第40話 母国語(3/4)

親父あいつはな……タシトゥールの女とデキてた。母さんと結婚するずっと前に、子供を作ってた」


 ラズロフスキはおかしくもないことを無理に笑うように、口の端を歪めた。


「植物の国外採取に出てたのは、隠し子と会うためだったんだろうな」


ヴィクトルがぽつりとこぼす。


「……なんで俺らをあの国へ同行させたんだろう」


ラズロフスキは小さく笑う。


「親父にしかわからないさ。俺らを、隠し子と仲良くさせようとしてたわけじゃない、と信じたいが」


「今そんな話を聞かされても、俺にはなにもわからない」


ヴィクトルの正直な感想に、ラズロフスキも同意するかのように瞳を瞬かせ、口を開いた。


「母さんから見てもそうだったんだろう。ずいぶん歳の離れた夫婦だった」


そう言って彼は一度背筋を伸ばすと、目の前の弟の顔をまじまじと眺めた。


「お前、親父イザークに似てきたぜ。見た目どころか、やることなすこと、似てきたんじゃないか。お前も結婚してたよな? たしか、ボルニアの……」


「……死んだ」


 ごっそりと表情の抜け落ちたヴィクトルの口元が、絞り出したように漏らす。


「リディアは死んだ」


抑揚のない声で発せられた言葉に、ラズロフスキは静かに唾を飲み込んだ。


「それは……お前が義父さんエルネストを殺したことが原因か?」


「ちがう」


強い否定を口にすると、ヴィクトルは口の端を歪ませる。

奥歯に力がはいっているのか、顎の筋がわずかに盛り上がっていた。


「俺が知ってるお前の情報は、実の親父イザークを死に追いやったことと、義理の父親エルネストを殺したこと、だな。そこに王女誘拐が追加されれば、もう何も擁護できない」


ヴィクトルは揺れる琥珀の瞳でラズロフスキを見る。

食いしばる口元をゆっくり開くと、喉を震わせて呻くように言う。


親父イザーク義父エルネストも、事故だった。……兄貴エドアルドが一番わかってるだろう」


 こみ上げる感情を必死に抑え、震える声を出すヴィクトル。

久しく呼ばれなかった名を聞いたラズロフスキは、ハシバミ色の瞳で静かに弟を見つめた。


「事故でも故意でも、記録の上ではやってしまった事になっている。……今こうしてお前が生きているってことは、殺人のみそぎは済ませたんだろう」


肩を落としうなだれる弟は、小さく頷いた。


「前科がある以上、よほどの事情が証明されないと難しいぞ。今回は間違いなく処刑される。王族の誘拐なんだからな」



「あのォ大尉ユーズベシュゥ……」


 背後のキチュバルクが言いにくそうに口を挟む。


「わたしィ、その男の所持品ン、預かってましたァ」


へらへらと形容しがたく気の抜けた表情で、彼は手元の革袋を掲げた。


「その男をォここに連行してくるときィ、書記机の端にィ革袋をかけていたのをォ、いま思い出しましたァ」


「……ずいぶん思い出すのが遅いな」


ラズロフスキは怒りを抑えた声で呟くと、彼の手元から革袋を受け取った。


「確認しよう」


 中央の机に、ヴィクトルの所持品を広げて確認する。


「硬貨の入った皮袋と短剣……これだけか?」


ヴィクトルは顔をしかめた。


「……陶器の壺が二つほどあったはずだ」


「どうなってる」


ラズロフスキがキチュバルクに問いかける。


「いやァ、わたしはァそれしか預かってませんよォ」


「貴殿の隊は、所持品の管理も満足にできないのか」


冷たく言い放つラズロフスキに、キチュバルクが反論した。


「いいえェ! ほんとうにわたしがァ預かってるのはァ、それだけですしィ! その男のォ勘違いだとォ思いますよォ!」


必死の形相から、本当にわからないのだろう。


――他にあったとしても、彼に渡されたのはこれだけかもしれない


ラズロフスキは諦めてヴィクトルに向き直った。


「……我々で管理できているのは、これが全てらしい」


 ラズロフスキは短剣を手に取る。

革の鞘に納められた短剣は、つばを持たない匕首あいくち様式で、グリップ黒檀エボニーが使われている。

長年の使用から他の木面よりも滑らかになっている握りに手をかけ、するりと鞘から抜く。


「親父の両刃短剣カーマ・キンジャールか。お前が持ってたんだな」


切先ポイントから柄頭ポンメルまで一クビト50cm

抜身の剣身ブレイドは平板で、剣先から見ると菱型ひしがたの断面になる。

