第6話 5

 マイルズさんの声が女湯にも聞こえてきて、その切迫した声色に、わたしは湯船から立ち上がる。


「――レイナ、サティをお願い!」


 同じように立ち上がったサティをレイナに任せて、脱衣所に向かう。


 身体を拭く時間も惜しかったから、指を鳴らして温風の魔法を喚起。


 瞬く間に水滴が払われて、わたしは服を着込んだ。


 入り口に向かえば、ズボンにシャツだけのノルドが、マイルズさんと一緒に飛び出してくる。


「マイルズさん、なにがあったの?」


 そう尋ねれば。


「田の向こうの漁港予定地があるだろう? そこに獣属の子供が流れ着いたみたいなんだ!」


 マイルズさんも、狩りの帰りに衛士に声をかけられて、ノルドを呼んで来るよう言われただけで、詳細までは知らないらしい。


「獣属が?」


 彼らは東にあるリュクス大河の向こうの大森林で、小規模な集落を築いて暮らしているはず。


「……渡河してきたのか?」


「流されてきたのかも……

 大人でも大河を泳いで渡るのは大変なはずよ」


 狭いところでも川幅は二〇〇メートルはあるのだもの。子供が渡ろうとして渡れる距離じゃないわ。


「とにかく港だな? 行ってみよう」


 そうしてマイルズさんを残して、わたしとノルドは東に向かう。


 火と風の複合魔法による高速移動法で、田園地帯を滑空するわたしに、身体強化だけで並走するノルド。


 ものの数分で、わたし達は河原を整地した漁港予定地に辿り着く。


 多くの木材の山の向こうから声が聞こえて来たから、わたし達もそちらへ向かったわ。


 仮建造の桟橋のたもとに、巡回中だったと思しき三人の衛士が居た。


 彼らが囲んでいるのが、マイルズさんが言っていた獣属の子供だろう。


 毛むくじゃらな身体に、ピンと尖った犬系の耳。獣の皮をなめした腰巻きを巻いていて、性別まではわからない。


 溺れたのか、ぐったりと横たわるその子供に、衛士のひとりが必死に声をかけながら、ノルドが衛士訓練で教えている心肺蘇生法を繰り返している。


「――あ、御館様! 奥様も!」


 衛士のひとりがわたし達に気づいて、そう声をかけてくる。


「――変わるわ!」


 わたしは蘇生を試みている衛士に声をかけて、場所を譲ってもらった。


 真っ青な顔で横たわる子供は、やっぱり溺れたのでしょうね。


 ――息をしていない。


 胸に手を当てれば、蘇生法が効いたのか、わずかだけど鼓動を感じた。


 呼吸を回復させないと!


