は少しだけ時間を置いてからカフェを出た。
「おーい、泉ぃ。珍しいなお前がカフェにいるなんて」
カフェを出たところで後ろから声をかけられた。同じサークルの結城だった。
「あー、なんか変な女の子に捉まっちゃって」
結城は「そりゃまた珍しいな」と不思議そうな顔をした。
「お前知ってるか? すらっとした感じの子」
「その条件に合う子どれだけいると思ってるんだよ……」
「まぁそうだよなぁ……」
あんな謎の少女のことなんて早く忘れるべきだな。
そう判断し、サークルへと向かうことにした。
僕が所属しているサークルは天文学部だ。なんとなく興味があったから入ってみたが、案外自分に合っていたようだ。月に1回は天体観測をすることになっているが、その他は強制的に集合かけられることもないし、好きな資料を見ていられるし。かなり自由気ままな所がある。
今日も適当な資料でも漁ることにするか。
「今日は一段と人が少ないなー」
天文学部には、約20人が所属しているが、大半が掛け持ちをしていたり、幽霊部員になってしまった人が多い。そのため、普段から部室には10人前後がいることが多い。今日は5人しかいない。広い部室に対しての人数の少なさが際立っている。
「あー! この星きれいじゃない? 今度見てみようよ!」
「ほんとだ……。だけど冬にならないと見れないみたいだよ」
「えー、本当だ。随分待たなきゃいけないね~」
机の上に天体図鑑を広げて女子二人が楽しそうに話しをしている。
冬に見れる星が載っているといっていたから、冬の星座の本でも見ているのだろうか。
僕は、チラリとその二人組の方を見た。すると、女子の一人と目が合ってしまった。
「あー!! あんた! 何でこんなところにいるのよ!」
「ゲッ」
その女子は飛び降りようとして、なおかつ僕にパフェをおごらせたあの少女だった。
「玲ちゃん、知り合い?」
少女の隣にいた子が問いかけている。あの少女は玲というらしい。
「知り合いっていうか、たまたま会っただけのやつ。親しい訳じゃない」
玲は、つっけんどんに答えた。
「たまたま会っただけでパフェを奢らせられたけどな」
「玲ちゃんがこの間カフェに行った人ってこの人だったんだ!」
「そ、そんなことどうでもいいでしょ!」
玲は、僕と会ったことを彼女に話していたらしい。出会った経緯とか、どのように話をしたのだろうか。
「玲ちゃんがお世話になっています。私、玲ちゃんの友達の笹本清香です」
彼女はスッと立ち上がり、会釈をした。とても礼儀正しい子だと感じた。
「間宮泉です。ここで会ったことないよね?」
「はい。タイミングが違ったんですかね」
「まぁここまで自由なサークルだと会わないことも多いだろうね」
僕はこのサークルに結構顔を出している方だが、時間帯にバラつきがあるため、同じ人に会う確率は低い。結城は同じ授業を受けているため、授業が終わった時に一緒に来たり、空き時間で来たら居たりすることが多い。そのため仲良くなることができた。
「清香、そんなやつもういいから帰らない? お腹空いてきちゃった」
「えー、もう少し話してからでもいいんじゃない? お菓子あげるから」
お腹空いたってさっきパフェを食べたばかりじゃなかったか?
