第3話 穂高さんはイチャイチャする 2

 海景高校は駅からやや離れたところの、住宅街に差しかかったあたりにある。食事なり遊ぶなりするには、駅まで行かなければならなかった。

 穂高さんは僕の斜め前を歩き、しかも距離をとっていた。


「どうしてそんなに離れるんですか」

「私たちはまだ付き合っても、告白もしていないからな。つまり他人同士だ。親密にはなれない」

「なんかつまんないんですけど」

「私も寂しい。一刻も早く性格を直して告白したい」


 大きめのファミリーレストランに到着。店舗は二階にあって、一階は駐車場だった。

 店員に案内されて、広めのテーブル席に座る。僕はフルーツパフェを注文した。穂高さんはチョコレートパフェを注文した。どちらもクリームがたっぷり使われており、食欲をそそった。


「さあやってみよう」


 穂高さんは柄の長いスプーンで、チョコ混じりのクリームをすくった。僕の目の前に差し出す。


「能島君、あー……」


 あー?

 あーんじゃなかったっけ。僕は怪訝な顔をしたが、穂高さんは「あー」とだけ言っていた。

 しばらく待ったが、それでも「あー」である。僕は思わず訊いた。


「あーってなんです。歯医者ですか」

「実は、あーんと言うのが恥ずかしくなったんだ。後ろを省略した」

「今言ってますよね」

「説明するのと実践は違う」


 同じだと思うんだけど、穂高さんにとってはかなり違うらしい。頬までうっすら染めていた。

 それでもスプーンは突き出されているので、僕は口を開けた。

 と、スプーンの先がゆらゆら揺れだした。

 最初は冗談ではなく地震かと思った。だけどそうではなく、スプーンが、そして穂高さんの腕が揺れているのだと分かった。

 クリームを載せたスプーンがぐらぐらしている。このままでは口の中ではなく、顔のどこかにべっとりついてしまいそうだ。


「揺れてますよ」

「分かってる」

「止めてもらえると助かります」

「緊張しているんだ。自分の意志ではどうにもならない」


 穂高さんの額には汗まで浮かんでいた。息も荒い。


「ここまで慎重な作業を要求されるとは思わなかった。心臓を手術する医者もこんな気持ちだろう」

「違うと思います」

「……駄目だ」


 彼女は諦め、スプーンを戻した。


「こんなこともできないなんて、私は人間のクズだ」

「そんな極端な」

「世の恋人たちは、こんなの片手でスマホを操作しながらできるんだろう。ひょっとしたら、足でやってるかもしれない」

「ファミレスで足突き出してたら通報されそうですけどね」

「私は足以下ということになる」

「僕がやりますよ」


 穂高さんが際限なく落ちこみそうだったので、代わることにした。

 ファミレスで向かい合う僕と穂高さん。仲のいい二人というより、妙な緊張感が漂っていた。

 僕はフルーツパフェのクリームをすくう。サービスのつもりでパイナップルも載せた。

 落とさないよう気を遣って差し出す。


「はい穂高さん。あーん」


 穂高さんは食べない。代わりに喋り出した。


「君はよくスムーズにここまでできるな。実は女慣れしてチャラいのか?」

「誰だってできるでしょう」

「私にはできない。やはり君は私にもったいないほどの男子だ」


 パフェくらいでオーバーな。

 穂高さんはスプーンの上のクリームを見つめる。そしてゆっくりと口を開けた。

 口の中まで綺麗だった。なんか妙な性癖に目覚めそうで、どきどきしてしまう。


「えーと、穂高さんもあーんと言ってもらえると雰囲気出ると思うんです」