 わたしは獣属の子の口元に右手を押し当てる。


 魔道器官に魔道を通し、慎重に出力を調整。


「――吹きそよぎ、包め……」


 唄う喚起詞は、わたしのオリジナル。


 あまり知られていない事だけど、この世界の魔法はイメージとそれを表す『詞』を正しく唄えれば、いくらでも応用が利く法則になっているのよね。


 今のイメージは、肺の中に溜まった水を、風精によって吹き流し、包み込んで口へと逆流させるというもの。


「――げほっ! げっ、げえぇぇ」


 途端、子供は水を吐き出したから、わたしはその子の身体を横に向けさせて、その背を撫でる。


「苦しいわよね。もうちょっとだから頑張って……」


 風精で強引に水を吐き出させてるんだもの。苦しくないわけがない。


 体内を傷つけないよう慎重に。けれど、なるべくこの子の負担が少ないように、わたしは急いで水を吐き出させる。


 やがて水がなくなったのか、子供の口からは風精によるひゅーひゅーという笛のような音だけが漏れるようになって、わたしは魔法を止めた。


「――頑張ったわね。もう大丈夫!」


 そう告げて、子供の頬を撫でてやると、意識を取り戻したのか、子供はぼんやりとした目でわたしを見上げてきた。


「……ワ、タスカッタンズ?」


 独特のイントネーションを持った言葉を口にする。


 思わずわたしは目を剥いた。


 まさか生まれ変わってまで耳にするとは思わなかったわね……


 わたしは子供の手を握って、微笑みを浮かべる。


ンダそうよあなたナガサレデキタハンデ流されて来たからワンドガタスゲダンダわたし達が助けたの


 生まれ変わってからは一度も使っていない――前世の時でさえ、しばらくは使っていなかった……故郷の方言。


「――ユリシア、おまえツガル語がわかるのか!?」


 ノルドが驚いたように訊ねて来る。


 どうやら獣属の子が話した言葉は、この世界ではツガル語と言うらしい。


 わたしが話したのは、前世の故郷の方言――津軽弁。


 妙な符合を感じながら、わたしは後に立つノルドを見上げる。


 ……いまはそこを考察してる場合じゃないもの。


「いつも言ってるでしょう? 勉強は得意なのよ」


 そう言って微笑めば、ノルドは無精ヒゲまみれのアゴを撫でて、感心したようにうなずいた。


 転生云々なんて言ったって、頭がおかしくなったって思われるだけだものね。


 学園で学んだ事にすれば、ノルドは追求して来ないでしょう。


 案の定、ノルドはそれ以上は追求せず、わたしの隣に膝を追ってしゃがみ、獣属の子を見下ろす。


「あーっと……ワハ俺はコゴノオサナンダバッテここの長なんだがナバタスケテンズヨ君を助けたいんだ


「――あなたも話せるんじゃない!?」


 わたしが驚くと。


「冒険者時代に北に行くこともあったからな。その時に付き合いのあった鬼属に教えてもらったんだ」


 ノルドは気恥ずかしげに頭を掻いて、そう説明した。


 ノルド大河の対岸、東部や北部は獣属や鬼属の領域で、どうやらツガル語は彼らが日常で用いる言語らしい。


 ……付け焼き刃の割には、ずいぶんとイントネーションがうまいわよね。


 馴染むほどに長期滞在したのだろうか?


 彼の冒険者時代の話はとにかく無茶苦茶だから、そうだったとしても不思議ではない。


「――マンズとりあえずナバワノシロニツレデグバッテ君を俺の城に連れて行くがエガ良いか?」


「……シロ? アノイシノデッケダヤヅあの石の大きいやつ?」


 獣属の子供は、ぼんやりした視線を領城に向けたわ。


 ノルドは優しい笑みを浮かべてうなずく。


ンダそうだナバヤスマセネバマネハンデナ君を休ませないといけないからな

 シロダバ城ならナヲナオセルシ君を治せるしユッタドサセルコトモデキルハンデ休ませる事もできるから


 そう言って、ノルドが頭を撫でると、獣属の子は安心したように目を細めた。


「……ンダバそれじゃタノムジャ頼むわ


 そのままコトリと寝入ってしまった獣属の子供を、ノルドは軽々と抱え上げる。


「よし、んじゃあ帰るか」


「そうね」


 と、わたし達が踵を返そうとすると。


「お、御館様、ど、どうなったのですか!?」


 衛士達が呼び止めてくる。


「ああ、そうね。あなた達は言葉がわからなかったから、わからないわよね」


 わたしもノルドもツガル語がわかったから、すっかり彼らにも状況が伝わってるつもりになってたわ。


「とりあえず城に連れてって休ませる事にした」


 あっけらかんと答えるノルドに、衛士達は驚く。


「――じゅ、獣属をっ!? 大丈夫なのですか!?」


 リュクス大河によって、獣属の領域であるオーウ地方とわたし達が暮らすルクソール王国は隔てられているとはいえ、今回のように彼らが大河を渡ってこちら側に来る事がある。


 小規模な部族単位で狩猟生活を送っている彼らは、ルクソール王国の文化水準に比べるとひどく原始的で、だからこそ出会ってしまうと、互いに軋轢を生んで来た。


 一般的なルクソール人にとって、獣属とは蛮族の一種であり、忌避する存在と捉えられているのよね……


 助けようとしていたのだから、衛士達にそこまで強烈な差別意識はないようだけど、城に連れていくというのは、さすがに戸惑ったみたい。


「子供になにができる? 責任は俺が持つさ」


 ノルドはそう言って、不安を口にした衛士の肩を叩いた。


「それと、この子の親が探しに来るかも知れない。

 今日の夜警は大河沿いを念入りに行うように、申し送りをしておいてくれ」


「こ、言葉はどうしましょう?」


 今期の衛士は、その大半がルキウシアが街になってから、ノルドに憧れてやってきた、冒険者上がりの若い人が多い。


 探せばノルドのように話せる人もいるかもしれないけれど、ここにいる三人は話せないようね。


「もし現れたなら、俺かユリシアを呼んでくれ。

 ああ、あと北部出身のジジイ達も話せるはずだから、急ぎなら叩き起こして頼んでみろ」


 北部の一部の村々は、鬼属とお酒の交易をしているものね。


 話せる人がいたとしても不思議ではない。


「それじゃあ、頼むわ」


 そう告げるノルドに、衛士達は敬礼を返して。


 わたしとノルドは彼らに見送られて、領城への帰路に着いたのだった。

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転生一家の『優しい』幸せの探し方 ~前世で家庭崩壊だったから、今度こそ家族で幸せになる~ 前森コウセイ @fuji_aki1010

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