玲は文句を言いながらも笹本からお菓子をもらうと大人しくなった。まるで子供をあやす保護者のようだ。
「そういえば、さっき冬に見える星の図鑑見てたでしょ。この本なら今の時期に見える星のこともかいてあるから」
僕は、自分が読んでいた本を数冊二人が座っている机に置いた。
「間宮さん読んでたんじゃないんですか? 大丈夫ですか?」
「僕は大体読んだから大丈夫だよ」
「さてはあんた、人の話を盗み聞きしてたね!」
玲が僕のことを悪者の様に指さしながら言ってくる。
「そんな訳ないだろ。たまたま聞こえただけだろ」
「そうだよー。玲ちゃん、間宮さんに失礼だよ」
笹本の言葉に玲は委縮する。どうやら笹本にはあまり言い返したりしないようだ。
「そうだ、間宮さん。この時期におすすめの星ってありますか?」
「そうだな……」
僕は二人に渡した本をパラパラ捲りながらいくつか話した。僕も多くを知っている訳ではないが、本を見ながらだったのでなんとか星の紹介をすることができた。笹本も玲も真剣に話を聞いてくれた。二人ともしっかりと星に興味はあるみたいだった。
「次の天体観測の時に何か見られるといいね」
「そうですね。次はいつなんですか?」
「うーん、まだ聞いてないから決まってないんじゃないかな」
壁に掛けられている月刊スケジュールのボードは真っ白である。
「天体観測、なくなっちゃったりして」
玲が少し暗い表情をしている。何故そんな表情をしているんだろうか。
「そのうち、決まるんじゃないか」
僕の希望的観測もあまり耳に入っていないのか、玲の表情は暗いままだった。
その玲の心配とは裏腹に数日後には天体観測の行われる日程が組まれていた。天体観測を行う場所について多少揉めていたらしい。そのため決定の連絡が遅くなったとか。僕も直接聞いた話ではないので確実ではないが、話の大筋は間違っていないだろうと思う。
天体観測の日程も決まったことだし、きっと玲の顔も晴れるだろうな。
5月末、天体観測が行われる当日。玲も笹本も出席していた。今日は快晴で星もよく見えるだろう。
「よぉ、泉。俺とお前で設営やれってさー。部長様が直々におっしゃっていたぞ」
「結城―、聞こえッてっぞー」
「すんませーん」
結城が遠くにいる部長に怒られている。
「設営か。さっさと行って終わらせるか」
「おー」
僕と結城は望遠鏡を持って屋上へと向かった。手早く準備を終えて、あとは皆でのんびり星を眺めていたい。
「そういえばさ泉、なんか女子と仲良くなったらしいじゃん? 珍しいな~」
準備の手を進めつつ結城がニヤニヤしながら尋ねてくる。
「あー、昨日たまたまね」
「たまたまね~。しかもどっちも可愛い子らしいじゃん。俺にも紹介してくれよ!」
「紹介って……。今日も来てるんだから話かければいいだろ」
「嘘ー! 先に言えよー」
結城はスムーズに行っていた作業の手を止めて僕に訴えてくる。正直そんなことを言われてもという感じだが。
「もう終わったー?」
その時、屋上の扉が開き、声をかけてくる人がいた。玲だった。
「もうすぐ終わる。他の人に声かけてきてもらってもいいかな」
「なんであんたに命令されなきゃならないのよ」
「命令じゃなくてお願いだから」
「はいはい」
玲は相変わらず僕に対して不満を述べてから戻っていった。
「おいおい泉、まさかあの子と仲良くなったのか?」
結城が僕のことを信じられないという顔で見てくる。
「そうだけど……。あと笹本さんもだよ。仲が良いというのかは少し微妙かもしれないけど」
「まさかのその二人組……! すげーな!」
「何でそんなに驚くことなんだよ」
結城は信じられないというような顔をしている。
「だってあの子、周りに人を寄せ付けないことで有名な子だよ? 笹本さんが唯一仲良くしてるのを見たことがあるくらいだから。ほとんどいつも一人でいるんだぜ。泉、どうやって仲良くなったんだよ」
「どうやってって言われてもな……」
もし、結城に正直に言ったら、それは玲には失礼に当たる気がする。それに結城もまるっきり信じるということはないだろう。
「絡まれたってところかな」
「え、泉が? お前が絡まれるって意味がわかんねーだろ」
結城は、騒がしくしていたが、そのタイミングで皆が屋上にやってきたので、その話も終わることになった。
