第12話 穂高さんは元カレが欲しい

 生徒会室に入ると、穂高さんが無言で窓の外を見つめていた。

 こうしてみると清楚でおしとやかだし、写真を撮ってSNSにアップすれば、瞬く間に「いいね」がつきそうだ。だが僕はそんなことしない。プライバシーの侵害なのと、心の中で異様なことを考えているに違いないからだ。

 僕は静かに席に着く。穂高さんはじっとしたまま動かない。


「そうか……」


 小さく呟く。


「元カレだ……」

「え……」


 僕は驚いた。というか動揺した。穂高さんが比較的まともなことを言ったのと、元カレという単語に対してである。

 元カレ。昔付き合っていた男。穂高さんの口から聞くことなんてないと思っていた。だけど考えてみたらこんなに綺麗な人なんだから、十人単位でいてもおかしくはない。ひょっとしたら百人。いや千人。ちょっと多いので八百人くらい。なに言ってるのか自分でも分からないが、それだけびっくりしていた。

 動悸を抑える。恐る恐る訊いてみた。


「元カレって……穂高さん付き合っていた人いたんですか……?」


 瞳が僕に向いた。不思議そうにしている。


「いない」

「じゃあなんで元カレなんて言ったんです」

「女として元カレがひとりもいないのは不自然だからだ」

「不自然じゃないでしょう。誰だって最初はいません」

「理屈としてはそうだが、いた方が市場価値は上がる」

「そうかなあ」

「女子で恋バナをするときの必須アイテムだ。彼氏がいたことと、今はもういないことで二度おいしい」

「食べ物扱いされるなんて、元カレもたまったもんじゃないですね」

「私は付き合っていた男がいない。おかげで恋バナに加われず、話がはじまるとカメみたいに手足を引っ込めているしかなかった」

「気持ちは分かりますけど……」

「実は恋バナをする相手もいないので、悠々手足を伸ばせていた」


 ようは友達がいないってことなのだが、穂高さんは何故か自慢げになった。

 彼女は僕を見つめた。


「というわけで、誰か男子を紹介して欲しい」

「なんで」

「おいおい。女友達もいない私に、男友達がいると思うか?」

「そうでしょうね……じゃなくて、僕に男を紹介する理由がないですよ」


 穂高さんは不思議そうな顔をしていた。


「私よりは男友達がいるだろう」

「そうですけど」

「じゃあ頼む。選り好みはしない。どうせ全員君よりレベルは下だ」

「いません」

「どうして」

「そりゃあ……」


 僕は二、三度口を開きかけ、なんとか喋った。


「……だって穂高さんには男を紹介するのが嫌だから」

「よく分からないな」

「なんで分からないんですか」

「人の心ほど不可解なものはない。県内一の進学校、海景高校トップの私にも理解できないものは多い」

「簡単だと思うのになあ」


 僕はそれ以上喋らなかった。穂高さんもやり方を変えた。


「だったら別の方法で元カレを作ろう」

「僕以外の人に紹介してもらうんですか」

「面倒だからこの場で作る」


 彼女は僕に指を突きつけた。


「つまり、能島君が私の元カレになるんだ!」

「…………」


 僕は平然と人差し指を見つめていた。正確には「爪の手入れもきちんとしていて綺麗だな」と思っていた。

 穂高さんは指を引っ込める。


「驚かないのか」

「慣れました」

「私は君を良く知っているし、好きだ。元カレでも不思議ではない。完璧な理論だろう」

「やっぱり慣れません」

「まったく知らない男子のことを調べるのも大変だ。君が元カレなら安心できる」

「僕と穂高さんは一回付き合って別れて、また付き合ったってことですか?」

「私が君と別れるなんてことするはずないだろう」

「なんなんです」

「能島君が私の元カレ、そこが重要なんだ」


 ひとりで納得している。穂高さんの頭の中では、きちんと繋がっている出来事のようだ。


「好きな人間が将来の彼氏と元カレを兼任する。こうすれば他の男に惑わされることもない。実に合理的だ」

「そうかなあ」

「さっそく自慢しよう」


