4.【結】

 目を覚ますと、そこにはモフモフとした赤い何かと翡翠色のまん丸い瞳がこちらを覗き込んでいた。

 意識を取り戻した俺を見るや、パァアッと音が出そうなほど明るい表情になったその子は、近くにいる誰かに話しかける。


「お、お師匠さまが起きたのです!」


 聞き覚えのある声。

 確か畑仕事終わりに現れた小さな女の子。赤毛で愛玩動物さながらの保護欲が燻られる子供。名前はメリダ。

 声の主に該当する人物を単調に思い出す。


「なら、包帯と薬を持ってきてくれ」

「はい、なのです!」


 奥で会話が聞こえ、直後にトタトタと木製の床を駆ける音がなった。


「ここは?」

「ここは貴方の家だ。アラン=ウォレイフ殿」


 そう言ってきた声にも聞き覚えがある。

 声の主を探し視線を彷徨わせると、洗面台から水の入った桶を持った妙齢の女性がそこにいた。メリダの前に訪ねてきた女冒険者アリサだ。

 確かに女冒険者が言うように、部屋を見回すとここは見慣れた我が家そのものだった。

 ベッドから起きあがろうとすると、全身のあちこちに痛みが走る。


「あっ、痛たたた……」

「あまり無理するな。右手や肋の骨折、背中は打撲で済んでいるが痣を見るに相当ひどい。吐血もしてたのを見るに、内臓も傷ついている」


 自分の体を見れば、右腕は簡素なギプスをつけて固定されて、全身は包帯で巻かれたミイラのようになっていた。傷の痛みが生きて帰ってこれたのだと実感させてくれた。


「そう、か……。あんたが助けてくれたのか。ありがとう」

「いいや、私はここまで運んだだけだ。見つけ出したのはメリダさ」

「メリダが?」


 救急箱を取りに行って未だに帰ってこない少女の名前が出てくる。あそこまで深く森に入ってしまっては、俺でも帰って来れるかわからないのにどうやって見つけて、ここまで帰って来れたんだ。


「もう一度貴方の家に伺った時、ちょうどそこにメリダに助けて欲しいと言われてな。しかし、驚いたよ。まさか猫人(ワーキャット)の少女を弟子にしていたなんて」

「ワー……キャット?」


 アリサが指す方を見ると、そこには大きな救急箱を抱えてヨロヨロ歩きをしているメリダの姿があった。その頭にはピコピコと尖ったモフモフの獣耳が二つ付いていた。

 耳だけじゃない。外套で見えていなかったが、お尻にもしなやかな尻尾が生えていた。


「何だ、知らなかったのか。まぁ、珍しい種族ではあるからな」

「救急箱を持ってきたのです!」


 自信満々にメリダは救急箱をアリサに手渡すと、こちらを見て耳をピコッと一震いした。耳で感情は読み取れないが、メリダの顔はいかにも「褒めて!」と言わんばかりの表情をしていた。


「ああ、ありがとう。メリダ」

「お師匠さまぁ〜」


 優しく頭を撫でると、メリダは気持ちよさそうに目を細めた。耳や尻尾も嬉しそうに震わせていて、何だか面白い。


「猫人の嗅覚は鋭くてな、この子の嗅覚を頼りに貴方を見つけ出したんだ」


 なるほど、だからあんな森深くも迷わず俺を見つけれたってことか。

 獣人の中には、メリダのように偉く鼻が効いたり、目が良かったりと、獣の名残のようなモノが備わっているらしい。中には鳥人という空を飛べる種族もいるのだとか。


「そういえば、ミノタウロスは?」

「そう、それだよ!」


 その後の処理が気になって尋ねた瞬間、アリサはすごい勢いで食いついてきた。

 あまりの凄みに驚いて思わず体を跳ねさせると、ありとあらゆるところから激痛が走った。マジで痛い…………。

 突然テンションが上がったアリサは、我に返ると顔を赤らめ謝罪をする。


「ああ……、すまない。その話をずっとしたかったものだから」

「痛たたた。いや、大丈夫。それで」

「ミノタウロスは死んでいたよ。すごいな、貴方の持っていたのは鍬だろ。そんな武器とも呼べない頼りない物では、私なら確実に死んでいた」

「いいや、運が良かっただけさ」


 素直な賞賛をもらうけれど、ただ運が良かっただけだと本心で思っている。流石に勘弁したいが、もしもう一度ミノタウロスと戦わないといけないとなれば、殺されるのは間違いなく俺のはずだ。