その後、結城は女子を紹介しろとは言わなくなった。人を寄せ付けないとも言っていたし、結城も近いよりたくないとおもったのだろうか。
ふと、玲のことを見ると、フェンスにもたれかかって、星を見上げていた。どうやら笹本は他の友達と会話している。
「晴れてよかったね」
「そうだね。ってまたあんたか」
玲は一瞬だけ僕の顔を見て、また星空を見上げた。僕も一緒に星空を見上げた。今日は望遠鏡がなくても十分に星が見える。
満点の星空を見上げながら、僕は少しだけ玲の言っていたことを考えた。死にたいという気持ちについて。いくら考えてもその気持ちを理解することはできなさそうだ。玲はどうしてそんなことを考えているのだろう。もしかしたらいじめにでもあっているのではないか。玲からはそんな雰囲気はしないが、結城が言っていた近づきがたい雰囲気というのはそういうところからきているのではないか。
「あのさ、この間のことだけど」
玲は星空を見上げたまま話かけてきた。
「あの事、誰にも言ってないよね」
「あの事って、初めて会った時のこと?」
「そう」
「誰にも言ってないよ」
僕がそう言うと、玲は少しだけ安心したような表情をしていた。
「玲は、何で死にたいって思い始めたの?」
僕は、思わず聞いてしまった。玲は何も表情を変えずに星空を見上げている。
「思い始めたきっかけね。そんなものはとっくに忘れたわ」
遠くを見つめ、玲はそれ以上答えなかった。
「……僕は、君のその気持ちはよく分からないよ。だけど死んでしまうのは良くないことだと思う」
「何、また綺麗事?」
「綺麗事なんかじゃないよ」
玲は僕の言葉に苛立っているようだ。
「死んだらそこで終わりでしょ。そこで終了しちゃったらもったいないんじゃないかな」
僕は、死というものから遠ざけられないか。そんなことばかり思いながら言葉を選ぶ。
「もったいないねぇ。逆にあんたはどうしてそんな風に思うの?」
ずっと星空に目を向けていた玲は、スッと目線を降ろし、僕の目を真っ直ぐ見つめた。その瞳は、透明で何も映していないような闇を携えているようだった。
「どうしてか……。僕は自分の話をするのは得意ではないのだけれど」
僕は、玲の真っ直ぐな目に見つめられるのに耐えられなくなり、星空を見上げた。
「僕は、小学生の時に兄が死んでしまうのを見たんだ……」
「病気か何かだったの?」
「いや、違う。……僕が、殺したんだ」
「えっ」
玲は驚いているのかそれ以上言葉が出なかったみたいだ。
「僕と兄は結構仲が良くてね。よく近くの公園で遊んでたんだ。でもそこの公園は山に近い所にあったんだ。そこで、僕がふざけて、行くなって言われてた山の方へ行こうって兄を誘って、走り出したんだ。兄は当然僕のことを追いかけてきた。止めるためにね。それで……」
僕はその時の情景を思い出して言葉に詰まる。
そして、逃げ出した玲の瞳にもう一度目を向ける。玲の瞳には闇が姿を消し、澄んだ色が浮かんでいるように感じた。
「兄は、落ち葉に足を取られて、そのまま崖から落ちてしまった」
崖から落ちた兄の姿。流れる血。不自然に曲がった手足。割れた頭からはみ出るピンク色の
「泉!!」
突然、僕の目の前に玲の顔があった。腕も掴まれている。僕が記憶の海に引きずりこまれていたのを戻してくれたようだ。やっぱり僕はこの記憶を思い出すたびに元に戻って来られないような感覚に陥る。
「それは事故じゃない。あんたが殺したわけじゃないわ」
玲は今まで僕に見せたことがない、優しい表情をしていた。しかし、その表情もすぐに苦しいようなものに変わってしまった。
「あんたが人が死ぬのを見たくないっていうことは分かったよ。だけど、私が死なないということは約束できない。だから、あんたとは関係のない所で死ぬことにするよ」
そう言い残し、玲は立ち上がり、笹本のところへ向かった。
僕はその後ろ姿を見送り、再び星空を見上げた。星空は美しく輝いている。何も変わらない。あの日、兄と一緒に見た景色と少しも変わっていない。あの日も綺麗な星を兄と見に行った。
「お兄ちゃーん、待ってよー」
「早くしろよ。置いて行っちゃうぞ」
僕は兄を追いかけて走っていた。確か、この日は流星群が見られると聞いて、兄と一緒に夜の山へ出かけっていた。もちろん両親には内緒で。
「置いていかないでよ!」
きっかけはとても些細なことだったと思う。今ではもう何があったかなんてあまり覚えていないのだから。