「君はとことんまで私に恥ずかしいことをさせるのか。そういうプレイは付き合ってからにしよう。なるべく願いはかなえるから」

「じゃあ今はそのままでいいです」


 ゆっくり口に近づける。

 また目の前が揺れた。

 一瞬、僕の手が揺れているのかと思ったら違った。そして地震でもない。揺れているのは穂高さんの頭だった。


「……穂高さん、少しじっとしててください」

「努力している」

「左右に揺れるのが努力なんですか」

「緊張と恥ずかしさと心臓の鼓動が頭に伝わっているんだ」

「確かに脈拍と連動してるみたいです」

「とっくに一分間に百回を超えているはずだ」

「頭がくらくらしないですか」

「実はしている」


 穂高さんは「ぷは」とか言うと、大きく息を吐き、両手で顔を覆った。


「やっぱり駄目だ! 私はイチャイチャなんてできない女なんだ!」

「いやいやそんなことないですって。こういうのは練習です」

「あーんの練習なんて変じゃないか?」

「それ言ったらおしまいです」

「やっぱり私は変でおしまいなんだー!」


 テーブルに突っ伏して号泣……はしなかったが、見るからに落ちこんでいる。

 僕は何度か声をかけたが、「私は変だ」「もう駄目だ」「足の裏がかゆい」をループしていたので、慰めるのをやめ、落ち着くのを待つ。

 やがて穂高さんは、ゆっくりと顔を上げた。


「……まだ居てくれたんだな」

「ええまあ」

「とっくに愛想を尽かして帰ったかと思った」

「置いて帰ったりしませんよ」

「優しいな。君に惚れたのは正しかった。自分の気持ちに従ってよかった」


 僕はちょっと首を傾げた。


「あの、穂高さんって僕のことなにも知らなかったんですよね」


 穂高さんは当り前のようにうなずいた。


「そうだ」

「なんで告白しようと……違った、告白前に性格変えようなんて思ったんですか」


 顔が明るくなった。よくぞ聞いてくれた、と言いたげだった。


「そもそも私が君と出会ったころにさかのぼる」

「そんな前じゃないですよね」

「あれは入学式、私は新入生の前で話をする必要があった」


 それは覚えている。生徒会長から学校生活についての説明があったのだ。壇上に登った穂高さんは本当に美しく、僕の周囲は男女問わずざわついていた。性格についての噂はなんとなく耳にしていたものの、絶対嘘だと思ったくらいである。


「壇上から一人の男子生徒が目に入った。君だ」

「一組だからですかね」

「ひと目見た瞬間、私は舞い上がってしまい、喋る内容も全て忘れてしまった。あとは全部アドリブだった」

「気づきませんでした。凄い才能ですよ」

「いわゆるひと目惚れだ。なんとか話し終えて壇上を降りてから君の名前を調べ、家に帰ってもずっと君のことばかり考えていた。そして思った。男の人を好きになるとはこういうことかと。それまでの私は、好きという感覚がよく分からなかったんだ」


 遠い目をしている。こんな仕草も似合っていた。ファミレスに夕陽が差し込んでいるおかげで、ポートレートみたいに見える。


「心臓は高鳴り、君のことを考えると身体が温かくなる。以来私は自分が男子を好きになったことと、そういう資格があると分かった」

「資格って」

「マンガでよくあるだろう。罪を犯した人間が、自分には人を愛する資格があるのかと苦悩する話」

「穂高さん罪を犯したんですか?」

「いや。だから愛する資格がある。まあとにかく、どうにかして君との距離を近づけようと思った。まずは物理的な距離からだ。だから権力で君を呼び出し、権力で生徒会役員にしたんだ」


