第11話 穂高さんは教えてもらう

「能島君、生徒会行こう!」


 放課後。秋津さんは勢いよく僕に言った。

 気合いなのか好奇心なのか、目がキラキラしている。いつもエネルギーを持て余しているような人だけど、それが全部こっちに向いていた。

 僕は秋津さんを見返した。


「正気?」

「同じ役員に言う台詞じゃないと思う」

「生徒会行ったら引かない?」

「なんで引くの」

「だって穂高さん出し」

「変な人って噂だっけ。あんまり信じてないけど」

「でも、僕を未来の彼氏なんて言っちゃう人だから」

「いーじゃん」


 秋津さんはにやにやした。


「あたしそういうの好き。目の前で思う存分イチャイチャして」

「イチャイチャはこないだしたんだ」

「のろけ? 羨ましー」


 そうかなあ。

 説明しても恐らく分からないだろう。彼女は僕をうながすと、率先して生徒会室まで歩き出した。

 生徒会室には、例によって穂高さんが先に来ていた。掃除当番とかもあるだろうに、どうして早いのかいつも謎だ。


「来たな。秋津さんは今日が初日だな」

「はい! よろしくお願いします」


 秋津さんは足を揃え、きちんと頭を下げる。このあたりの折り目正しさは、さすが運動部だ。

 穂高さんは軽く咳払いをした。


「生徒会の仕事に難しいことはない。秋津さんはどんなことだと思う?」

「文化祭や体育祭の準備ですか?」

「違う。私が能島君にふさわしい彼女になるための行為全般だ」

「……なるほど」


 秋津さんは未来の彼女云々をすでに知っていたので、それほど驚かなかった。とはいえ、多少はびっくりしているようだ。


「いきなり飛ばしますねえ」

「褒め言葉と受け取っておく。さっそく今日の議題だ」


 穂高さんはホワイトボードを引っ張り出した。マーカーを手に取ると、大きく「ちょろい」と書いた。

 僕はつい訊いた。


「ちょろいって……あのちょろい?

「あのちょろいだ」


 穂高さんはマーカーのキャップを閉めた。


「思うに、私はちょろくないのが良くない」

「今度は何に影響されたんですか」


 僕の言葉に、穂高さんは不審そうな目を向けた。


「なに?」

「どうせマンガかアニメかライトノベルを読んだんでしょう。そこのキャラクターを参考にしようとした」


 僕には確信があった。穂高さんはすぐその手の作品に影響されるのだ。勉強熱心なのはさすがだが、しばしば方向性がずれる。


「さすが未来の彼氏だが、二割くらいしか当っていない。プロ野球なら契約更改を打ち切られるレベルだ」

「僕は野球選手じゃないんで」

「私が読んでいたのはエロマンガだ」

「……ええっ!?」


 びっくりしたのは僕ではなく秋津さんだ。


「エ……エロ!?」

「君は知らなかったな。私はポルノを書く女だ」

「書くんですか!?」

「あとで詳しく教えるからスルーして欲しい」

「でも読んでもいるんですよね。あたしたち高校生で……あ」


 穂高さんは大きくうなずく。


「私は高校三年生。十八歳だ。アダルトサイトの『あなたは十八歳以上ですか』の質問に、大威張りで『はい』を押せる。この間は反応が悪くて連打したため突き指をしてしまった」


