本文



 物事には必ず始めと終わりとがある。生あるものは必ず死に、栄えるものはいつか滅びる。

 揚子法言に残された言葉は、今の社会では否定されるものとなっている。


 化学技術が発展したことで、ありとあらゆる臓器を機械で代替させることができ、人は死から遠ざかっていった。現総理大臣は全身の機械化を推奨し、自らを不死の存在に近づけ、総理大臣職を四十年継続している。実年齢でいえば百を超えているものの、見た目は総理になったときと同じ。老いず衰えず、変わり映えのない政治を続けていた。


『我が国は、素晴らしい発展により、長寿国となっています』


 電車内で流れた映像は、国会中継のようだ。幾人ものスーツを着た男性が黙って総理の声を聞いている。


『我々は長い人生の中でなさねばならないのは今後の未来を作り出すことです。そのためにはさらなる化学の発展と――』


 電車が大きく揺れ、藤間伊月は画面から目を逸らし、窓の外を見た。

 そこから見えるのは灰色の街。くすんだ色の建物が並び、今にも崩れそうながれきの山もある。車は通っておらず、ゆっくり歩く人がわずかにいた。

 伊月の後方にある窓へちらりと目を向ければ、高層ビルが建ち並び、それに負けないマンションがそびえたつ。車通りも多く、行き交う人に活気があった。


 線路を挟んで百八十度異なる世界。自分が普段生活しているのは後者の世界であるが、いつ移動することになってもおかしくない立場である。


 これだけの差が生まれた日本が、今、国民にすんなりと受け入れられている。


(必要なのは未来じゃなくて、今だろうに……)



『扉が開きます。ご注意ください』


 電車が止まり、扉が開いた。伊月の目的地である駅だ。

 抱いた不満は誰に届くわけでもなく、画面に映る総理大臣を睨むようにして電車を降りた。



 ☆



 唯一平等に照らす太陽が輝く空の元、伊月は体育の授業を校庭で受けていた。

 今行っているのは体力測定。男女共通で行われ、校庭は賑やかになっていた。めったにない合同での体育授業のため、男女ともに同性だけでなく異性にも注目して走る姿にくぎ付けになっている。

 伊月は順に並び、五十メートル走測定の番になった。後ろに並ぶ生徒に力を借り、両手を地面につき、つい足で地面を蹴るクラウチングスタートの姿勢をとる。スタートを告げる声で走り出し、同時にスタートしたクラスメイトよりも遅れてゴールした。


「藤間。八秒ゼロ一」


 告げられた記録は男子平均よりやや遅め。自分の運動能力の低さはわかっていたが、こうしてさらけ出されると嫌になる。

 記録係から今回の秒数が個人票に書き写され、それを受け取った伊月は次の種目へと移動しようとしたとき、次に走った男子が何やら盛り上がっている。直後、記録係から渡されたであろう用紙を受け取って、ガッツポーズをしていた。


「俺の足、やっぱ調子いいわ! 見ろよ、これ!」

「何……五・四一!? やば、バケモンじゃん」

「だろっ! 足を変えたかいがあるわ!」


 三人の男子が集まった中心。好記録を残した男子が自らの足をさらけ出して自慢する。どうやら、彼は自らの足に手を加えたようだ。


(足の機械化か)


 伊月はいつもの黒い手袋をしながら彼らの声を聞いた。


「高かっただろ、足」

「まあな。さすがにDeonextデオネクストのハイランク品は無理だったけど親に金借りてかなり下位ランクのをつけられたんだぜ」


 Deonextデオネクスト社。

 体に適応する機械を提供している大手企業。流通している機械のほとんどがこの会社のものである。

 四肢に限らず、臓器や皮膚も。見た限りでは、違いがわからないほど人に近い構造をした臓器を提供している。医療目的で導入するだけでなく、美容目的で機械化する人も多数いる。

 機械にかかる費用。そして導入するための手術費。合わせればそれなりの価格になるため、今では機械化することがその人のステータスにもなっていた。


 高い機械ほど、見た目、耐久性、機能性がよい。この男子が手に入れた機械は、見れば太もも付近に境目があることから、そこまで高いものではないことがうかがえる。


(自分の足を切ってまで機械にするなんて馬鹿なやつ)


 そこまでして自分を着飾りたいのか。伊月にはとうてい理解できなかったし、理解する気にもならなかった。

 もう話を聞くことをやめ、伊月は背を向ける。


「あの子、はっや!」

「俺らより早いんじゃねぇの!」


 先ほどまでの男子生徒が声をあげた。さっきまでの盛り上がりから一転するほどの人物とは、いったい誰のことを言っているのかと振り返れば長い黒髪をポニーテールにした女子が走っているところだった。

