第3話 評議員
メイドたちの手によって丁寧に掃除されたにもかかわらず、どこか埃臭さを感じるのはこの石室が長く閉ざされてきたからだろうか。
リシャールは星室庁の評議員たちが集う議場――星の間に一足早く到着し、議長席の硬い座り心地を確かめていた。石造りの椅子は6月らしからぬ冷たさを帯びていて、
断片的に残る記録によれば、評議員たちは居眠りを避けるためにわざと星の間を安らぐことのない場にしたらしい。星々に彩られた黒の石室の中で、聖人たちがこの国の行く末を論じあった。
オレリア好みの話だが、この硬さは老人たちには少々酷かもしれない。
「――おや、殿下」
扉の開く音に視線を入り口へと向ければ、緑の瞳を輝かせる青年が厚い扉を押し開けたところだった。
「やあ、ヴィクター。来てくれてありがとう」
「殿下のご用命とあれば、いつ何時であろうとも。父からよろしく伝えてほしいと言付かっております」
「ジョージは今日も巡回に?」
「
やや呆れたように養父の言葉を代弁しながら隅の席を選んだのは、ヴィクター・ガーナー。ガーナー伯の若き名代だ。
老臣であり敬虔なミトラス教徒、さらには聖墓騎士団の騎士でもあるジョージは、レフコス王国内の治安が悪化していることを憂いて自ら愛馬を駆り、街道を巡回している。不器用なほどに正直な老騎士だ。
度々巡回を伴にしているジョージのことは好ましく思っている。しかし、その名代であるヴィクターは別だった。
今も謙虚に目を閉じているヴィクター。その知性を宿した緑の瞳からは野心の気配がする。
野心、それ自体は咎められるべきものではない。しかし、それが弟のレオに向いていることに気がついてからは、彼の動向はリシャールにとって目の離せないものとなりつつある。
今日の議会で彼の隠す腹の底が一端でも明らかになるかもしれない。
扉が開く音に気がついて目を開いたヴィクターを傍目に、リシャールはそんな事を考えていた。
「余裕ではないか。だから言ったのだ、卿の馬車は飛ばしすぎだと!」
「快適な旅路でなかったことは残念ですが、殿下や皆さまをお待たせするわけにはいきますまい。お久しぶりです、殿下」
「急いで来てくれたようだね、ありがとうトマス。エドワードも忙しいところ呼びつけてすまない」
「い、いえ、殿下がお呼びとあらば! ……おい、何をクスクス笑っておるのだニュージェント伯、殿下の御前で無礼であろう!」
連れ立って入ってきたのはマボン湾一帯を領地とするニュージェント伯のトマス・ニュージェント、そして西部に隣接するゴドルフィン侯爵家の次期当主エドワード・ゴドルフィンだ。
ニュージェント伯は元々独立性の強い家だったが、トマスがオレリアと密約を交わしたことを機に一気に中央との関係を深めた。特に彼の悪戯好きな三人娘はアンナとつるんでメイドたちをよく困らせているようだ。
リシャール個人としても気風がよく話のうまいトマスのことは気に入っている。彼はよき同胞だ。
「まあまあ、そうカッカなさるな。侯にとって殿下の御前は緊張すべき場ではありますまい、深呼吸深呼吸」
若き侯爵代理をからかいつつも世話を焼く様子はまるで彼の父親のようだ。
一方、その侯爵代理――エドワード・ゴドルフィンはあまり見ない顔だった。
明るい茶髪に小太りの身体、やや卑屈な目つき。若さを補うために蓄えはじめた口髭も伸び途中といったところ。
彼の強い語気は不安の裏返しだ。彼は元々ゴドルフィン侯の嫡男ではなかった。
分家の長男としてぬくぬくと育っていたところに舞い込んだ突然の訃報と、重くのしかかる責任。老いたゴドルフィン侯の縋るような期待を背負う彼の心労は計り知れない。リシャールは内心で彼の行く末を心配していた。
リシャールもまた突如として責任を背負った。初代勇者の記憶を持つ者として、ある日突然現れる重荷というやつに関しては人一倍理解しているつもりだ。
しかし、ニュージェント伯が助けとなるのなら心配はないだろう。
「あとは、キース……キース・シェフィールドがまだかな」