中央には刺した時に抜きやすくするためのが彫られ、切先に向かって緩やかに細くなっている。


目を凝らすラズロフスキに、ヴィクトルが言った。


「カーマだ。キンジャールは入れない」


「どっちでも同じだろ」


グリップは抜身の剣身ブレイドより一段細く、剣身の身幅より細くなっているため、縁に当たる部分が実質的なつばとして機能する形になっている。


「違うんだよ。……エドアルド、返してくれ」


「できるわけない。規則だからな、残念だが」


 彼の背後でまた木戸が叩かれる音がした。

律儀なアシュロフが返って来たと安心したラズロフスキが振り返ると、同じ部隊だが別の下士官が顔を覗かせた。


「失礼いたします、大尉ユーズベシュナサン中佐ヤーベイ・ナサンがお呼びです」


「今は聴取中だ」


「すぐに来るようにと聞いております」


「……そうか」


 ラズロフスキは手にしていた両刃短剣を鞘に納めると、のろのろと立ち上がる。

「仕方がない」と呟きながら、背後に座っていたキチュバルクに短剣を渡して声を掛ける。


「わかっていると思うが、私かアシュロフが帰ってくるまで、見張っていなさい」


キチュバルクはごくりと唾を飲み込み「はァい」と返事をすると、ラズロフスキが空けた席に移動し、ヴィクトルの前に腰を掛けた。

その様子を見たラズロフスキは何とも言えない苦い表情を浮かべた後、呼びに来た下士官と共に廊下に出て行った。



 ラズロフスキが部屋から出て行くと、ヴィクトルは顔を歪め、左足をカタカタ小刻みに震わせる。


「……いま何時なんだサートカッチ


正面に座ったキチュバルクにリクラフルス語トルクメニキで聞いた。


「時間を聞いてェどうするんでェ?」


「飯はいつかと思って」


キチュバルクはふふンっと鼻で笑う。


「なァんだ、腹が減ってるのかァ。大尉ユーズベシュが飯を出す気があるかはァ知らないけどォ、飯は三時間後だなァ」


「……トイレに行かせてほしいんだが」


「腹ァ減ってるんじゃないのかァ? 今はァ無理だよォ。大尉ユーズベシュがァ帰って来てからァ聞いてくれェ」


キチュバルクがあくびを噛み殺しながら答えた。


「さっきから我慢している。漏れそうなんだ、頼む」


ヴィクトルはおもむろに椅子から立ち上がる。


「落ち着けよォ。ちョっとぐらい我慢できるだろォ」


「あんた、独房がどんなに寒いか知らないだろ。誰でも腹壊すぜ。ああもう、破裂しそうだ」


キチュバルクは、彼を見上げ口を尖らせた。


「そっちを漏らされるのはァ後始末が面倒だァ、勘弁だよォ」


キチュバルクは一瞬考える表情をした後、ヴィクトルの両腕の枷に縄をつけた。


「……あァもう、仕方ないなァ」


*


 ナサン中佐の会話を切り上げたラズロフスキは、小さく溜息を吐く。

聴取の進捗を聞かれ、まだ核心をついた動機を聞けていないことを伝えると、中佐は苛立たしげに何度も舌打ちをした。


 聞き取りが思うように進まず苛立ちを募らせているのは、王女の相手をしているナサン中佐も同じだったようだ。

王女からは「誘拐ではなく護衛をしている民間人だ」の一点張りで、それ以外のことについては一切口を閉ざし、食事も手をつけないため、扱いに困っているようだった。


――誘拐犯が血のつながった弟だと知れたら、俺の立場も危うくなるだろうか


聴取室に戻ると、部屋には誰もいなかった。


 ラズロフスキの頭の中が一瞬真っ白になったが、書記机の上に調書、中央の台に押収された所持品がそのまま置いてあるのを見て、なにかおかしいと立ち止まった。


調書も所持品も残したまま、キチュバルクがヴィクトルを連れてどこへ向かったのか。

焦る気持ちを抑え手元の調書を見ると『八時五十二分 トイレに行く』と、律儀にも時間と行動が記されていた。


続けて紙面をめくると、彼の顔面は固まった。


 ラズロフスキは怒りに震え、調書と所持品を持って二階のトイレに駆け込むと、木戸の先には、床に横たわるキチュバルクがいた。


「おい!」


ラズロフスキが気を失ったキチュバルクの頬を叩くと、彼は薄目を開け、呆けた表情をした。


「男は!? どうした?」


問い詰められたキチュバルクは口の端から涎を垂らし、もごもごと口を動かす。


「すみませェん、大尉の弟さん、逃げちゃいましたァ……」


彼は口をへの字に曲げ、眉根を寄せた。

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