「間に合わないだろ!」
僕が歩くのが遅くて兄がイライラしていた。多分、そんな小さいことだったと思う。
やっとの思いで辿り着いた時には、流星群が見られる時間は過ぎていた。
「お前が遅いから間に合わなかっただろ!」
「お兄ちゃんが早すぎるんだよ!」
僕が先か兄が先だったかは分からない。気づいたら殴り合いの喧嘩をしていた。
「うわっ!!」
兄が大きな声を出したと思ったときには、兄の姿が僕の視界から無くなっていた。兄の後ろにあった崖から足を滑らせてしまったのである。
崖を覗き込むと兄の無残な姿が目に入った。あまりにも酷い光景で、今でも詳細に思い出すことができる。その後、どのように家に帰ったとか、葬式をしたそういう記憶が一切ない。ショックのせいで覚えていないのだろうと言われている。
僕は嘘をついた。事故があったかのように。でも実際は殴り合いの末、突き飛ばしている。僕が殺した。それがまぎれもない事実だった。玲にはいかにも事故のように話をしてしまった。しかし、事実は僕が殺している。明確な殺意を持っていた。死んじゃえ、死んじゃえ。そう願いながら突き飛ばしたことを覚えている。
僕は人殺しだ。だからこそ僕は人が死ぬのがとても怖い。
6月も中旬になり、本格的な梅雨が始まった。梅雨はあまり好きではない。星も見ることもできないし。
雨ばかりで憂鬱な気分に苛まれていたが、久しぶりの散歩に出ることにした。
のんびりと適当に歩いていたら、玲と出会った歩道橋に行きついた。適当に歩いていたつもりだったが同じルートを辿っていたようだ。この歩道橋を見ると嫌でも玲があの日飛び降りようとしていたことを思い出してしまう。
さっさと通り過ぎてしまおう。深く考え込んでしまわない内に。そう思い、僕は早歩きで歩道橋を超えていこうとした。
歩道橋を真ん中まで来たとき、傘を差している人が立っているのが見えた。玲だった。
「……また会ったね」
声をかけると、玲は少し驚いた顔でこちらを見た。
「ここに来れば、会うと思ったわ」
玲は僕のことを真っ直ぐ見つめた。
「フェアじゃないと思ったの」
「フェア?」
玲は唐突に話を始めた。脈絡なく始めるのは玲の独特な部分だと思う。
「あんたが死を見るのが怖い理由を聞いて、私がそれに対して話をしないのは良くない。だからここで待ってみた」
玲は僕が少しだけついた嘘を信じているのだろうか。玲の瞳はまたあの闇に包まれた様な瞳になっていた。
「私が死にたいと思うようになったのはね、自殺現場を見たからよ。駅のホームで電車を待っていた時だった。隣にいた人が突然、飛び込んだ。今まで横にいたはずの人間の命が一瞬で散っていくのを見たわ。その時思ったの。綺麗だなって」
「綺麗?」
「そう、綺麗だった。その人はきっと色々な思いを抱えていたでしょう。だけどそれを全てその場に投げ捨てて消えてしまった。残された人に後はよろしくとでも言うかの様に。自分は退場していった。私は、そんな姿がとっても素敵に見えたわ。私もああいう風に消えたいって。世界に溶けていくみたいで素敵でしょ」
「そんな理由……」
「それが私にとって大きな理由なんだよ」
玲は闇の中にいる瞳を一瞬も外さなかった。僕は、その瞳に縛られているように離せなくなっていた。
「だから、もう私に関わらないでよ」
最後の言葉だけ、玲は目を逸らした。何で目を逸らしたのだろうか。あの瞳を見ている訳ではないのに玲に引き付けられるような気がする。
「そんなこと言われたら、逆に関わりたくなるんだけど」
普段の僕なら絶対に言わないような意地悪なことを言ってしまった。
「はぁ? 意味が分からないんだけど」
玲は怒ってしまったようだ。僕はそんな玲の姿をたくさん見たいと思ってしまった。
「僕は、玲が死ぬのを止めるよ。きっとね」
「めちゃくちゃ迷惑」
玲は吐き捨てるように言うと、背を向けて行ってしまった。そのまま行ってしまうかと思ったが、一度振り返った。
「泉は悪くない」
その言葉は、僕の中に渦巻いていた闇をほんの少し、洗い流してくれたような気がした。玲にとってはきっと何気ない一言だっただろう。だけど僕はきっと今後もこの言葉に救われていくような気がした。
玲の姿が見えなくなった時、降り続いた雨は弱くなり、分厚い雲の隙間から太陽が姿を見せ始めた。
