第13話 穂高さんはセラピーを受ける
今日の放課後は秋津さんがいなかった。陸上部に出るんだそうだ。大会が近いから、一年生が休むわけにはいかないとのこと。
そんなわけで、生徒会室には僕と穂高さんしかいなかった。どっちもノートパソコンの画面に向かい合っている。海景高校の生徒会って、本当にやることが多かった。
無言の時間が続く。そしてこんなときになにが起るかは、だいたい想像がついた。
「カップルセラピーだ」
穂高さんが聞こえるように呟いた。
今さら穂高さんがなにを言い出そうと僕はたじろがない。いちいち驚いていたら身なんか持たないのだ。毎朝このことを胸に刻んで登校している。
それでもこれには動揺した。聞き慣れない単語だということと、中に「カップル」が混じっていたからだ。
「それなんです?」
「昨晩海外ドラマを見ていたら出てきたんだ。内容は良かったが吹替えが棒だった。タレントを使っちゃ駄目だな」
「番組の事情はともかく、カップルセラピーって?」
「文字通りだ。親密な二人が、関係がこじれたときに訪れるカウンセラーだ」
僕は知らなかったんだけど、ようするにカップルやら夫婦やらが訪れ、悩みを聞いてくれるお医者さんらしい。相談の結果、仲が戻ったりするそうだ。医者みたいに国認定の資格が必要なのかは知らない。アメリカには大勢いるらしく、ドラマのネタになるほど一般的なようだ。
穂高さんは目を輝かせていた。
「一緒に行こう」
「えーと、話の流れからいって、親密の二人ってのは僕と穂高さんですよね。カップルでしたっけ」
「これからなるんだ」
「こじれました?」
「それもない。君と関係がこじれるなんて最悪だ。私は屋上から飛び降りるしかなくなる」
「そんなことしようとしたら、全力で止めますから」
穂高さんはにこりとした。
「優しいところも君の利点だ」
「カウンセラーって、どこかの病院に行くんですか」
「そこまではしない。君にも負担をかける」
「でもこういうのって病院だと思うんですけど」
「保健室に行く」
僕はちょっと首を傾げた。もちろん保健室のことは知っているが、小学校中学校と行ったことはない。こうみえて健康体だ。
常駐しているはずの先生のことも知らなかった。だから行くと言われても、どこなんだと思っていた。
「うちの学校では、養護教諭にその手の相談を持ちかけるんだ」
あとで聞いたところによると、海景高校で保健室の先生となるには養護教諭の資格がいる。今いる人が親しみやすいらしく、生徒がよく相談をするんだそうだ。
「生徒会長の悩みも聞いてくれるだろう」
「カップルセラピーなんてやってくれるんですかね」
「恋愛相談も多いらしいから大丈夫だ」
さっそく行こうと穂高さんはうながした。僕は「予約無しで平気かな」と心配しつつも、従った。
保健室は教職員の部屋がある棟の一階にあった。わざと外からも廊下からも見えにくい場所にあり、生徒のプライバシーに配慮されている。
僕たちはノックすると堂々と入った。室内は半分が薬品棚と広めのテーブル、もう半分はカーテンで仕切られてベッドが置かれていた。
「失礼します」
「はーい……。会長さん?」
椅子ごと振り返ったのは綺麗な女性だった。ウエーブのかかった髪に垂れ目気味の瞳。その下の泣きぼくろ。養護教諭だからか控えめなメイクだったが、それでも美しさが伝わってくる。名を
組糸先生は穂高さんのことを知っていた。それだけではない。
「そちらは……一年生の能島君ね」
「僕のこと知ってるんですか?」
「入学式で前にいたでしょ。見てたわよー」
にこりとしている。穂高さんとは違った美しさがあった。
僕は思わず微笑みを返してしまった。穂高さんはほんの少しだけ僕を睨むと、椅子に座った。
「相談事があります」
「あらー。会長さんなんて、相談を持ち込まれる方でしょう」
「私に相談してくる生徒はいません。おかげで存在意義を疑っていました」
「会長さんクールだものねえ。叱られると思ったんじゃない?」
「叱られると自己分析できるのなら、相談の必要はそもそもありません」
「そういうところねー。今日はどんな用なの?」
「実は恋愛の相談なのです」
組糸先生の顔が輝いた。
「あらー。やっぱり会長さんも女の子なのねー。恋の話なんて」
「カップルセラピーです」
はじめて組糸先生が戸惑った様子を見せた。
「はい……?」
「セラピーを受けたいのです。カップルセラピーというのは……」
「それは知ってるわ」
そこで組糸先生は、分かったと言うような表情をした。
「能島君とカップルなのねー。校内で話題になるわね。大丈夫、先生は口が固いから、このことは絶対他には」
「いいえ。むしろ言い触らして欲しいと思います。佐々波穂高は能島浩也君とカップルになれて大変幸せだと」