 あの場の全てが俺の味方をしてくれた。思い上がりも甚だしいがそんな気がする。


「運が良くても、五体満足であれほどのモンスターを打ち取るのは難しぞ?」


 それは数々の死線を潜り抜けた冒険者としての言葉を聞いて、それほどまでに強大な敵を倒したのかと改めて実感する。

 きっと運が良かったというのは、冒険者にとっては大切な要素なのだろう。不運が不運を呼ぶように、幸運が幸運を呼ばないと潜り抜けれない冒険だってあるはずだ。それこそ英雄譚の英雄たちはそんな冒険を繰り返したに違いない。


「無我夢中だっただけさ」


 あの時の記憶といえば、無我夢中だったから、あんまり覚えていないというのが正直な話だ。

 ただ生きたい、死ねないという感情だけが俺を突き動かしていた。生存本能ってやつなんだろう。だから、爺さんから教わった技術も走馬灯のように体が思い出し、近くにある物を武器にできた。


「だが、まぁ、かの賢者ではないかもしれないが、貴方は立派な英雄候補にはなったわけだ」

「…………はい?」


 アリサは含みのある笑みを浮かる。

 何を言っているのか理解できていなかった俺だが、その答えが丁度やってきた。

 扉を叩くノック音。

 動けない俺の代わりに、メリダが小さい歩幅で玄関まで駆け寄る。

 そこに居たのは、この村を治める村長だった。


「おお、アラン。目が覚めたか」

「村長。見舞いですか?」

「ああー……、いや、それも含めてだな」


 煮えきれない返事だ。何か問題でもあったのか? まさか、俺が寝ている間に俺を尋ねてきた誰かが暴れ回ったとかか?


「アリサ殿」

「ああ、アラン=ウォレイフ殿」

「あ、はい」


 アリサの至って真剣な表情になる。


「まず貴方に言っていないことがある。貴方はこの一週間、ずっと眠っていた」

「い、一週間!?」


 そんなに長い時間寝ていたのかという驚きもあるが、一番に浮かんだのが畑だった。

 一週間も畑が見れていない。畑の野菜たちは大丈夫なのだろうか。今すぐにでも畑を見に行きたい気持ちに駆られる。

 それを察したのか村長は、


「大丈夫だ、畑は村のみんなで面倒見ている」


 と、言ってくれた。

 なら安心だ。

 気を持ち直して、アリサの話に耳を傾ける。


「それでだ。貴方が寝ている間に、ミノタウロスの報告をギルドに早馬で報告したんだ。流石に、生息地行きが違うモンスターは報告しなければいかないからな」


 もちろん、その通りだろう。

 何年も暮らしてミノタウロスのミの字すら目撃は当然、噂すら出て来なかった。

 これは異常だ。この辺で何か起きているのか?