次の日、僕はいつもより早く天文学部の部室へと向かった。雨続きで星が見られなかった分、資料を見て補おうと思ったからだ。
「あ、間宮さん」
部室に入ると笹本が声をかけてきた。
「おはよう、笹本さん。今日は一人なの?」
「はい、この時間は玲ちゃん授業入っているので」
笹本は一人で星座の本を広げていたようだ。
僕も適当な本を見つけて読みふけってしまおうと思ったとき、「ちょっといいですか」と笹本に声を掛けられた。
「どうかした?」
僕は笹本が座っている席向かい合うようにして座った。笹本は、少しだけ困ったように微笑んだ。
「間宮さんは、玲ちゃんのことどう思いますか?」
「えっ、どうって?」
笹本の問いかけに僕はどう答えたら良いのか悩んでしまう。
「最近、玲ちゃんと仲良いですよね?」
「仲良いのかな。自分じゃよく分からないけど」
「玲ちゃんはあんまり積極的に人と関わるタイプじゃないですからね」
そう言われると確かに結城も似たようなことを言っていた気がする。近づきがたいというようなニュアンスだったと思う。
「間宮さんとは十分仲が良いと思います。だからこそ聞きたいんです。玲ちゃんのことどう思いますか?」
笹本はさっきよりも真剣な目を僕に向けてきた。
「私は、玲ちゃんはちょっと危なっかしいなって思うんです」
「危なっかしい?」
「はい。なんだか知らないうちに消えちゃいそうな。気にかけてあげないといなくなっちゃうんじゃないかなって思うことが多いんです。間宮さんはそういう風に感じませんか?」
笹本さんは結構鋭いのかもしれない。玲が死にたいと思っていることを薄々感づいているのかもしれない。それとも玲が隠している訳ではないのだろうか。でも、本当に知らなくて僕が迂闊なこと言ったせいでバレルことになるのは良くないことだと思うし。
「……僕はそういう風には感じないけどな」
僕は悩んだ挙句、知らないふりをすることにした。
「……そうですか」
笹本は少し残念そうな顔をしている。
「思い過ごしですかね。変なこと聞いてごめんなさい。忘れてくださいね」
「いや、別に大丈夫だよ」
僕たちの間に少し微妙な空気が漂い始めた時、結城が部室に入ってきた。結城はあっという間に場の空気を和ませた。僕にもあんな空気を出せる力があったらいいのにと少し思った。
また玲に会ったとき、笹本に聞かれたことを尋ねた方がいいのだろうか。しかし、笹本も玲のいないタイミングを見計らって聞いてきたようなものだし、二人のためにも情報の共有になってしまうことは避けた方がいいのかもしれない。
笹本が玲のことを気にかけていることを記憶の隅に置いておこうと思った。
梅雨も明け、すっかり夏の日差しが眩しくなってきた頃、再び天体観測会が行われることになった。久しぶりの天体観測ではあるが、今日は参加人数が少ない。テスト前でもあるからだろうか。そんな中でも玲は参加していた。またポツンと一人で星を眺めていた。
「玲、綺麗に見える?」
僕が声をかけると玲は一瞬だけ視線をこちらに向けたが、すぐにまた夜空に視線を戻した。
「またか……。何の用なの?」
玲は僕のことを鬱陶しいと思う気持ちを微塵も隠そうとせず、刺々しさを感じる声音で答えた。
「用も何も、一緒に星を見ようと思っただけだよ」
僕は玲の拒絶的な雰囲気を気にせずに玲の隣に座った。
玲は何も言わず、ただ星を見ていた。僕もそれに倣って一緒に星を見る。肉眼で見える星はたかが知れている。しかし、今日の星は一段と綺麗に見える気がした。
僕と玲はほとんど何も話さないまま星を眺めて過ごした。笹本が言っていたことを聞いてしまおうと思ったことも何度も思った。しかし、結局その勇気も出ずにその日の天体観測は終わってしまった。
「泉」
片付けをして、荷物をまとめていた時、玲に声を掛けられた。玲は帰る準備は整っている姿だった。
「ちょっと付き合え」
玲は短く言葉を発するとさっさと行ってしまった。
「待ってよ!」
僕は置いていかれないように慌てて荷物を鞄の中に詰め込み玲のあとを追いかけた。
玲には案外すぐに追いついた。出ていくときは俊敏だったが、外に出てからはのんびり歩いていたようだった。
「どこに行くの」
「ファミレス」
玲はそう言ったきり一言も発さなかった。
