第8話 穂高さんは控えめになる
「ひょっとしたら、私には積極性が足りないのかもしれない」
放課後の生徒会室、穂高さんは例によっておかしなことを口走った。
僕は向かい合わせになっている机で雑用に専念していた。掲示板に張り出す生徒会役員募集ポスターの文面考案とか、生徒会が出すニュースメールの記事書きとかそういうもの。これは「忙しいから話しかけないでください」というサインでもあるんだけど、恋に目の眩んだ穂高さんには通用しない。
「積極的ではないから性格はいつまでも直らないし、好きな男子生徒に告白もできないんだ」
「穂高さん、ニュースメールの記事終ったのでチェックお願いします」
「共有フォルダに入れといてくれ」
彼女は僕の記事を読んでは素早く誤字の確認をして終らせた。この人は勉強も仕事も本当に早い。
「能島君。君は私に、積極的になって欲しいと思うか?」
「そうですねえ」
考えるふりをした。
「ある意味積極的だと思いますけど」
「だが私には他人を押しのけてバーゲン品を買い漁ったり、写真の中央に納まったり、試供品を全て持ち去る精神がない」
「それ、厚かましいって言うと思います」
「今の私は控えめすぎるんだな」
腕組みしてうんうんとうなずいている。
「好きな男を前にすると、顔を赤くするだけでなにも言えなくなってしまうし」
「今は口数多いですけど」
「胸がドキドキして前も見られない」
「いつも人の目を見て話してます」
「家に帰っても恋のポエムを書き綴るだけだ」
「穂高さんはポルノですけどね」
穂高さんはじろっと僕を見た。
「君は私を否定するバイトをはじめたのか? それで稼げるなら協力しよう。好きな男のためだ」
「違います」
「それともプレイなのか。私の意見を否定すると性的興奮を覚えるとかそういう」
「違いますって。だって今のままの穂高さんでいいんですから」
「君に惚れている女子生徒がおこなう努力を無に帰したいのか」
「そういうことじゃないですってば」
彼女は立ち上がると、自分の胸に綺麗な手を当てた。
「見ろ。アプリで修正しなくてもこの美貌! 乳も自前でそこそこある! なのに性格が終ってる」
「自分で知ってるならなにも言うことないですね」
「君に告白したくてもできない乙女心がどうして分からないんだ!」
「すればいいじゃないですか!」
「やはり年上か、年上がいけないのか。だが年齢ばかりはどうにも……いや数年間コールドスリープをすればなんとか……」
頭を抱えている。僕は雑用に戻ろうかなあとか考えていた。
「……能島君、君は人体冷凍保存の会社に知り合いとかいないか……? アメリカがいい」
「なに言ってるんですか」
後で調べたんだけど、実際アメリカには人体を冷凍保存させる会社や財団があるらしい。はじめて知った。とりあえず凍らせておいて、将来安全な解凍技術が完成したら生き返るらしいんだけど、恋愛で使う人間がいるんだろうか。
僕はついに作業を止めた。
「年上の女性だって嫌いじゃないです」
「好きと言えないところに君の限界がある」
「そりゃどうも。年上の女性も好きですよ」
穂高さんは嬉しそうになったが、すぐに顔を引き締めた。
「私を喜ばせるための方便という可能性もある」
「積極性はどうなったんですか」
「それだ。私を積極的にさせないための手段かもしれない」
「なんで僕がそんなことを……」
「控えめな女が好きな男も多いだろう」
そこで穂高さんははっとした。
「そうか……つまり控えめでいればいいんだ」
「発想が一周しましたねえ」
「積極性よりも控えめさだ。君の影となって従おう」
「具体的にどうするんです」
「一歩下がった女になる。実に控えめだ」
うんうんとうなずいている。
「君も好きなはずだ」
「考えたことないですね」
「私も好きな男とは並んで歩きたい」
「あれは実際に下がるわけじゃないと思うんだけど……」
「というわけで、これからの私は控えめになる」
彼女は片手を上げ、宣言した。
「能島浩也君自慢の彼女となるため、私こと佐々波穂高は控えめな女を目指す」
「穂高さんがそう言うなら」
「今後は君から話しかけてこない限り、言葉を発さない」
「それは控えめなんですか……?」
「少なくとも図々しくはない」