 だが、それは俺の役目じゃない。少し騒がしくなるだろうけど、王都から派遣された冒険者たちがどうにか対処してくれるだろう。


「そしたら、かの賢者の名前でミノタウロスを単独で打ち倒したというのがギルド内で広まってしまったらしくてな。それは冒険者にまで広まって。今となっては王都でも噂となってしまったみたいなんだ。それで」


 言葉が徐々に小さくなり、気まずそうに話す。

 嫌な予感しかしない。今すぐにでも耳を塞いで、これから聞く何かを無かったことにしたい。

 だが、そんな俺にお構いなくアリサは口にする。


「国王が一目会いたいと、貴方に召喚状が届いている」

「嫌だぁああああ!」


 この歳になって初めて子供じみた拒否反応が出てしまった。

 とうとう王様にまで目をつけられたという絶望。何より、俺と言う存在がより多くの人に広まってしまったという残酷な事実は受け入れ難いものがあった。

 アリサがおずおずと上等な紙を手渡してくる。封蝋には国旗でもある聖剣と盾が描かれたものがしっかりと描かれていた。これがさっき言っていた召喚状だということは、中身を開けずともわかる。


「今まで最大限に庇ってはきたが、流石に国王命令はどうしようもならん……。村を救ってくれたのに、すまなんだ」


 村長は眉を下げて謝罪する。

 この村には何年もお世話になっている。それこそ嫌な顔せずにだ。

 そんな彼らも国王からの命令に楯突けばどうなるか分からない。今更かもしれないが、俺のせいで彼らに被害が及ぶ、それは俺が一番望まない結末だ。


「はぁ、分かったよ。王様に会いに行く。それだけだな?」

「ああ、拝謁するだけだと思う……多分」

「なんて……?」


 小さな声で「多分」と聞こえたのは気のせいだろうか。というより、気のせいであってほしい。


「ギ、ギルドから私宛ての手紙にはそう書かれていただけだ。書状は貴方の手元にあるのだから、自分で中身は確かめてくれ」

「そりゃ、そうだが…………」


 悪いようにはされないだろうけれど、どうも不安が募るばかりだ。


「とにかく、怪我が治るまでは安静に。その間は私が監視役兼世話役の任務を請け負っているから、家事などは心配するな」

「あんたがぁあ?」

「失礼な。私とて家事の一つや二つはできる!」


 冒険者はガサツなイメージがあるけれど、本当に大丈夫なのだろうか。

 この不安はアリサの言う通りで杞憂に終わるのだが、それはまた別の話だ。



 治療期間はドタバタの時間を過ぎした。

 というのも、さっそく噂を嗅ぎつけてきた人たちが、俺を訪ねて何人も来たからだ。これまでの数倍はとめどなく来訪してきて、対応していたアリサとメリダはヘトヘトになっていた。

 この経験をして、自分たちも俺に迷惑をかけていたと改めて謝罪を貰った。

 来訪者にはなぜか村人たちも居て、俺の怪我や、持ち帰ったミノタウロスの角を見て「うひょー、すげえ。本当にミノタウロスを倒したんだ」と言いながら、村中に話し回る始末。昔から有名人なのは自覚していたが、今となっては『村を魔の手から救った英雄』という風に言われていた時は死にたくなった。

 『英雄アラン=ウォレイフの家』という看板を村の子供たちが建てようとしていて、必死に止めたのは記憶に新しい。

 メリダは


「わぁーい、お師匠さまは”えいゆー”なのです!」


 と、無邪気にはしゃぎ。


「顔も知らないアラン=ウォレイフよりも、村を救ったアラン=ウォレイフの方が、彼らにとってはよっぽど英雄だろうさ」


 と、アリサには宥められた。

 そういうものなのだろうか。英雄とは近い存在でもあり、遠ざけていた存在でもあるから感覚がおかしくなっているのかもしれない。

 そんな慌ただしい時間はあっという間で、包帯やギプスが取れるまでになっていた。


 そして今日、俺たちは王都へ向かう旅に出る。

 事前に準備していた荷物を背負い、しばらく留守にする家を出る。外には既にいつも通りのアリサと眠そうなメリダが待っていた。


「遅いじゃないか。馬車の時間に間に合わなくなるぞ」

「お師匠さま。だっこぉ」


 アリサの説教を片耳で聞いて、メリダを抱き抱えると王都へ向けて歩き始めた。

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かつては偉大な英雄の名、今はただのおっさんの名 ナガト @nagato0507

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