ファミレスに着くとすぐに注文をした。ステーキにピザというなかなかボリュームのある組み合わせだった。僕は大してお腹は空いていなかったのでポテトとドリンクバーだけ注文をした。
「玲は、結構食べるよね」
「なっ!! 別にいいでしょ!」
玲は珍しく顔を真っ赤にして怒った。やっぱり食べる量は気にしているようだった。
「食べたいものは食べたいときに食べる。それが私の主義なの」
「いいと思うよ」
僕の言葉に対し、玲はキッと睨み付けてきた。
特に会話もないまま時間が経ち、玲は運ばれてきた料理をもくもくと食べている。僕はポテトをチビチビ食べることになった。
「そういえば、何でここに来たの?」
「お腹が空いていたから」
「いや、そうだろうけど……。何で僕が呼ばれたのかな?」
「……たまたま?」
なぜ疑問形なんだろう。というかたまたまってなんだ。いつもたまたまのせいになっている気がする。
「たまたまってのいうは嘘で清香が今日はいなかったから。一人で食事するのはあまり好きじゃないから誘っただけよ」
とても普通の理由だった。また変に話があるという訳じゃなくて少しホッとした。それと同時に何もないのかと思うもやっと感も多少胸の内に残っている。
「泉は小食だよね」
玲は僕が食べているポテトを見ている。少し玲の方へ皿を寄せてあげるとポテトを何本かつまんだ。本当に食べることが好きなんだな。
「小食ではないと思うよ。玲と食べるときはタイミングが悪いだけだよ」
「ふーん」
玲はそれ以降も何本かポテトをつまんだ。
「そういえば、玲は僕のこと名前で呼んでくれるようになったんだね」
「え、そりゃあ、名前で呼ばないと、失礼かなって……」
玲はしどろもどろになり、目も泳いでいた。そんな姿にとても珍しさを感じた。
「いい心がけですね」
「うざいな」
玲の一言はとても冷たいものだった。
その後は、玲は残っていたものを全て食べつくしていった。なんでもないような会話をしながら。僕たちは普通の会話を楽しむことができた。今までみたいに自分たちの思い気持ちばかり話すのではなく。こんな風に過ごす時間が続けばいいのにと思った。
その後例と何度か食事をしたり、買い物なんかで出かけることも多くなった。その時は、星の話をしたり、音楽のことを話したり、何でもない日常的な会話をすることが多かった。続いてほしかった幸せな時間はそう長くは続かなかった。
夏休みに入り一週間程経った頃、玲に夏祭りに誘われた。毎年盛大な花火が話題になる祭りだ。玲は「どうせ誰ともいかないんでしょ」と言い、ほとんど強制的に連れてこられたようなものだ。もし予定があったらどうするつもりだったのだろう。
「それにしても人多いな」
「まぁ、仕方ないでしょ」
人込みと暑さにやられ始め、僕は来たばかりなのにもう半分くらい帰りたい気持ちが募ってきた。それに対し、玲は涼しげな表情をしている。玲は紺色の浴衣を着てきている。白い花が描かれていて、シンプルだがとても可愛らしい。玲は浴衣もとてもよく似合っていた。
「とりあえず、花火が始まるまで時間があるから屋台でたくさん買い込んでおきますか」
「さすがだね……」
浴衣で締め付けられていても玲の大食いは健在のようだ。
玲は、焼きそばやたこ焼き、かき氷、イカ焼きなど手に持ち切れるだけ買い込んだ。
「……少し買いすぎた気がするわ」
「まぁ、余ったら持って帰れば良いわけだし。なんとかなるんじゃないかな」
「それもそうだね」
玲はやってしまったという顔からすぐに明るい顔に戻っていた。
それから僕たちはベンチを見つけ、買い込んだものを食べ始めた。
「ここから花火って見えるのかな?」
「ちょっと見にくいかもしれないね」
玲は結局買ったものほとんどを食べつくし、今は綿あめを食べている。
「でも、座って見られるんだからここで見るのもいいかもよ。泉、もう疲れたでしょ」
「バレてたか」
「分かりやすいのよ」
玲は僕のことを気遣ってベンチを選んだのかもしれない。時々優しい所がある。せっかくだからいつも優しくしてくれればいいのに。
その時、ドーンと大きな音が響いた。花火が始まったのだ。連続して上がる花火を前に玲は綿あめを食べる手を止めて、花火を見ていた。玲の瞳は、花火を反射してキラキラと輝いて見えた。
「泉」
玲は花火から目を外さずに言った。
「私、死のうと思う」
そういった玲の瞳は死を語るときの闇を携えた瞳ではなく、喜びに満ちた瞳だった。