豊かな白髭のシェフィールド伯には、今回の星室庁再稼働において重要な役割を担ってもらうことになっている。それは星室庁復活の象徴となる改革の要――レフコス王国財務大臣だ。
現在分けられていない国庫と王室の個人資産を区別し、国庫を管理する。これによって、議会が能動的に予算を組むことができる。
実際に動かしてよい金額がわかるだけで、行動の計画は一気に立てやすくなる。
これは企業を運営してきた経験豊富な婚約者の入れ知恵だった。
「そうでした、先にお伝えしておくべきでしたね」
「なんだい?」
残念そうな笑みを浮かべたヴィクターに、リシャールはどこか得体の知れない不気味さを感じ取った。
「シェフィールド伯はいらっしゃらないそうです」
「……それはどういうことだい?」
「お孫さんが急病とのことで……昨今は医療の聖職者がどこも不足しており、治療を受けさせるために彼自身が出向く必要があったとか」
この広い星の間で、ヴィクターの言葉は寒々しさを一層掻き立てた。
シェフィールド伯が孫を溺愛しているのは周知の事実だ。先だっては孫が乗馬の練習をするためにと体高の低い馬を高値で買い付けたと噂になっている。
本当に彼の孫が急病なら、理解できる話ではある。まだ星室庁が再興していない以上、今回の召集に強制力はない。貴族として自身の血統を優先するのは自然なことだと言える。
しかし、問題はそこではない。
「そうか、それは残念だ。君はそれをどこで?」
「サフィラ様の側仕えから道中で伺いました、殿下」
リシャールは鷹揚に頷いてみせながら、ヴィクターへの警戒心を高めた。
サフィラ・シェフィールドはシェフィールド伯の義娘だ。彼が溺愛する孫を産み、病弱な夫に代わって家内を切り盛りしているよき嫁として、社交界では手本のような女性として語られる。
その一方で、サフィラには疑わしい点がいくつもある。
彼女はレフコス王国の生まれではない。羊毛の貿易で栄えているシェフィールド伯にとって大切な取引相手、ガロア王国の生まれだ。
奇しくもオレリアと同じ故郷を持ちながら、社交界で彼女がオレリアの前に姿を現したことは一度もなかった。疑問に思ったリシャールはオレリアに尋ねたことがある。サフィラと会う気はないか、と。
そして明らかになった事実が、リシャールを絶句させた。
サフィラの祖父、ガロアの重臣だったセベリウス侯は斬首されている。王への謀反を企てていたことが聖堂街の乱で明らかになった彼は、古参の家臣でありながら晒し首にされた。
「思ったよりも寂しい会になりそうですな」
「何、序幕とはそういうものだろう?」
「はは、殿下も中々粋なことを仰る。侯もそうムスッとしていないで、身内だけの会なのですから肩の力を抜かれるとよろしい」
ニュージェント伯の快活さがなければ息が詰まっていたことだろう。
すでに何かしらの謀略が動いている。リシャールは確信を得たが、表情に出すわけにはいかなかった。
シェフィールド家のサフィラが何を目的としているのか、ヴィクターが関わっているのはどのような意図があってのことか。裏を取るまで下手な動きを見せることはできない。
若きゴドルフィン侯が眉間に皺を寄せてニュージェント伯の太くたくましい腕を押しのけ、リシャールに何かを言おうとした。
その時のことだった。
「――遅参を心より謝罪する」
扉が押し開けられた。
吹き込んだぬるい風とともに入ってきたのは、ほのかなインクとカビ臭さ。
全員の視線が入り口へと向けられた。微笑みを議長席に向けていたヴィクターも、じゃれあっていたニュージェント伯とゴドルフィン侯も、そしてリシャールも。
黒の法衣に飾られた銀のタリスマンは年を刻む大樹を模したもの。筆耕官の象徴であるそれは少しくすんでいて、持ち主の生活態度がうっすらと透けて見える。
ろくに櫛も通していなそうなぼさぼさの黒髪、眠たげに垂れた眉。
ずり落ちそうになった片眼鏡を押し上げて、彼女は入り口から真正面にリシャールを見据えた。
「筆耕司祭ヴェルナティウスである。この度、
また面倒事がやってきた。
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