「まあそうだったの。じゃあカップルだってみんなに言って欲しいのねー」
「まだカップルではありませんが」
組糸先生が目をぱちくりさせた。
「……違うの……?」
「私たちはまだ付き合っていません」
「なんでカップルのことを……」
「なったらして欲しいからです。私の言うことを聞いていますか?」
「聞いてるわー……多分」
「まだ告白の段階です」
組糸先生は口の中で、穂高さんの台詞を反芻していた。
「じゃあ能島君から告白されたのね」
「いえ」
「分かったわ」
合点がいったみたいな顔をして、組糸先生は両手を合わせた。
「会長さんが告白したのね。クールで有名な会長さんからなんて」
「してません」
「……これも違うのねー……」
穂高さんは渋い表情を作った。
「なぜ告白したしないになるのですか?」
「普通はそうなのだけど……」
「私は告白のことなどひとことも言ってません」
「そう言えばそうねー……」
「私たちはカップルセラピーを受けたいのです」
「でもカップルじゃないのよねー」
「告白もしてません」
「先生はとても混乱してきたわー」
穂高さんはある意味冷静だが、組糸先生は絶望的な顔だった。気の毒になり、僕は声をかけた。
「組糸先生、こっちへ」
カーテンの向こう側に呼ぶと、かいつまんでこれまでのことを説明する。入学してから起ったことはダイジェストだが全て伝えた。
元の席に戻ってからしばらく、組糸先生はよりいっそう絶望的な顔となった。
「事情は聞いたけど……変わってるわねー……」
「能島君の悪口は止めてください。未来の彼氏です」
「会長さんのことだったんだけど」
「それなら言われ慣れてます」
「先生どうやってアドバイスしたらいいか分からないわ」
「組糸先生は恋愛経験がないのですか。大人なのに」
「馬鹿にされても反論する気力がないわー」
「先生から見てどうしたらいいと思いますか」
穂高さんは真面目に質問していた。顔立ちがいいから、本気さに拍車がかかっている。対照的に組糸先生はいますぐ吐きそうな表情だった。
「そ、そうねー……お互いよく話し合うのがいいんじゃないかしら」
「すでに二人の違いを書きだして見比べるなどの対策は取っています」
「先読みされてるのねー」
「他にないでしょうか」
「プレゼントをお互いに贈るのはどうかしらー」
「カップルでもないのに?」
「いいと思うけど……」
「けじめはきちんとつけたいのです。私が能島君を好きなのは嘘偽りありませんが、やはり告白するほど完璧な女ではないのです。私自身の努力と、周囲の協力が必要です」
「先生を巻きこまないで欲しいわー……」
「養護教諭ですよね?」
「辞職していいかしらー……」
「組糸先生も義務を果たしてください」
また真面目な顔で詰問している。
組糸先生は目を白黒どころか、虚ろになっていた。だんだん反応がなくなり、軽く触れただけで砂になってしまいそうだ。
僕はそっと発言した。
「あの……穂高さん」
「君からも先生に頼んで欲しい」
「僕たちはまだカップルじゃないですよね。でも組糸先生は、カップルになってから相談して欲しいと思うんですよ」
穂高さんが僕を見た。
「ほう。つまり?」
「僕たちには相談する資格がないってことです。穂高さんが僕と付き合うには自分を改良しなきゃと思っているのと同じです。相談するにはまずカップルになる必要があるんです」
僕は断言した。
この理屈に付き合ってくれるかどうか。穂高さんはしばらく考え、組糸先生の真っ白だった顔には徐々に血色が戻ってきた。
「……なるほど」
穂高さんがうなずく。
「確かにその通りだ。カップルになっていないのに相談は傲慢だった。私はまだまだ未熟なようだ」
「未熟はないと思いますけど、そういうことです」
「組糸先生、謝罪します。間違ってました」
組糸先生は心の底からほっとしていた。
「良かったわー。これで解決なのね」
「なにかあったらまた来ます」
「秒で地獄に戻ったわー……」
穂高さんと僕は立ち上がった。二人で頭を下げる。
「これで失礼します。自身を見つめることができて、有益でした」
「先生は虚無だったわー」
「さすが我が校の保健室の先生です。生徒会のニュースメールにもこのことは載せます」
「晒しものは止めて欲しいわー……」
「きっと評判になるでしょう。それでは」
穂高さんはもう一度頭を下げた。僕も同じように礼をする。
ちらりと見ると、組糸先生は椅子に力なくもたれかかっており、口から生気が抜けていた。僕は心の中で手を合わせて詫びると、穂高さんの後を追った。
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