「何で、突然?」
「突然じゃないでしょ。もう決まっていたことなんだから」
玲はやはり嬉しそうな顔をしており、僕はなんだか苦しくなってしまい、目を逸らした。
「きらきら輝く様な世界の中で、そのきらきらの中に包まれていきたいなって心の底から思ったの。だからだよ」
そう言いながら微笑む玲は、今まで見た中で本当に幸せそうで、目が離せなくなる。
「だから、泉。私の最期を見守ってくれる?」
「えっ……」
「うん。そしたら私、一番幸せに逝けると思うの」
僕は……一体どうしたら良い? 玲の幸せと僕の想いと。その狭間で揺れてしまう。だけど、僕が願うのは……。
「分かった。最期を見届けるよ」
そう言うと玲はまた微笑み、花火に視線を戻した。
花火は最後の特大の物が打ち上がった。花火はあっという間に消えてしまい、夜空はまた暗闇に包まれた。
玲がいなくなる日。僕は目を覚ますのがとても嫌だった。目覚めたくなんてなくて、この日が来るのを拒否したくて、でも玲を待たせるのは嫌だな。そんなことをひたすら考えながら起きた。正直言って眠れてなんかいない。体を引きずるようにして僕は玲との待ち合わせ場所へ向かった。待ち合わせ場所に向かいながら、笹本に言われたことを思い出した。きっと笹本は玲に何かあった時、止めてほしかったのだろう。笹本には申し訳ないことをしてしまったな。だけど直接頼まれた訳ではなかったし、聞いてなかったことにしよう。
待ち合わせ場所にすでに玲はいた。玲は真っ白なワンピースを着ている。死に装束という感じだろうか。
「早いね」
「そりゃ気合入ってますから」
玲はニコニコしている。そうとう楽しいのだろうな。
「で、今日はどこに行くの?」
「あの場所ですよ」
玲は意味深に言った。あの場所。心当たりがない。何処だろうか。
僕は玲に案内されるままについて行った。辿り着いた場所はあの日、玲と僕が初めて出会った歩道橋だった。
「やっぱりここからの景色は最高だね」
玲は歩道橋から身を乗り出すようにして線路を見ている。そのまま落ちてしまうのではないかという不安定さがある。
「この場所で、終わりにするの?」
「そうだよ」
そう言って、玲は歩道橋の「よっ」と柵の上に乗った。
「そんな顔しないで」
玲は細い柵の上にバランスよく立っている。僕はどんな顔をしているのだろうか。泣きそうになっているのがバレてしまっているのだろうか。
「泉、今までありがとうね。私、泉と出会えて良かったよ」
「……こちらこそ」
僕は泣きそうになるのを何とか耐えているため、言葉に詰まる。
「私が死ぬの、止めると思ったよ。何で止めなかったの?」
「何でって……。それが、玲の望みなんだろ……」
「ふーん」
玲は少しキョトンとしている。それもそうか。死んでほしくないって散々言っていたからな。
「そっかぁ。それは嬉しいな」
玲はまた線路の方を向く。そのまま逝ってしまうのではないかという不安に駆られる。
しかし、そんな不安は杞憂だったようで玲はすぐにまた僕の方に向き直る。
「はい、じゃあ握手」
玲は僕に手を差し伸べている。僕はその手をしっかりと握りしめた。
「私がいなくなっても、泣いちゃだめだよ?」
「泣かねぇよ」
「……嘘つき」
意地悪に笑う玲に対し、意地を張ってみたが、僕の頬は濡れているような気がする。
「じゃあね、泉。元気でね」
「あぁ、またな」
玲は、重心を少しずつ後ろに倒していった。
僕は繋いでいた手から、ゆっくりと、力を抜いた。
するりと、玲の手が僕の手から離れる瞬間、玲はとても優しく、美しく微笑んだ。
鳴り響く金属音。電車が放つ、鋭い警報。何かを巻き込んでしまったような不自然な音。
僕はそんな音ばかり聞いて、眩暈がして、その場に座り込んでしまった。
最後に見た玲の表情は幸せそうで、その表情が僕の目にこびり付いて離れない。こびり付いたものはもしかしたらもう二度、僕の目の前から消えないかもしれない。
でも、それもいいのかもな。玲のことを忘れないで済むし。
眩暈も落ち着き、僕は空を見上げた。澄んだ青空はどこまでも遠くに繋がっているような気がした。
「あー、死にたいなぁ」
終
死にたい少女と死が怖い少年の話 桜木翡翠 @sakura-hisui
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