第10話 穂高さんは新人を入れる

 帰りのホームルームが終わり、僕はカバンに教科書とノートを放り込んだ。その時手が滑ってしまって、ノートを数冊床に落とした。おがげで話しかけられたことに気づかなかった。


「能島君」

「…………」

「能島君?」

「ああごめん。えーと、秋津さん」


 目の前にいたのはクラスメートの秋津あきつ菜々瀬ななせさんだった。僕は入学早々生徒会役員になったおかげでクラスにあまりいないけど、さすがに名前は覚えていた。

 秋津さんは小柄なのに全身からエネルギーが溢れている人で、陸上部とテニス部を掛け持ちしている。責任感も強く、自ら立候補してクラス委員にもなった。

 性格も明るいものだから、いつも女子生徒の中心にいた。そんな人に話しかけられて、正直僕は戸惑った。


「なんの用……?」

「陸上部入らない?」


 いきなり言われた。


「能島君足速いでしょう。うちの男子、年中部員募集中だから、どうかなって」


 ストレートすぎる勧誘だった。僕と話したいとかじゃなくて、足が目当てだったのにはちょっと残念だったが、同時にほっとした。


「ごめん、運動部はちょっと」

「タイムいいのに?」

「生徒会入ってるから」


 秋津さんは、そういえばそうだった、みたいな顔をしていた。


「掛け持ちできないの?」

「どうなんだろ」

「生徒会長って佐々波さんでしょう。なんかちょっと……」


 そこまで口にしてから、彼女ははっとした。


「あっ、ごめん。変なこと言った」

「いいよ。実は否定しづらい」

「佐々波さんが掛け持ちを許さなかったりする? 能島君は生徒会のものだーって言っちゃうとか」

「さあ。多分言わないかなあ。どっちだろう」

「じゃあ入って」

「あまり興味なくて」

「能島君が? 佐々波さんが?」

「どっちも」


 僕は落としたノートをカバンにきちんとしまうと、立ち上がった。


「じゃあ僕は生徒会に行くから」

「あたしも行く」

「なんで?」


 思わず失礼なことを言ってしまったが、秋津さんは気にしなかった。


「能島君を譲ってくれないか訊く」

「譲るってなに」

「能島君をあたしのものにしたいから。さ、行こう」


 またどきどきするようなことを喋りながら、秋津さんは僕よりも先に教室から出た。


 秋津さんは生徒会室がどこにあるか知っていた。堂々と歩く姿は、まるで学校のぬしみたいだ。

 さすがに生徒会室の扉は僕が開けた。


「失礼しまーす」


 僕の背後から秋津さんが挨拶する。室内にいた穂高さんが不思議な顔をした。


「君はいつから女性の声が出せるようになったんだ?」

「僕じゃないです」

「あたしでーす」


 手を振りながら秋津さんが進み出る。僕のクラスメートだと自己紹介をし、生徒会に来た事情を説明した。


「そんなわけで、能島君を陸上部と掛け持ちにさせてもらえませんか。禁止でしたっけ」

「生徒会を優先すれば禁止ではない」

「あたしの記憶だと、佐々波さんも陸上部の幽霊部員ですけど」

「頼まれたから籍だけ置いている」

「速いって先輩が言ってました」

「走れ走れと言われたから走っただけだ」


 穂高さんは興味なさそうに答えていた。冷たく接しているんじゃなくて、本当に興味がないのだ。

 秋津さんはくるりと僕の方を向いた。


「じゃあ能島君は陸上部に入るってことで」

「え」

「佐々波さんの許可は出た」

「僕は入らないよ」

「なんで」


 あまり興味が無いからだ、とは言いにくい。僕は秋津さんを見てから穂高さんを見た。


「……生徒会に満足してるし」

「ふーん」


 秋津さんも穂高さんを見つめる。


「そりゃこんな美人がいたらいいよねえ」

「コメントに困るなあ」

「だが陸上部にも、こんなに可愛らしいあたしという女がいる」


 秋津さんは自分の胸に手を当てた。


「しかも他にも可愛い女の子がごろごろ。どう?」

「部活ってそうやって決めんの!?」

「数で対抗すれば勝てるかなって」


 勝つってなんだ勝つって。

