赤い文字でおめでとう

 その女はまた包丁を握りしめた。彼女は時計を見る。十時五五分、つまり彼女は刃物を手に取ってから二十分近くは棒立ちしていることになる。彼女は一度深呼吸する必要があった。

「うまくやれたに決まっている」

 彼女は思う。一年前からずっと計画を練ってやってきたのだ。願わずにはいられない。

 十時五十七分

 次に彼女は本棚の上に飾られている、二人の人物が入っている写真を見た。一人は彼女自身で、もう一人は彼女の娘だ。一昨年の夏、二人で旅行に行った時のだった。首には九谷焼のネックレスが光っている。

「あの時は笑顔も多かった」

 彼女は娘との思い出を整理する。娘は天真爛漫で、反抗期なんて未だ訪れてもいない可愛い子であった。

 しかし去年、娘の態度は徐々に無愛想なものになっていった。まるで彼女の存在を必要としていないような、そんな態度。その娘の冷酷な態度は彼女の心を傷つけていった。冬になると娘の態度は拍車を——

「いや、もう良い。もう済んだこと。これ以上悩む必要はない。うまくやったのだ。誰がどう見ても文句の言われようのない一年だったのだ」

 彼女はも一度写真を見た。やはりそこには屈託のない娘の笑顔があった。

 彼女は再び包丁に目をやった。握る手の上に水滴が落ちる。

「私はもしかしてとんでもない過ちをしてしまったのではないだろうか」

 十一時

 包丁を握る力を強めてみるが、感覚がない。心臓が速くなり、明らかに汗が噴き出ていた。しかし切り刻んでしまったものはしょうがない。あれこれ言っても無駄だ。

 十一時一分

 ゴトト…

 突然娘の部屋の中から音がした。

「起きた……⁉︎」

 彼女は全身に力を入れて、部屋に耳を立てた。

 ゴトゴトト…

 部屋からの音は徐々に大きくなっていく。彼女は精一杯頭を回すも、何も絞り出せないことしか得られなかった。

 十一時一分五十秒

 ついに扉は勢いよく開いた!

「番号あった!受かった!大学決まった!」

 娘はスマホに羅列されている番号を指差していた。その番号が合っているのか母親には確かめられなかったが、彼女は大声で言った。

「あんたの好きなオムライス作っといてよかった!おめでとう!」

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短編集 小西 @konishi817

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