 確かに人差し指に包帯が巻いてあった。


「アダルトサイトは凄いな。右を見ても左を見ても裸だ」

「そこで読んだんですか」

「エロマンガの一部が読み放題だった。そこに出てきた女性キャラクターが、皆からちょろいと呼ばれていたのだ。どうしてだと思う」


 僕は手を上げた。


「はい」

「能島君」

「展開を早めるためじゃないですか」

「違う。ちょろい女が好かれているからだ」


 大真面目だった。普通なら冗談を言ってるのかと勘違いするところだ。


「まあ……好きなんでしょうねえ」

「マンガでは落ちた消しゴムを拾っただけの男に惚れていた。確かにこれはちょろいと思う」

「それは同感です」

「だから私もちょろくなるんだ」

「どうしてそんな繋がりかたをするのかが不明です」

「ちょろい女を嫌いな男はいない」

「それはそうかもしれません」

「だが私はちょろくない。いや、ちょろいかどうかも分からない。だからちょろくなろうと思う」


 ちょろい女性を好きかどうかはそれぞれだろうけど、自分からちょろくなろうというのは初耳だった。この飽くなき探究心は、さすが穂高さんである。

 横の秋津さんも感嘆していた

「穂高さんのチャレンジ精神に感心してます」

「褒めてくれてありがとう。秋津さんは自分のことをちょろいと思うか?」


 秋津さんは答えずに、僕の方を向いた。


「能島君どう思う?」

「知らないよ」


 彼女は穂高さんに向き直った。


「ちょろいです」

「知らないって答えたんだけど……」


 秋津さんは僕の言葉を無視した。


「きっとちょろいです。ちょっと親切にされるだけで、いいなって思っちゃいます」

「ちょろい女が近くに居るのは心強いな。参考にしたい」

「任せてください」

「実は消しゴムを買ってきた」


 穂高さんは足元から段ボール箱を引っ張り出した。

 僕は呆れた。箱には「消しゴム 144袋入り」と書いてある。一袋には5個入っているはずだから、全部で720個だ。こんなにたくさんどうするんだ。

 僕と秋津さんは半分呆れたが、穂高さんは自慢げだった。


「業務用を手配するのにちょっと大変だった」

「大変の方向がどうかしてます」

「落とすから拾って、渡して欲しい。そうすればちょろさを発揮して好きになる」


 ダンボールの蓋を開け、僕に中を見せた。消しゴムがぎっしり詰まっている。全てから袋から出してあった。


「これを私が落っことす!」


 どさー。床に720個の消しゴムがぶちまけられた。


「さあ拾ってくれ」

「ええ……」

「拾いがいがあるだろう。なにしろ720個だぞ」

「1個でいいんじゃないですか」

「数が多ければそれだけちょろくなる。消しゴム1個で1ちょろ。720個で720ちょろだ」

「ちょろ……」

「今日は10ちょろごとに1ちょろサービスする」


 その単位にはどういう意味があるのか、僕は訊かなかった。

 足元まで転がってきた消しゴムを拾う。穂高さんに手渡した。


「はいどうぞ」


 穂高さんは眉をひそめた。


「それだけじゃつまらないな」

「注文が多いですね」

「なにかひとこと付け加えるだけで、私はもっとちょろくなるぞ」

「それじゃあ……落としましたよ」

「もっとあるだろう」

「どんなのですか」

「落としましたよ好きですとか、落としましたよ愛してますとか」

「そんな男がいたら走って逃げるべきです」

「私はちょろいから逃げない」

「危ないなあ。逃げてくださいよ」


 そう言いながら僕は消しゴムをもう一つ拾う。我ながらお人好しだと思いつつ、穂高さんに渡した。


「消しゴム落としましたよ。好きです」


 あっという間に穂高さんが赤面した。

 パクパクと、口を開けたり閉じたりしている。


「……も、もう一度言ってくれ」

「消しゴム落としましたよ。好きです」


 今度はさっきりよも赤くなった。


「ほ……本当に言うやつがいるか!」

「言えって言ったじゃないですか」

「動揺してるんだ、私を見れば分かるだろう! 手加減してくれ」


 僕は困った。どうしろって言うんだろうか。

 秋津さんが僕の方を見ていた。


「ねえ能島君、あたしに消しゴム渡して」

「え。でもこれは穂高さんに」

「あたしが穂高さんにお手本見せるから」


 それだ、と穂高さんも言った。


「いい案だ。ちょろさの先輩がいるんだった」

「先輩って程じゃないです。じゃあ能島君お願い」


 僕は新しい消しゴムを拾い、秋津さんに差し出した。


「はい秋津さん」

「他には?」

「え?」

「他に言うことなかった?」


 僕はちょっと考えてから、改めて言う。


「はい秋津さん、好きです」

「わー、ありがとう!」


 突然秋津さんが、僕に抱きついた。両腕に力が籠もっていて、なんだか本気っぽい。

 僕はびっくりするだけだったが、穂高さんは仰天して噛みついた。


「待て待て、それはなんだ!」

「ちょろいリアクションです」

「抱きつくのか!?」

「なにしろちょろい女なんで」


 秋津さんは僕を見上げた。


「どう? ちょろくない」

「……かなりちょろいね。というか、過剰だね」

「ほら。能島君もこう言ってます」


 反応としてはやっぱりおかしいと思うんだけど、ちょろさの範囲は僕も知らないから、こうだと言われれば納得するしかない。いややっぱり変じゃないかな。

 秋津さんは僕から離れた。背中に腕の感覚が残っていて、僕はどきどきしたままだった。


「穂高さんもどーぞ」

「私もやるのか!?」


 今度の穂高さんは、激昂ではなく恥ずかしさで顔を赤くしていた。


「い……いきなり男子に抱きつくなんて、普通やらないだろう」

「ちょろいからいいんですよ。やってみてください」

「こ、こうかな」


 穂高さんは両腕を拡げる。僕も反射的に拡げてしまい、柔道の試合みたいになった。


「消しゴムからはじめないと」


 穂高さんに言われ、僕は急いで消しゴムを拾った。


「穂高さん落としましたよ」

「……その……」

「穂高さん落としましたよ。好きです」

「はい抱きついて」


 秋津さんがパンと手を叩く。穂高さんは恐る恐る、僕の背後に両腕を回した。


「あ……ありがとう……」


 ぎゅー。ゆっくりであったが、それなりに締めつけられる。

 何故か消しゴムは受け取られず、僕は穂高さんの背中側に消しゴムを差し出した態勢のまま、そのままでいた。

 時間が過ぎていく。


「穂高さん、そろそろ……」

「…………」

「穂高さん……?」


 返事はない。穂高さんは僕に抱きついた恰好のままずるずると下がっていき、ぺたんと尻餅をついた。

 秋津さんが覗き込む。


「目を回してるね」

「秋津さんが無茶させるから。穂高さんは純情だけど、ちょっと変なんだし」

「能島君こんな綺麗な人に抱きつかれても平気なの?」

「実はあんまり平気じゃない。我慢してる」


 熱を持った頬をさすった。

 椅子を三脚並べてから二人がかりで穂高さんを抱き起こし、横たえた。まだ目を回しているけど、じきに起きるだろう。

 僕は秋津さんに訊いた。


「普通は消しゴム拾ったくらいで目を回すと思う?」

「思わない。抱きつくこともしない」

「だよねえ」

「信じちゃうところが、穂高さんちょろいんだよね」


 彼女はそう答えて、少し笑う。そのあと僕たちは、床に散らばった消しゴムを一つ残らず拾って片づけた。

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