 何故か秋津さんの目はギラギラしていた。少女漫画的なきらきらではない。獲物を見つけた猛獣に近い。

 秋津さんが僕に迫る。物理的に近づいていた。


「うちの陸上部は露出が多いからハーレムやキャバクラみたいなもんだよ」

「そんな誘い方がおかしいだろ!」

「わりとみんなこれで入るけど?」


 僕たちの会話に、横から物言いがついた。


「待て。聞き捨てならない」


 穂高さんだった。彼女は座席でノートパソコンを見つめながら喋っていた。


「女子で引き抜きにかかるとはなにごとだ」

「佐々波さんには敵いませんけど、量なら負けません」


 不敵に言い返す秋津さん。なんでそこまで僕に固執するのか。

 ところが穂高さんはうなずいていた。


「自分の得意な土俵で勝負するのは正しい戦略だ。秋津菜々瀬さんだったか、見直した。きと陸上部でも一目置かれているだろう」

「時々面の皮が厚いって言われます」

「だが能島君を渡すわけにはいかない」

「理由を聞かせて下さい」

「私の彼氏だからだ」

「え?」

「違うな。未来の彼氏だからだ」

「え!?」


 秋津さんは目を丸くしていた。僕と穂高さんを見比べている。


「こんな足が速いことしか能のない男子が彼氏!?」

「秋津さん、僕は近くにいるんだよ」

「足が速い以外にもあるかもしれないけど……ええー……」

「能島君は私が惚れる全ての要素を兼ね備えている。彼氏として完璧だ」

「あたしより付き合い薄そうなのに、どうやって彼氏にしたんです?」

「だから未来の彼氏だ」

「じゃ彼氏じゃないんですか?」

「私が能島君の立派な彼女になれるよう努力している最中だ。いずれ付き合うことになる」

「付き合ってないってことですよね?」

「時間の問題だ」


 唖然とする秋津さん。もちろん穂高さんはしれっとしている。


「私は完璧な彼女になる寸前の彼女予定者と言っていい」

「はあ……」

「だが能島君を陸上部に引き抜かれると予定が狂ってしまう。つまり渡すことはできない」


 こんな変な理屈があるのかと思うんだが、秋津さんは驚きつつ、なんとか理解していた。


「つまり……生徒会では男女の愛憎劇が進んでいるってことですか……」

「憎はないが愛はある」

「ここにいればかぶりつきで見学できるんですね」

「そうとも言えるな」


 秋津さんの目が、一気に輝いた。


「私も役員になります!」

「え」


 と言ったのは僕だ。


「秋津さんが!?」

「女の子が好きなのはなんだか知ってる? スイーツと恋バナよ。ここにいればどっちもゲットできるじゃない!」

「スイーツないけど……」

「あたしが買ってくるから!」


 秋津さんは高揚したまま穂高さんに訊いた。


「いいですよね!?」

「いいぞ」


 あっさりと認める穂高さん。


「役員を募集していたんだ。明日から来て欲しい。他の部との掛け持ちも認めるから無理のない範囲でいい」

「ありがとうございます!」


 意外すぎる展開に、僕は数回口をぱくぱくさせてから、ようやく声を発した。


「ほ、穂高さん……秋津さん入れちゃうんですか!?」

「いいだろう。人手が足りないのは事実なんだし、私も女子として恋愛の相談相手が増えるのは心強い」

「秋津さん引いちゃいますよ!」


 僕は秋津さんに向って言った。


「秋津さん、その、なんていうか、穂高さんは独特なんだ。秋津さんが毒されるっていうか、驚くっていうか」

「平気。あたし恋バナ大好きだから」

「ショックでひっくり返っても僕のせいじゃないよ!?」

「任せて!」


 秋津さんは力強く自分の胸を叩く。


「佐々波さん、あたしに任せてください。生徒会役員として全力で二人を見物……じゃなくて、サポートしてみせます!」

「その意気だ。あと私のことは穂高でいい」

「はい、穂高さん!」


 二人はがっちりと握手までしている。僕は不確定要素が一人増えたぞと、なんとも言えない不安に駆られていた。

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