第41話 母国語(4/4)

「何を言ってる、こちらは置いてきたぞッ!」


 重要参考人の所持品を聞かれたエイナルが、声を張り上げる。


「あぁいえ、ですが、そちらの書記官が」


「私が隠したとでも思っているのか?!」


困り顔のアシュロフに、エイナルは威圧的に答える。


「貴殿たちがあの部屋にいて失くなっていたのなら、管理責任はそちらにあるんじゃないのか」


エイナルの追撃にアシュロフは大量の冷や汗をかいていた。


「そんなことはない、はずです。入って来たときには見当たりませんでしたから」


「よく探したらどうだ。それでないのなら、部屋で待たせてる間にあの男が隠したのかもしれんぞ」


 アシュロフは鼻息荒くまくし立てるエイナルの顔をみつめる。

彼は身体の両脇にぴたりとつけた両手が、気を抜くと拳の形になるのを必死に抑えていた。


「……もう一度探します。失礼しました」


 一礼して踵を返す彼の背後から「騎兵団は物の管理も満足にできないのか」とエイナルのなじる声が飛ぶ。


唇を引き結び、奥歯をぎりりと噛みしめたアシュロフは、静かに部屋の扉を閉めると、入口の脇にある石階段を足早に駆け上って行った。


 軍人同士の荒い言葉の応報は普通で、ラズロフスキのような柔和な語り方をする上官の方が珍しい。

彼はそんな上官の下につけた幸運を日々噛みしめるが、別部隊の上官と会話をすると、得難い幸運がなおさら際立つ。

『あちらが普通で、こちらの上官が稀なのだ』と言い聞かせているが、今日のように長い時間接する機会があると、不遜な態度が出そうになってしまう自分の未熟さを、彼は思い知らされる。


――大尉のように振舞うことは難しい。しかし、感情の起伏は最小限に抑えるよう、精進しなければ。軍人らしく


 石階段を登り切ったアシュロフは立ち止まると、己の頬を両手で叩いた。

二階の廊下の突き当りの部屋に着くと、大きく息を吐き、静かに木戸を叩いた。


「失礼します」


 木戸を開くと、部屋の中には誰もいなかった。

聴取が終わったのだろうかと廊下を振り返ったが、誰かが出て行った様子もなかった。


――別の部屋に移ったのだろうか


 激昂するエイナルと話していると、時が長く感じられたが、実際はそんなに経っていないはずだ、と彼は思っていた。

聴取の最中に別の部屋に移る必要があるなど、考えたこともなかった。

しかし、現実に部屋がもぬけの殻で、書記机の上にも何も載っていないのを見ると、どこかに移動したとしか考えられない。


 どこの部屋に移ったのか想定もつかず、狭く長い廊下をふらふらと歩いていると、歩いて来た廊下の逆の方向から「誰か来てくれ」と叫ぶ声がした。


声のする方向に向かうと、二階トイレから声が聞こえてきた。

半開きになった木戸の間から、赤い血溜まりが見えた。


アシュロフが静かに扉を開く。

そこには、胸のあたりを真っ赤に染めて傷を負ったキチュバルクに、傷口の確認をする大尉がいた。


「なッ! 何があったんですかッ!?」


驚きで声を上げるアシュロフに、ラズロフスキは血走った眼を向けて叫ぶ。


「容疑者に刺されたらしい! 急いで衛兵に伝えろ」


声を荒げるラズロフスキの様子に喚起され、アシュロフは階下の衛兵たちに伝えるため駆け出して行った。


*


 階下へ駆け降りるアシュロフの遠ざかる足音を聞きながら、倒れたキチュバルクをラズロフスキは冷たく見下ろした。


「まったく……」


彼が残した調書をおもむろに開くと、そこには『父親』『殺した』『弟』など、断片的に聞き取れたであろう単語と、そこから推測される情報が書き留められていた。


「君の爺さんは俺と同郷だったのか。侮ってすまなかったね」


そう言って、調書を床に落とした。


血だまりに落とされた調書はキチュバルクの体液を吸い、記された字は判読不能になる。


「君の不始末は、そっちの上官に挽回してもらう。安心しなさい」


冷たくなったキチュバルクに、ラズロフスキは優しく囁いた。

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王のエンブリオ ~王女と蟻と失われたロータスの実~ 百舌すえひろ @gaku_seji

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