 なんかおかしいものの、理屈は分かった。

 部活に入ろうかどうしようかと迷っていた身としては、教室以外に居場所ができるのは大変助かる。

 それにこうして、二人でファミレスに入ることもできた。穂高さんといられるのは、それだけでテンション上がった。


「でも性格改良なんてやっぱり変ですよ」

「なにしろ私は変人だからな」

「自覚あるのが困りものです。そのままでいいんじゃないですか」

「好きな男に一歩でも近づきたいのは変ではないはずだ」

「そう……かも」

「それに私は君の隣にいて恥ずかしくない女になりたい。君がクラスの人に、あんな変人とつきあっていると思われて欲しくないんだ」


 この人は、こういうことを真剣な顔で言うのだ。


「穂高さん。実はその」

「なんだ、やっぱり私を呼び捨てにしたいのか。別にいいぞ。オレ様系彼氏っぽいのも受け入れる」

「そうじゃなくてですね、僕は今のままの穂高さんもわりと好きなんですよ」

「嘘だ。今まで私に近寄ってきた人間は男女問わず、そのままの君でいてとか言っていた。そして例外なくドン引きした」

「それはよく分かるんですが」

「君にまで引かれたら私は立ち直れなくなる」

「引いたりしませんけど……いや、違うな」


 僕は少し考えてから続けた。


「変わってますけど、それほどじゃないですよ。多分他の人は、穂高さんの外見と中身のギャップに驚いてドン引きしたんだと思います」

「つまり君は私の外見をたいしたことないと思っていると」

「悪く取らないでもらえますか」

「この際だから言うが、私は幼稚園のころから可愛い可愛いとちやほやされてきたんだ」


 穂高さんは一度言葉を切って、僕を見据えた。


「最初は有頂天だったが、すぐに悟った。外見評価を鵜呑みにして傲慢になると将来に影響が出ると」

「幼稚園児の発想じゃないですねえ」

「だから外見に見合うスキルを身につけようと勉強とスポーツに打ち込んだ。小中高と成績は一位だし、中学ではテニスで全国大会に出た。英検は準一級、スペイン語検定は二級を持っている」

「それはマジで凄いです」

「おかげで学生生活がおざなりになった。クラスメートと接する方法、会話をする方法が分からない。なんとかするべくこっちも猛勉強した結果、逆に皆が遠ざかるようになった」

「どんな教材で勉強したんですか……」

「過去はもう変えられない。海景高校史に残る変人だと思われるのは甘受する。だが君に、好きになった人にまで迷惑かけたくないんだ」


 もう遅くないですか、と言うほど僕は愚かではない。

 思うに穂高さんは常に本気なのだと思う。外見を褒められたときも正面から受け止め、ドン引きされたときも正面から受け止めた。だから僕に告白しようと考えたときも、本気で悩んだのだ。

 行動がおかしくても、純粋だ。僕にはそんな気持ちを否定できるはずなかった。

 穂高さんを真っ正面から見つめた。


「じゃあ約束してください。これが終ったら、ちゃんと僕に告白するって」

「言うまでもない。性格を直せばする」

「じゃあこれ、やってみましょう」


 僕は新しいクリームをすくった。ぎょっとする穂高さん。


「ま、またか……」

「第一歩です」


 スプーンを近づけた。


「あーんすることで、穂高さんは一歩踏み出すんです。クリームを食べるだけです」

「恥ずかしいぞ……」

「僕とつきあいたくないんですか」

「つきあいたい」

「じゃあ恥ずかしくありません。できます」


 僕はさらに近づけた。


「はい、あーん」

「あ……あー」

「あーん」


 穂高さんは目を左右に動かしていたが、意を決したか目をつむって口を開けた。


「……あーん」


 僕はスプーンと、上に載ったクリームを入れる。

 穂高さんの口と舌が動き、舐め取った。

 ゆっくりスプーンを抜いた。


「ほら……食べられた」

「……そうだな」


 穂高さんはにっこりとした。


「恥ずかしかったが、できた」

「僕にもお願いします」


 僕は口を開けた。穂高さんはチョコの混じったクリームをすくい、近づける。

 震えていたが、ちゃんと口に収まった。


「……やった」


 今度の穂高さんは、ほっと胸を撫で下ろしていた。


「君にあーんで食べてもらえた。私にもできるんだ」

「これ、結構おいしいですね」

「やってみたら結構簡単だった」


 僕たちは顔を見合わせて喜び、笑った。

 妙な光景だったと思う。たかがパフェのクリームを食べる食べないだ。それでも二人で成し遂げたという喜びは、なにものにも代えがたかった。小さくたって、一歩は一歩なのだ。


「これで私たちはイチャイチャできた」

「イチャイチャにはまだまだ種類ありますけど、そうですね」

「続けていけば、いつか私は君に告白できる女になれる」


 彼女は改めて僕に言った。


「私はもっと研鑽して、己を高める。必ず君にふさわしい女になって告白する。それまで待っていて欲しい」

「分かりました」


 僕は返事をした。


「穂高さんの言葉、受け止めました」


 それからフルーツパフェに乗っていたメロンをすくった。


「別に今すぐでもいいんですけどね」

「それを言うな」


 そして僕たちは、最後までパフェを食べた。

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