穂高さんは自分の席に座ると、ノートパソコンに向かった。僕も雑用に戻ることにした。
五秒もしないうちに、穂高さんが喋り出した。
「能島君、生徒会役員募集のポスターはどうなってる?」
「今デザイン考えたので、送ります」
それから付け加えた。
「話しかけないんじゃないんですか?」
「これは仕事の話だからセーフだ」
「はあ」
「生徒会役員を指名してもいいが、自分からやりたがる人間も取りたい。つまりポスターの話題は重要だ」
「言われてみれば」
「だからセーフ」
穂高さんはまたノートパソコンと向き合う。僕はちょっとだけ身じろぎして、から、自分の喉が渇いていたことに気づく。
カバンに入れておいたペットボトルの水を飲もうとした。けど、中身が空だった。
すかさず穂高さんが声をかけた。
「それはどこのメーカーだった」
「さあ……」
「大事なことだ。水は人間の身体に必要不可欠なもの。得体の知れないメーカーのものを飲んではいけない」
「お気遣いどうも。もうありませんけど」
「気をつけるんだ」
僕は水を飲むのを止めると、学校支給タブレットのスリープモードを解除した。海景高校のタブレットは外に持ち出せないものの、校内なら持ち歩いていいことになっている。
また穂高さんが言った。
「それのセキュリティはどうなっている」
「知りませんよ。しっかりしてるんじゃないですか」
「生徒の個人情報漏洩を考えると、たとえ支給品といえど疑ってかかるべきだ。私は生徒会長として……」
「穂高さん」
僕は呆れた。
「控えめはどうしたんですか」
「業務だからむしろ必要な会話だ」
「僕に話しかけたいように見えます」
「……実はそうだ」
うなだれると、彼女は認めた。
「君と話をしないと死んでしまう。いつもなら気にならないことでも、しないと決めた途端に目に入るようになった。君のことが気になってしょうがない」
「見られてないのに見られてる気がしてました」
「ノートパソコンの隙間から君のことを見ていた。君が指を動かしたり目で文字を追うたびに、胸が高鳴っていたんだ」
はあ。とため息をついていた。
「単に君のことが、今までよりずっと恋しくなっただけだ」
穂高さんはノートパソコンを閉じた。
「はっきり言うと。君をじっと見られるのなら話をしなくてもいい。むしろ君と私だけの世界になって時間も止まれとすら思う」
「控えめとはちょっと違いますね」
「そうだな。遠くから見つめるだけなら控えめだが、ストーカーと変わらない」
「さすがにストーカーは嫌です」
「私もだが気持ちは理解できる」
穂高さんは自分のカバンをごそごそやっていた。
「ストーカー行為で通報されるのは良くない。かと言って控えめすぎると私の心が死ぬ。だから生徒会室での会話を普通に楽しみたい」
「それって今まで通りってことですよね」
「未来の彼氏は話が早い」
彼女はハーフサイズのミネラルウォーターをカバンから取り出すと、僕に渡してくれた。キャップは開けられていない。
「喉が渇いていたんだろう」
「ありがとうございます……でも」
「遠慮するな」
「どこのメーカーですか」
「どこだろうな。ふつうに飲めると思う」
「さっきのあれはなんなんです」
「君と話したい口実に決まっている」
「今の、素直な穂高さんの方が好きです」
「またそういうことを言う」
穂高さんは頬を赤くした。
僕は生徒会室の棚を探し、紙コップを見つけた。二つ持つと、両方に水を注ぐ。
「どうせなら一緒に飲みましょう」
「君にあげたものだ」
「もらったから自由に使います」
僕は紙コップの片方を穂高さんに渡した。
「水を分け合うだけなのに、ちよっと特別な気がします」
「正直に言うがどきどきしている。君はいつも私の感情を高ぶらせる」
紙コップに口を付けた。二人してちびちび飲んでいた。
「……好きな男からもらったものはなんでもおいしい」
「水ですよ」
「甘露すぎる」
「考えてみたら、ペットボトルのまま飲んでもよかったですね」
「やめろ。間接キスだろう。心臓が止まるぞ。君の彼女にならずに火葬場行きは嫌だ」
「僕も殺人犯になりたくないから、止めておきます」
僕たちは結局、水を最後まで飲んでから帰宅した。
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