第5話 穂高さんは違いを知る 2

 ポルノのおかげで話が脱線してしまったが、僕は元に戻した。穂高さんもダンゴムシ状態から戻った。


「こんなに僕と穂高さんの違いを並べて、どうするんですか」

「ここからお互いに妥協点を探っていく」

「犬とイカダモに妥協点が……?」

「恋する女に不可能はない」


 マンガの帯みたいなことを言ってる。

 穂高さんはホワイトボード用のマーカーを指に挟んでくるくる回していた。


「いや、違うな。私から惚れたんだから、私から妥協するのが筋だ」

「ありがたいですけど、そこまでしなくていいですよ」

「いや、君に趣味を捨てさせたくない。元のままの君でいてもらうのが、惚れた女の弱みというものだ」


 彼女は立ち上がると、ホワイトボードにある自分の趣味や性格を消した。僕の回答を自分の所に書き写す。


「よし。これで私はカレーとお笑い番組とサッカーと犬が好きで、家に帰ったらマンガと動画を見る女になった。君と同じになったぞ」


 嬉しそうにそう言ってから、じっとホワイトボードを見つめた。


「……なんか物足りなくないか」


 僕は首を傾げる。


「そうですか?」

「天気予報がお笑い番組よりつまらないとは思えない」

「次の日に傘を持ち歩きたいかだったら、天気予報が上でしょうねえ」

「いや、私の意見はお笑い芸人に失礼だな。お笑い番組に天気予報のコーナーを挟めばいいんだ」

「無理に趣味を変える必要ありませんよ」

「元のままの趣味だったら、君に嫌われてしまうかもしれない」

「どうして嫌うんですか……」

「以前私に声をかけてきた男は、趣味を聞くなり変わってるねと言ったぞ」

「素直な男だったんですね」

「しかも、自分と付き合ったらもっと面白い番組が観られるとか言った。別にテレビが見たいから付き合うわけじゃないと伝えて断わった」

「その男がちょっと気の毒になりました」

「次に声をかけてきた男はイカダモがなにかも知らなかった。アメリカのバンドかと聞き返したんだぞ。まあ私も、ひょっとしたらそんなバンドがあるかもしれないと思ったが」

「あるんですか?」

「さあ。洋楽に詳しくないんだ」


 穂高さんは椅子に座った。まだホワイトボードを眺めている。


「これだけ見ると、実に平均的な人間だ」

「どうもすいません」

「君はいいんだ。私が惚れた男子の個性だ。問題は私で、こんな物足りない女が、君に惚れるなんて許されるのだろうか」

「許されると思いますけど」


 穂高さんはそう思っていないようで、腕組みをするとしばらく唸った。


「……思うに、個性というのは意外性のある行動だと思う」

「そうとは限らないでしょう」

「たとえば君が友達と、彼女の自慢話になったとする」

「あまり想像できない……」

「そこで話のネタになる個性を披露できた方がいいだろう。君は話の面白い男子として評判が上がる」

「それは穂高さんが面白いだけですよ」

「君の評判のためなら、どんなにネタにされてもいい。彼女としての務めだ」

「笑われちゃうじゃないですか」

「私は気にしない」


 穂高さんはこういうところが一途というか、ずるいと思う。

 彼女はまた考え込んだ。


「能島君は昆虫好きか?」

「突然ですね」

「いいから答えてくれ」

「小さい頃は好きでした」

「世の中には食べられる虫がある。たとえばだ、彼女に食べられる虫をもらうのは意外性があると思わないか」

「意表を突かれるのは確かです」

「だろう。話のネタになる」

「そううまくいくかなあ」

「そうなのか? じゃあ告白前の男の子に、食べる昆虫をプレゼントしたら引くのか?」

「そりゃ引くでしょ」

「しまった。ドンキで買ってきてしまった」


 穂高さんは、さりげないつもりで話題を変更した。


「まあつまり、私は君が恥ずかしくならない彼女になるつもりだ」

「虫、買ってきたんですか?」

「あれは例えということにしてくれ。あとは……そうだな、ボディタッチされるのが好きとかは」

「話のネタになるかなあ」

「ボディタッチで面白いことが起これば、十分ネタになる」


 僕は首を傾げた。


「そもそも女子にされたことないです」

「とすると、私が一番乗りになってしまうな。幸運だ」


 それを聞いた僕は、不意に閃いた。


「だったら今やってもらえませんか」

「……なに?」

「ボディタッチ。僕にやってみてください」


 途端に、穂高さんは火で炙られたような顔になった。


「きっ、君に触れと……?」

「ええまあ」


 彼女から「きゃー」「ひゃー」「みゃー」の混ざった、なんとも表現しづらい悲鳴が上がった。


「すすすすすす素肌と素肌が触れるんだろう!? よくそんなことを思いつくな!」

「言い出したの穂高さんですよ」

「今やるとは言ってない! 付き合ってからだ!」

「僕のことじっと見るのは平気なのに」

「見ると触るのは全然別だ 心臓が止まって死んでしまうかもしれない!」

「オーバーな」

「いや必ず死ぬ。心の準備ができてない。君と付き合う前に死んでしまったら悔やみきれない!」


 両腕を大きく振り、文字通りばたばた暴れ出した。

 穂高さんの外見はクール系だ。声も落ち着いていて大人びている。そんな人がまるで昔のおもちゃみたいな動きをするのは、正直面白かった。

 僕は馬をなだめるみたいに両手を出して、上下に動かした。


「こうしましょう」

「どうするんだ。私に水をかけるのか。身体が熱くてしょうがないから効果的だな」

「そうじゃなくて、制服越しに僕の腕に触ってください。これなら大丈夫ですよね」

「そ……そうだな。布が間にあるから、素肌とは言わない……いやしかし、制服の布を0.8ミリとすると、事実上素肌では……」

「じゃあこっちにお願いします」


 僕は左腕を出した。穂高さんがたじろぐ。


「献血のポーズみたいだな……」

「触っていいですよ」

「深呼吸させて欲しい」


 穂高さんはラジオ体操みたいに腕を大きく前後に振り、吸って吐いてを繰り返した。慌てたのか、何度かむせていた。


「よ、よし。これで安心だ」

「どうぞ」

「……やるぞ」


 恐る恐る、人差し指を伸ばしている。震えているのがはっきり分かった。しかし触っていいと言っているのに、なんで指?

 綺麗な指の先端が、ほんのわずか接触した。そして穂高さんは後ずさった。


「きゃあああっ!」

「きゃあって」

「いいいい今、君に触れてしまった!」

「触られたか分かりません。制服だけじゃないですか」

「いや確かに触った。その証拠に私の脈が止まった。危ないところだった」

「じゃあもう一度」


 穂高さんはまた叫んだ。


「またやらせようというのか! なんて容赦がないんだ!」

「ボディタッチしたいんですよね」

「強制だな! DVだ! いや君がDVするわけがない。だからこんなのDVじゃない。でもDVだ!」


 早口でそんなこと言うと、今度は机の下に潜り込んでしまった。


「DVじゃないけど、身体が熱いからここから出ないぞー!」

「余計熱くないですか」

「優しいのは嬉しいけど、ここから出ないぞー!」


 穂高さんは意固地になり、机の下に籠もってしまった。僕は出てくるよう説得しながら、確かにこのこと話せばウケるかもしれないなと考えていた。

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