 一緒に走っている女子との距離をどんどん開けていく。決してその女子も遅いわけではない。むしろ早い方だ。それを上回る速度で駆けていく姿に、男子の目どころか、順番を待つ女子もくぎ付けになった。


千葉ちば、六秒三二」


 一切スピードを落とすことなく走り終えて告げられた記録。先ほどの機械化した男子よりは劣るが、高校二年女子の平均よりはかなり早い。男子である伊月を上回る速さだ。

 伊月には自分の運動能力を自覚しているので、女子に負けた悔しさは一切なかった。


「はあはあ……」


 走り終えた直後で、まだ息の整っていない女子の元へ、ぞろぞろと男子が集まっていく。その中に先ほどの足を機械化した男子もいた。


「早いね! 千葉さん。千葉さんも足、いじった?」


 まるで整形したのかというような聞き方だ。そのようなデリカシーの欠片もない聞き方で、たとえ機械化していても素直に答える者はいないだろう。

 千葉と呼ばれた女子は、一瞬鋭い目をしたがすぐに笑顔を作って答える。


「いいえ。私は私のままであるために機械は必要ありませんから」


 そう言いきって、彼女は記録表を手に立ち去っていく。

 その姿は凛々しい。

 残された男子は、彼女に向けて「かっこいい」とつぶやき、すでに機械化してしまった男子は強く唇を噛みしめた。

 そして、発言を聞いていた女子は鋭い目を送った。



 ☆


 放課後。伊月は日直としての仕事を終え、帰ろうとしていた。

 教室で荷物をまとめ、昇降口へ向かう。この後の予定は何もないが、無駄に外を出歩くのは疲れが残る。伊月はまっすぐ帰ることを決めた。


「――っだよ!」


 一瞬聞こえた声。はっきりと聞こえなかったが、何かに怒っているようだった。

 もう部活が始まっている時刻。校内では文化部が精を出しているところだ。きっと部活内でもめ事があったのだろう。そう思い、気に留めないのが常だったが、今日の伊月は暇つぶしを兼ねて覗いてみようと思った。


 声が聞こえたのはどうやら校舎の裏の方。息をひそめながらその場へと向かう。


「てめぇ、調子のってんじゃねぇよ」


 今度ははっきりと聞き取れた。声は校舎裏で日に当たらず、人通りもほとんどない場所からだ。

 近づくにつれて、伊月は気配を殺す。校舎の角で身を隠して距離をとりながら何が起きているのか見てみると、どうやら三人の女子が一人の女子を囲んでいるようだった。


 いじめだろうか。そう思った矢先、対立している女子が口を開く。


「何を勘違いしているのか知らないけれど、私はあなた達に関わる暇はないの」

「はあ!? んだよ、その口。てめぇ、あたしらを馬鹿にしてんだろ?」

「馬鹿に? どうして? あなた達に関わった記憶がないのでわからないわ」


 怒る女子を前に、まるで動じず淡々と答えているのは、あの体育の授業時に好記録を残した千葉だった。


「だーかーら! あたしらが機械化しているのを知った上で、体育んときに馬鹿にしただろ!」

「……? 何か言ったかしら? そもそも貴方と話してないし」

「あたしは聞いたよ。機械は必要ないって。私が私であるためにって」

「ああ。確かに言いましたね。でも、それになんの恨みがあると? 別に事実を言ったまで。私には機械は必要ないし、大嫌いなので今後入れる予定もありません」


 確かに千葉は自分の考えを述べただけなのだろう。間違いもない、素直に答えているだけだ。なのに、他の女子から怒りを買っている理由がわからずにいる。


「その態度っ……いい、教えてやる! お前と走ったこの子! 機械化してる上に陸上部なんだよ! お前のせいで面目丸つぶれだ」

「まあ、そうなんですね。お気の毒に。機械を入れたところで、実力がなければ負けてしまう。これを機に、ご自身を見つめなおしてみれば?」


 ドーピングして負けたに近い。敗北した女子は泣き始める。

 自分の言葉が彼女を泣かせているとは思ってもいない千葉は頭上にクエスチョンマークを浮かべた。


「クソ腹が立つ女! そこまで嫌いなら、大嫌いな機械を入れなきゃいけない体にしてやんよ!」


 声を荒げた女子の手に光る何かが見えた。それが刃物だと気づくまで、時間はかからない。

 とっさに伊月は行動に出る。


「先生、わざわざこっちまでありがとうございます」


 聞こえるように大きな声で言う。もちろん、伊月の傍に教師などいない。だが、怒りに狂っている女子には効果があった。


「やべ、先生きたっ」


 バタバタと走って逃げようとする女子が二人。だが、一人、ずっと口を閉ざしていた短髪の女子が首をかしげる。


「早く逃げるよ」

「待って。本当に先生がいるの? いるならもっと声が聞こえてもいいでしょ。私、耳を変えているから聞こえるはずなの。でも、先生の声なんて聞こえない」


 冷静に言いきる。それに納得したのか、逃げようとした足を止める。


「確かに。だったら、嘘つきが近くにいるってことじゃん。あたしらを見た罰だ、口封じしないと」


 三人が顔を見合わせる。そして、足に機械を入れたという女子が走り出し、伊月が身を隠す場所まで一気に距離をつめる。


(まずい……)


