ツクリカタ
雪国匁
第1話
「ここの音が違うと何度言わせれば分かる!!」
「痛っ……」
また、お父さんに叩かれた。今日だけで三回目。乾いた痛みだけが頬に残り続ける。
「はぁ……もういい、時間の無駄だ。あとは一人で練習しておけ。俺と母さんは次のピアノコンサートの話をしてくるから家を空けるが、絶対に今日やったところは完璧にしておけ」
「……はい」
そう言って乱雑に足音を立てながら、お父さんは家を出た。
私は黙ってピアノに手を置く。けど、十二時間通しで練習させられた私の腕は言うことを聞かないでいた。
「はぁ……」
大きくため息をつく。立ち上がって水でも飲みに行こうとしたが、両足が椅子と縄で繋がっていることを思い出して仕方なく再び座り直した。
私の名前はオリト。両親が天才ピアニストと称される、その一人娘。
その影響もあってか、一歳の誕生日には子供用の小さいピアノを与えられ、それからずっと音楽を奏でさせられる人生を送っている。
お母さんもお父さんも私を世界一のピアニストにしたいようで、小さい頃からずっと付きっきりで私に教えていた。けど、残念なことに私に音楽の才能はなかった。
小学校、中学校、本当に最低限の義務教育しか受けずにピアノの練習をさせられる。勿論学校行事なんて参加したこともなく、私にとってそれらは空想の中の御伽噺と言い換えられるもの。ましてや中学を卒業すれば高校なんて行かせてもらえるわけもなく、その予想も当たって私は高校生としての一歩すら踏み出さずに家でひたすらピアノを弾いている。
スマホやゲームは愚か、私の所有物なんて部屋の楽器と楽譜しか存在しない。そんな血反吐を吐いて吐いての生活で、確かにある程度は上達したが、両親が思うようなレベルにはまだ到底達していない状況だ。才能がないから当然だけど。
まぁそんな不幸自慢は置いておいて私が何が言いたいのかというと、『こんな人生を送る価値なんてものがあるのか?』ということだ。
私はお母さんとお父さんが為したことをもう一度する、いわばマリオネットのような存在だ。そこに私の意思はないし、あるのは私という存在だけ。
ホント、最悪な人生だ。
もう一回周りに誰もいないことを確認してから、私はポケットからカッターを取り出した。
そしてそれをゆっくりと首筋に当て、切ろうとする。けど、残念なことに手は動かない。
動悸を起こし、息は荒くなる。けど、やっぱりこの手は動かない。
そういうことを十秒程度やった後、カッターをポケットに直す。
そのまま私はピアノに突っ伏した。
知らぬ間に、目からは悲しみの印が流れ出ていた。
「私はアンタらの人形じゃない!!!」と、一度でも言ってみたい。けど、仮にもここまで育ててくれたという恩義が、それを決して許さない。
これから、どうしよう。一生このまま、やりたくもないピアノに人生を縛られるのか。
嫌だ、と言えない。そんな自分に嫌になる。
誰か助けてよ……。
「こんばんは。今日は綺麗な満月だね」
「……は?」
不意に、前から声が飛んできた。
「君もそう思わない?」
害意ない笑みを浮かべた少女が、ピアノの上に座っていた。
白いワンピースに、手に持っているのはランタン。時代設定がよく分からない格好の、よく分からない少女が、いつの間にかそこにはいた。
「アンタ……、誰?」
「私? 名乗るほどの名前はないよ」
そう言いながら彼女は意地の悪そうな、それでいて可憐な笑みを浮かべた。
「まぁ敢えて名乗るとするなら……天使の『ハロウィン』だよ。知っておいてね」
そう言ってウインクをする彼女を見つめながら、私は必死にこの状況を理解しようとした。
「どうやって、ここに?」
「魔法の力だよ。だって私は天使だからね」
あり得ることはないが、妙に説得力のある言葉だった。
「じゃあ、こっちからも質問しようかな。名前は?」
「……オリト」
「そっか。じゃあオリト、また一つ聞かせてね」
そう言って、彼女は顔を近づけてきた。
「そのカッター、何?」
「……何の話?」
