第2話 穂高さんはイチャイチャする 1
「能島君」
生徒会室で穂高さんは僕のことを呼んだ。
室内は広くもなく狭くもなく、中にいるのは会長の穂高さんと、
海景高校の生徒会は、会長になった人が他の役員を自由に指名できるシステムになっている。もちろん立候補したっていいんだけど、誰もやりたがらないので強制力を持つ指名制度がある。
穂高さんから告白(?)された数日後、僕はいきなり生徒会役員に指名された。否も応もない。おまけに人がいないからやるようにという先生からの但し書きつきだ。そんなわけで生徒会室にいる。
「なんでしょう」
「話がある」
僕はキャスター付きの椅子に座ったまま、穂高さんのところまで移動した。こういう椅子を使えるのは生徒会の数少ない特権である。
穂高さんは大変真面目な顔をしていた。
「君の彼女になるため、私には足りないものがたくさんある」
「そうですか? 今のままでも十分だと思いますけど」
なにしろ穂高さんは海景高校創設以来の秀才と呼ばれているのだ。これで外見まで良いのだから、これ以上を望んではバチが当たる。
しかし彼女はそう思ってないらしい。
「絶え間ない努力こそが私を君に近づける」
「なんかかっこいいですね」
「というわけで、私は君とイチャイチャしたいと思う」
断言した。僕は意表を突かれてきょとんとしていた。
「はい……?」
「恋人同士というのは、イチャイチャするものだろう」
「そうかもしれませんけど、僕たちはまだ付き合う前では……?」
「そこが逆に利点なんだ」
良く聞いてくれた、見たいな顔だった。
「私はなにがイチャイチャすることなのか知らない。知りもしないで君と付き合い、イチャイチャするのは、免許を持たずに運転するようなものだ」
「正しいような正しくないような」
「だが今は告白前だ。つまりたくさん練習できるということだ」
穂高さんはにこにこしていた。あまりの眩しさに僕はつい後ろに下がった。天使どころではない美しさだった。
ただ喋ってることとやってることがおかしい。
「さあ、イチャイチャの練習だ!」
「なにをするんです」
「……実は自分でも分からない」
穂高さんは首をひねっていた。
「初心者どころかずぶの素人だからな。君は知っているか」
「僕だってよく分からないですよ。マンガの知識でしか」
僕も初心者ぶりを披露したつもりだったが、意外なことに穂高さんは食いついた。
「それでいこう」
「それってマンガのことですか」
「もちろん。参考になるものならなんでも利用すべきだ。なにがある」
「そうですねえ……意味のない会話を繰り返すと思います」
「どういうのだ?」
「ええと、『ねえ○○。なんだい××。呼んでみただけ』とか」
彼女は実に不思議そうな表情をしていた。
「そんな会話をする人間がいるのか?」
「いないと思います」
「あとマルマルとかバツバツなんて名前があるのか」
「適当なのが思いつかなかったんですよ」
「呼んでみただけなんてどうするつもりだ。銀行や市役所の呼び出しだって理由がある」
「知りませんよ」
「とりあえずやってみるか」
僕と穂高さんは、どちらも椅子に座ったまま正対した。
あらためて見るとこの人は本当に綺麗だ。ひとの容姿をどうこう言うのはよくないと思うが、でも本当に綺麗なのである。月すらも恥じらいのあまり雲で身を隠す、というのはなにかの本で読んだフレーズだが、穂高さんならそうなるだろうとの確信が持てた。
しばらく見とれてしまったが、「私から喋ろう」との台詞で我に返った。
「特に理由もなく声をかければいいんだな」
「不審者みたいですけど、多分そうです」
「ではいくぞ」
「どうぞ」
穂高さんは息を吸った。
「ねえ……ひ」
「はい」
「……ひ、ひ……」
「あの……?」
「……ひ、ひ……ひろ……」
「もしもし?」
「ひ……ひ……」
穂高さんは口をぱくぱくさせると、いきなりそっぽを向いた。
「や、やっぱりできない!」
大きな声を上げられたので、僕はちょっと驚いた。
「なんでですか」
「君のことを名前で呼ぶなんて無理だ。付き合っていないのに下の名前で呼び合うなんて、血圧上げて死ねというのと同じだぞ!」
「そういやこないだも恥ずかしがってましたね」
「拷問されてる気分だ」
「だったら上の名前で呼んでください」
「実は下の名前で呼ぶチャンスだと思ったんだ。これなら恥ずかしさを克服できると。だが無理だった」
「名前で呼び合うなんて、ちょっと仲のいい友達なら、みんなやるじゃないですか」
「みんなできるのに駄目なんて、私の性格は変なんだー!」
騒ぎ出したんで、なだめるのに苦労した。
穂高さんの心の動きは分かったが、これでは「意味のない会話でイチャイチャする」以前の問題である。スタートラインにつく前に足を挫いたようなものだ。
「じゃあこうしましょう。僕が最初に言います」
「次に私が返事をするんだから、名前呼びするのは代わらないじゃないか」
「気づきましたか」
「もっと楽なのがいい」
弱ったなと僕は思った。そもそもこういうのに楽とかあるんだろうか。仕方ないので、やはりマンガやゲームで知った知識を総動員する。
「ええと、小指同士を絡ませる」
「引っ張り合うのか。痛そうだぞ」
「おでこをくっつけて体温を測る」
「私も君も健康だと思う」
「膝の上に座る」
「安定悪くないか」
「膝枕」
「もっと安定悪い」
「真面目にやる気あるんですか」
「君が無理難題を押しつけてるんだ!」
言うほど無理なことじゃないと思うんだけど、僕も未経験なので穂高さんの言葉に理不尽だと断言できる自信がない。
僕らは生徒会室で腕組みをして、ひたすら頭を捻っていた。端から見たら、きっと馬鹿みたいな光景だろう。
ふと穂高さんが壁の時計を見上げた。
「もうこんな時間か」
それから僕の方を向いた。
「そうだ。ファミレスに行くのはどうだろう」
「お腹空いたんですか」
「パフェを注文する。スプーンですくって、あーんするんだ。私が君に、君が私にを繰り返す」
「あー、それはイチャイチャっぽいですねえ」
「さっそく行こう」
穂高さんはバッグを掴み、僕をうながした。
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