 自慢する相手がいるのだろうか。穂高さん女友達いないって言ってなかったか。

 その時生徒会室の扉が開いた。


「遅れましたー」


 秋津さんが入ってくる。穂高さんは満面の笑みで歓迎した。


「ちょうど良かった。紹介したい人がいる」

「お客さんですか?」

「元カレだ」


 秋津さんはきょとんとした。


「元カレ……いたんですか!?」

「女子として当然だ」

「あたしはいないですけど……誰です?」

「彼だ!」


 紹介されたのはもちろん僕。秋津さんは驚愕の表情になった。


「能島君元カレだったの!?」

「信じないでくれ!」

「どうしてあたしに言わなかったの!?」

「なんで言うんだよ!」


 返事してから、自分の言葉のアホさ加減に気づいた。


「僕は穂高さんの元カレじゃないって! だいたい未来の彼氏になろうってのが、元カレなんて矛盾してるじゃないか!」

「だって未来の彼が元カレなら手っ取り早いし」

「どうして納得できるんだよ!」

「……そういえばそうだ」


 秋津さんは穂高さんに訊いた。


「どういうことなんです?」

「君が能島君に言った通りだ」

「新しいとは思います」

「人間は常に進歩しなければならない」

「どこに向かって進歩してるんだろ……」


 この嘆きは僕だ。穂高さんは聞いていなかったが、秋津さんの耳には届いた。


「能島君は気に入らないの?」

「だって嘘だし」

「穂高さんの元カレなんて、嘘でも言い触らす男の子いそうだけど」

「いないだろ」

「今ならともかく……ってのも失礼だけど、元ならいるんじゃない?」

「僕は違うんだ」

「なんで」

「だって……」


 秋津さんが僕の顔を見上げる。僕は喋るのを止めようとしたが、結局続けた。


「前に彼でもしょうがないじゃん。あんま意味ない。将来の彼氏の方がいいから」

「じゃあこれから穂高さんの彼氏になるのはいいんだ」

「もちろん」


 僕は言い切った。


「性格もこみで好きだから」


 秋津さんは「ほお」と言った。驚いたような、納得したような顔だった。

 彼女は穂高さんの元に近寄る。


「元カレの作り方に感心しました」

「褒めてくれてありがとう」

「あたしも作っていいですか」

「いいぞ。自由だ」

「じゃああたしの元カレも能島君にします」


 穂高さんの口がアルファベットのオーになった。


「だだだだ駄目だ!」

「いいじゃないですか。誰が元カレでも自由なんだから」

「能島君だけは駄目だ! 二股かけてることになるぞ!」

「あたしは気にしませんから」

「私は気にする!」


 穂高さんは今にも泡を吹き出しそうだった。対照的に、秋津さんは平然としている。


「そんなに駄目なんですか?」

「当り前だろう!」

「だったらこうしましょう。あたしも穂高さんも能島君を元カレにするのは諦めます」

「……諦めるのか?」

「はい。これで公平です。二股じゃなくなりますし」

「私まで元カレじゃなくなる必要はないだろう」

「じゃああたしも能島君は元カレってことにします」

「だからそれは……!」

「止めます?」


 秋津さんの問いに、穂高さんは口を開きかけたが、やがて軽く頭を振った。


「……元カレのことは止める」

「それがいいです」

「未来に目を向けるべきだった。元カレより未来の彼氏を確実にしよう」

「能島君と同じです。きっと喜びますよ」


 秋津さんは僕の方を見た。


「お礼はいいよ」

「一応言うよ。ありがとう」


 彼女は小声で僕に言った。


「やっぱり穂高さんってちょろいね」

「そこが可愛いんだよ」

「未来の彼氏は言うことが違う」


 秋津さんは僕の肩を軽く叩いた。


「でも能島君が元カレって、なんか諦めるのが惜しいなあ」

「本当?」

「どうだろうね。穂高さんとのこと、応援してるから」


 そう言ってから、彼女は少しだけ笑った。

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