第39話 母国語(2/4)
「
ラズロフスキは向かい合う赤毛男に語り掛ける。
「
不快そうに口を曲げ、琥珀の瞳を光らせる。
「そんな顔しても、事実だろう。それとも、王女の誘拐は誤解か」
ラズロフスキの追及に彼は無言を貫く。
「……すぐに言うなら、エイナルは苦労してないよな」
はぁ、と息を吐くと、ラズロフスキは背後のキチュバルクにリクラフルス語で語り掛けた。
「
「あァー、エーっと、そうですねェ……」
キチュバルクはのろのろと手元の調書をめくる。
ラズロフスキの位置から見て、たいして書き込みがされず、白紙の面が目立つ。
「皮袋の中にはァ所持金とォ……革帯に短剣なんかァ持ってましたねェ」
彼は調書をめくる右手を放すと、自身の鼻を掻いた。
「それはどこにある」
「エイナル中尉がァ持って行きましたよォ」
ラズロフスキの質問に対し、キチュバルクは半開きの瞼で見る。
「取り調べで、本人に確認する作業をしないのか」
「エーと、しますよォ」
「……なんで持ってきてない」
「そちらがァ必要だとォ、おっしゃらないのでェ」
面倒そうな顔つきで返事をする彼の様子は、ラズロフスキの神経を逆撫でていく。
「持ってきてくれ」
「わたしがァ離れるわけにはァ……」
トントン……――
聴取室の木戸が叩かれ、扉が静かに開かれる。
廊下には息を切らしたアシュロフが佇んでいた。
彼は扉を全開にすると、両手で予備の書記台を抱えて入ってくる。
「お、遅くなりまして、申し訳ありません……っ」
汗まみれのアシュロフが、硬い表情で割って入る。
彼の顔を見たラズロフスキは安堵し、表情を弛めると、口を開いた。
「ちょうどよかった。
「えェ、やァ、わたしはァここに居るようにとォ、
「今の君に、まともな調書が書けているか?」
のらりくらりとする彼の態度に、ラズロフスキが冷たく指摘する。
キチュバルクは目を見開き無表情になって固まった。
「言語がわからず、満足に書き記せないのなら、ここに居る意味はないと思うが」
「……それでもォ、わたしがここに居るのはァ、
「
キチュバルクの発言にほとほと嫌気が差したアシュロフが申し出た。
『相手にするだけ時間の無駄』とばかりに、彼の存在を無いものとしはじめた。
「……何度もすまない。頼む」
アシュロフは来たばかりの足で、再び廊下に引き返した。
「
改めて正面のヴィクトルに向き合ったラズロフスキは、ゴーグロフト語で呟く。
「なぁヴィクトル、あのあと
突然話題を変えたラズロフスキを、ヴィクトルは怪訝な表情で見つめた。
「親父が捕まった後、母さんがどうなったか、知らないだろ?」
「……
黙って聞いていたヴィクトルは、初めて
「
彼は一瞬目を大きくしたあと、顔を伏せる。
机の角、ラズロフスキの右肘の一点を凝視するように固まった。
「もともと
ラズロフスキは小さく息を吐くと、顔を伏せたままのヴィクトルを観察した。
「
そう言うと彼は自分の足元に視線を落とす。
『常に人の上に立つ人間になりなさい』
『父のようになってはいけない』
あの母と二人、日中でも日の差さない部屋で常に聞かされていた。
弟ができ、父が家に戻ることが少なくなると、母の期待と圧迫は彼の肩に日に日に増していった。
――この足で踏みつけたものは数えきれない。
「なんで
問いかけられた言葉に、ヴィクトルは顔を伏せたまま無言で頭を振る。
「……わからないよな。お前まだ十歳だったもんな」
幼少期に溜め込んでいた両親への不信。
それをわずかでも分かち合える人間は、今や目の前の弟だけだった。
「
彼は弟の重い口を開かせるためというよりは、長年溜め込んでいた自身の思いのたけを分散させたい気持ちが勝って放言した。
「その女は若いときに別れたらしいが、子供が生きてたんだよ」
互いの顔に苦みとも悲しさとも判別できない色が浮かぶ。
重い空気が、二人の兄弟を支配している。
「俺とお前が最後に親父といた時、覚えてるか?」
「……チュニシス。タシトゥールの」
「ああ。俺らが永久追放を食らった国だ」
背後で紙をめくる音がした。
ラズロフスキは一瞬だけキチュバルクに目線をやったが、言葉のわからない彼はやることがなく、白紙に近い調書を見返しているようだった。
ラズロフスキは大きく息を吸って、ヴィクトルに向き直った。
「あの場に、
ヴィクトルは光のない琥珀の瞳で、ただラズロフスキを見返していた。
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