「隠さなくても知ってるんだよ。さっきまでカッターで首を切ろうとしてたことくらい」
その言葉を聞いて、私は背筋が凍りついた。
まさか、見られていた? あまり見られていて気分がいいものじゃない。
「……知ってるならいいじゃん」
「死ぬ気なの?」
「こっちの勝手でしょ」
「そんなガタガタの刃のカッターで首が切れるとでも?」
「うっ……」
痛いところを突かれた気持ちだ。
こんなカッターじゃ切れないことくらい分かってる。私がしようとしていたのは、場所を変えただけの自傷行為。死にたいとは願いながら、全く行動に移せていない。
「……別に、いいでしょ。アンタには関係ない」
「そうだね。じゃあ、関係ない私に話くらいしてみない?」
ごく自然に、彼女はそう聞いてきた。
「しない、と言ったら?」
「それこそオリトの勝手だよ。そのまま立ち去るだけ」
どうしよう。でも、しばらく親以外の人と話していないのも事実だ。
「……じゃあ、お願い」
そう言って、私は自分の人生の概要を彼女に話し続けた。
「ふーん……、史上稀に見る毒親だね」
「でしょ?」
真面目に話を聞いていたハロウィンは、話し終えるや否やそう口にした。
「それで、反抗しないの? このまま人生終えるのなんて癪でしょ」
「そりゃあしたいよ。けど、できないよ……。仮にも親だし」
「成る程ねぇ……、それで自殺しようとしたと」
そう言って、ハロウィンは少し考え込む素振りを見せた。
「オリトはさ、何かしたいこととかないの?」
「したいこと……?」
「そ。このピアノ生活から解放されたら、してみたいこと」
そんなこと急に言われても、ピアノがない生活なんていまいち想像できない。
けど……。
「……高校は、行ってみたいな。それで友達とお喋りしたい」
「うん、いいじゃん。他には?」
「クラシック以外の音楽も聴いてみたいな。この家じゃテレビもないから、街中で聞くのしかないし」
「いいじゃんいいじゃん!」
ハロウィンは笑って相槌を打ってくれた。
「やっぱりさ、人間なんてどう生きてたってしたいことくらいできるんだよ。今の生活に縛られてる人だと、余計にね。違う?」
「……違わない」
「でしょ?」
ハロウィンはピアノから立ち上がった。そしてそのまま、どういう原理かは知らないけど私の周りを浮き続ける。
「そんなにやりたいことがあるのにさ、死んじゃうなんて勿体無いと思わない?」
勿体無い。その言葉が、私の頭を回り続けた。
「いつかはできるかもしれないじゃん。それを置いて逃げちゃうのは、流石に馬鹿だよ」
「……かも、しれない」
「だからさ、取り敢えず生きてみようよ」
ハロウィンのその言葉が、今度は私に突き刺さった。
「……私は、何がしたかったんだろうね」
「苛立ってたんじゃない?」
「はは……、そうかも」
そう笑って、私はピアノに手を置いた。
そういえば、笑ったのなんていつぶりだろうか?
「一曲弾くよ。下手だけど、聞いてくれない?」
「勿論、いいよ」
その返事を聞いてから、私は指を動かした。
部屋の中を、私が奏でる音楽が満たし始める。
彼女は黙ったまま、目を閉じて聞いていた。
(……ああ、こんなに楽しくピアノを弾くのはいつぶりだろう)
どうしようもない幸せの感覚に私は包まれた。
今は、包まれていたかった。
「……ありがとう。とっても良かったよ」
「こちらこそ。おかげで気が晴れた」
「これで文句を言われるなんて、酷い親もいるもんだね」
冗談めかして言った後、ハロウィンは突然神妙な面持ちに顔を変えた。
「ねぇ、オリト」
「……どうしたの?」
「また親が帰ってきたら、オリトは毎日毎日ピアノを弾き続けて、また怒られ続けて、叩かれ続けるんだよね」
その言葉は、辛さが和らいでいた私の心を奈落まで突き落とすものだった。
「……嫌だなぁ」
「だよね」
そう言ったハロウィンは、真面目な顔で私の方を向いた。
「オリトは、親のこと嫌い?」
「……そりゃあ、好きなわけないでしょ」
「じゃあ、正義か悪かで言ったら?」
「……悪、だけど」
突然、何を言ってるんだ?