 逃げなくては。そう思った。

 気まぐれで行ってしまったことで、今後の高校生活に影響が出てほしくない。逃げ道を探り、走ろうとしたとき、バランスを崩して伊月はよろける。転ばぬように校舎の壁に手をついたが、思いっきり擦ってしまい、劣化してしまった手袋が裂け、あらわになった手から血が流れだす。


 じわじわ襲う痛みをこらえて、再び前を向いた直後。


「ぶぐっ!」


 醜い声がした。合わせてどさっと転がる音も聞こえる。

 何が起きたか振り返って間もなく、黒髪をたなびかせて千葉が猛スピードで校舎裏から姿を現した。


「あ……走って」

「え、え? ちょ……」


 先ほど出血した手を掴まれ、伊月は走らされる。

 千葉の早さは群を抜いている。到底伊月が追い付けるような速さではない。数秒で足がもつれ、転倒した。

 今度は顔から地面に落ちる。

 コンクリートで舗装された地面が、伊月の血を吸う。

 その様子でわかったのか、千葉は一度足を止めた。だが。


「走って。せめて保健室まで」

「……言われなくても」


 今度は手を引くこともなく、二人は走る。

 千葉を囲っていた女子たちははすぐに諦めたようで、追う人物はいなかった。



 ☆



「ぜぇぜぇ……」


 保健室までたどり着いたとき、伊月の息はこれ以上にないほど上がっていた。対して千葉の顔色は何一つ変わっていない。これだけで疲れるなんて情けない。そう千葉の顔は言っている。


 あいにく保険医は不在。だが、鍵はかかっていなかったので、一時的に席を外しているだけのようだ。


「そこに座ってちょうだい。手当てするから」


 千葉が指し示す先には、移動式の背もたれがない椅子。体力もない伊月はひとまずそこに座った。

 その間に千葉は手当てに必要な物を探し集める。

 血が出ている部位は顔と手の二カ所。傷口は浅く小さい。そう判断して、用意したのは消毒液とガーゼのみ。


「傷口洗って?」


 やっと伊月の息が整ってきたとき、思考も正常に戻ってきた。


「なんともないのか?」

「何のこと? 私は何もないけれど?」

「そうか」


 脈絡のない質問にも関わらず、千葉は答えた。しかし、やはり疑問に残ったのだろう。伊月が立ち上がり、室内にある水道で創傷部位を洗う間をとってから聞く。


「どういう意味の質問なの? 彼女たちに何かされてないかということ?」

「…………そうだ」


 千葉が伊月を凝視する。

 傷口を洗い、汚れや血を洗い流すと千葉の澄んだ目とあってしまった。


「とんだ嘘つきね。しかも、嘘をつくのがとても下手。分かりやすいことこの上ない」

「は? いてっ……」


 出していた消毒液は使わず、千葉は大きめの絆創膏を顔の傷口に貼る。

 決して丁寧ではなく、貼った直後に軽くペチンと叩くほどだ。続けて手の方にも貼っていく。

 こんなことをされたのは、伊月にとって初めてだった。


 今も昔も、伊月は人に嫌われ、避けられてきた。だから、手当てをしてもらったこともない。

 今回やや雑であるものの、人に触れて貰ったことに胸がざわつく。


「私は機械を取り入れてないし、貴方に触れたところで死なないわ」


 突然の言葉に伊月の心臓が強く音を立てた。

 触れる。死。

 この二つの単語が伊月の持つが何なのかを説明するのに欠かせないものだからだ。

 なぜ千葉がそのような発言をしたか。

 伊月の中で、一気に千葉が怪しい人物というタグがつけられる。


「私は貴方の事を知っている。貴方が持っているそのについても」


 伊月はすぐさま千葉から距離をとった。

 目を見開き、身の危険を感じて身構える。千葉を敵と認識し、睨んだものの千葉は臆することはない。


「安心してちょうだい。私はその力をバラそうなんてしてない。ただ、貴方に協力してほしいだけだから」


 鵜呑みするわけにもいかない。警戒心をそのままに、伊月はいつでも逃げられるよう目で逃げ道を探る。

 その左右に動く瞳から、千葉は何をしているのか推測できていた。


「怪しむのも無理ないわね。私の事情を説明する。それを聞いてから、私のことを判断して?」


 伊月の声を聞くこともなく、千葉は語り始めた。

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