「あのね、オリト」
そう言って彼女は地面に足をつけた。
「悪人になら、何をしてもいいんだよ」
「……え、?」
「この世には二種類だけ許される悪があるんだよ。何か分かる?」
「……分からない」
「『仕方のない悪』。そして、『悪人に対する悪』」
心臓の鼓動が、早くなっていくのを感じた。
「羅生門って、読んだことある?」
「……ない」
「じゃあいいや。でさ、オリト」
ハロウィンは、懐から何かを取り出した。
「自由になりたくない?」
彼女が取り出したもの、銀色に鈍く鋭く光る金属器を見て、私の呼吸は荒くなっていく。
「一生このまま縛られて過ごすか、何にも縛られず自由に生きるか。どっちがいい?」
「ちょっと待って。それって私に……」
「また何もしなかったら、オリトは今日みたいに自殺しようとするよ。いいの?」
その言葉を、私は否定できなかった。
「どうせ死ぬならさ、罪を被っていかない? いっそ気が晴れるまでさ」
頭がクラクラする。視界が、狭まっていく。
「これ、あげるよ。どうするかは自由だよ」
そう言ってハロウィンは、私の手にナイフを持たせた。
「じゃあ、私はこの辺でお暇するよ。今日は楽しかったよ」
「え、ちょ、待って」
「またいつか、生きて会おうね?」
そう言い残して、彼女は魔法のように消え失せてしまった。
一人残された私は呆然として、手に持つ物体を改めて見つめる。
少しの間考えて、私は足に繋がれていた縄にナイフを当てた。
「ただいま。オリト、ちゃんと練習はしてた?」
お母さんの声が聞こえる。私はピアノを弾き続けた。
「なんだ、してるじゃない。ねぇ、オリト……」
そしてお母さんが座っている私のすぐ後ろに来たタイミング。
私は置いていたナイフを手に持ち、後ろにあったものを刺した。
「……え」
うめき声と、間髪入れずに続いた咳き込む声。苦しそうなそれは、聞いたこともない音をしていた。
「オリト、練習の成果を……」
お父さんがリビングに来たと同時に、その女性は倒れた。
「ああ、お父さん。おかえり」
「……お前、何を……」
お父さんが言い終わる前に、私は距離を詰め、目の前にあった物体を刺した。
「お母さん、お父さん。今までありがとう。バイバイ」
私はナイフを引き抜き、玄関に向かった。
「おい、待て……」
その男性が発した言葉の最後の方は、もう聞こえなかった。
「お母さんは倒れちゃった」
夜道を、一人で歌いながら歩く。
「お父さんも、動かなくなっちゃった」
赤く染まった腕を隠すことなく、歩く。
「次はどこに行こう?」
誰にいうわけでもなく、誰に聞かせるわけでもなく。
私は、一人静かに笑った。
「『下人の行方は、誰も知らない』、だっけ」
私は、夜空を散歩していた。
「ゴメンね、オリト。煽動しちゃって」
綺麗なピアノだった。何度でも聞いてられるものだった。できるなら、また聞いてみたい。
けどまぁ、しょうがないか。
「んー、今日の仕事は終わりかな」
大きく伸びをする。少し申し訳なさはあるけど、これもまぁしょうがない。
そういえば自己紹介をしてなかったっけ?
そう、君への。
私は天使・抵抗売人のハロウィン。死にたがりに少し、悪戯をする役目を貰ってます。
折角自分が死ぬんなら、最後くらいは周りのことを考えずに暴れたらいいのにね?
じゃあ、今日はこんなところで。また機会があれば、お会いしましょう。
では。
Trick and trick, for you.
ツクリカタ 雪国匁 @by-jojo8128
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