第19話 聖餐主義
放った銃弾が想定していたとおりの祝福を与えたことを確認して、ヨセフは祈りを捧げた。
北門を包んだ炎にほど近い大鐘楼は吹き上げるような熱波で焼け付いている。尋常ならざる熱さだ。ヨセフの足元に転がる兵士の死体からは煙が上がりはじめた。
しかし、この程度の熱さはヨセフの信仰を塵ほども妨げない。
「偉大なる聖メナンドロスよ。汝の遺骨が哀れな民を救い給うたのを、夜天から確かに見届けたまえ」
ヨセフが放った銃弾は、銃と共に与えられた七発のうちの一発。隕鉄から生み出された聖なる弾丸だ。
そして、それを撃ち出す火薬には遺骨を砕いたものを混ぜた。
聖メナンドロスはかつてたった一枚の隕鉄の盾で千の魔術を防いだ殉教者だ。彼の偉大さは教義上「魔術を使い人を傷つける苦しみを解決した」として解釈された。
その遺骨を煎じたものを火薬に混ぜたことで、放たれた銃弾は魔術を封印する祝福を与えるようになる。遺骨を細かくした以上、長続きはしないだろうが、短期的な戦闘での価値は計り知れない。
「しかし、余計な真似をしてくれたな」
思わずこぼれた悪態は、協力者であるヴィクター・ガーナーに向けたものだ。
彼が呼び寄せた私兵は確かに精強で、雪賊に扮しても違和感を覚えさせないだけの不気味さがあった。肉体も精神も、日頃から後ろ暗い戦闘行為――略奪に従事している者のそれだった。
ヨセフは世俗に疎い。聖餐主義者の本分は探究だ。大貴族の名代である彼が何とつながっているかなど、想像もつかない。
互いの生きる世界が違う以上、互いのやることに注文はつけない。この取り決めがお互いの足を引っ張りあった。
ヨセフはアルバス・カンパニーを直接襲撃するのではなく、火災の避難民として人を内部に潜り込ませる予定だったのだ。それをヴィクターの私兵に邪魔された。潜入するはずの間者も連絡がつかない。
「……いや、これは言い訳か」
結局は己の怠慢が招いたことだ。
対話は昔から苦手だった。議論の場でも舌を噛んでばかりいたせいで、聖餐主義者の兄弟たちにも時折からかわれていたのを思い出す。
もっとも、その揶揄に倦んで里を離れているうちに兄弟たちが枢機卿の魔の手にかかり、薬物で飼いならされ、挙げ句の果てに遠いガロアの地で散ったことを思えば、これも神の思し召しなのかもしれない。
数奇な運命を編む偉大な神を思いながら、ヨセフは二発目の装填を終えた。
「……聖トリフォサ、汝、見通す者よ。我は神の矢を放つ者。眩き神威を轟かせる者。汝が眼光を導きとなせ」
その神聖な名を呼べば、眼窩の奥で左目が熱を帯びる。
大鐘楼から1km以上離れた魔術師の女を狙うことができたのは、この特別な眼のおかげだ。救いを求める者を決して見放さず、どこにいてもその祈りに応えたと謳われた聖騎士トリフォサの眼球を直接移植した。
当然、己の眼を抉り取って他人の眼を押し込んだところで見えるようにはならない。それどころかいずれは腐り落ちるだろう。
しかし、この眼球は聖遺物だ。
千里眼とも讃えられた偉大な聖騎士にして守護聖人、トリフォサの眼球は見通すことに関してどんな義眼よりも優れている。
「捉えた」
探していた獲物をトリフォサの眼が見つけた。
聖女スルダが匿われた以上、今回の計画は失敗だ。しかし、次がある。次のためにできるだけ削っておかねばならない。障害となる悪――オレリアの手勢を。
ヨセフの意識に直接与えられる映像が、ウーティス・アルバスの姿を捉えた。哀れにも汚れと傷だらけで壁に凭れかかっている。意識がないようだ。
そしてその隣にいるのはオレリアと、先ほどヨセフが銃弾で魔術封印の祝福を与えた女魔術師。
完璧な好機だ。
「……オレリア・アルノワ」
ヨセフは息を吸い、そして止め、引き金に指をかけた。
かつてガロアで散った兄弟たちの死を、ヨセフは許していない。兄弟たちは枢機卿の薬に狂わされたとはいえ、皆優れた探究者だった。
彼女は神に罰せられるべき存在だ。
女魔術師は魔術の壁を生み出せない。ウーティスは気絶している。オレリアは魔術師として優れているわけではない。よって、この銃弾は誰にも防げない。
伝う汗は興奮ゆえか、それとも暑さゆえか。
引き金を、引いた。
「――させない」
火薬の爆ぜる轟音と白煙の中、何者かの拳が銃口を跳ね上げた。
狙いを外した弾丸は大鐘楼の鐘を鳴らすレバーに当たり、たちまちのうちに鐘の音が鳴り響く。王都全域に聞こえる大騒音の中でヨセフは悪態をついた。
「邪魔を……!」
一体どこから上がってきたのか、法衣の男が大鐘楼の欄干に背中を預け、ヨセフを睨んでいる。その拳に薄っすらと宿っている光は、おそらく勇者のみが行使するとされる光の魔術の残滓だ。
何者だろうか。
ヨセフは目の前の男がレフコス王家ゆかりの者なのではないかと考えたが、すぐにその可能性は潰えた。激痛に息を荒げる様を見れば、彼が本来光の魔術を使える人間ではないことが一目でわかる。
そうであれば、可能性はひとつだ。
ヨセフは歓喜で打ち震えた。腹の底から喜びがこみ上げて、今にも絶頂しそうなほどだった。
「まさか、このようなところで相見えようとは!」
「私にお前のような知り合いはいない」
「いるとも! お前は俺の兄弟が手掛けた作品だ、そうだろう!」
法衣の外套と硝煙によって隠れた表情はどうやら好意的ではないようだ。
しかし、ヨセフは見た瞬間から彼を愛していた。兄弟たちの実験によって生み出された素晴らしい実験体だ。ヨセフにとって彼は我が子も同然だった。
「見ればわかる。魔導文字を筋膜に刻んであるな? 見事だ、実に見事。施術した兄弟はアルフォンソか? それともジュネか?」
「……法衣でもしやとは思っていたが、本当に聖餐主義者なのか」
舌打ちが聞こえる。
ヨセフはもうオレリアのことなどどうでもよくなっていた。目の前の実験体のほうがよほど重要だ。
人造の勇者を生み出そうという研究は、聖餐主義教会の中でもいくつかの集団が競うようにして行っていた。ヨセフが名を挙げたアルフォンソもジュネもそういった各派の長を務めた偉大な兄弟だ。
まだ聖餐主義者が枢機卿の手に落ちる前、隠棲しながら実験を繰り返していたころの試作品と比べれば、目の前の実験体は素晴らしい完成度を誇っている。
初期の実験体など、拒絶反応で内側から溶解していたのだ。それに比べて、目の前の実験体は完璧に光の魔術を行使できている。何かしらの代償はあるのだろうが、これは大躍進と言っても過言ではない。
「ああ、素晴らしい……本当であれば、お前をもっと観察したい。しかし、先に仕事を終わらせねばならない。なんという不条理か」
「黙れ。私はお前に観察される気もないし、仕事をさせる気もない!」
嫌悪感とともに放たれた鋭い蹴りを大きく飛び退いて躱す。
風圧で巻き上げられた煙の向こうで、実験体が驚愕の表情を浮かべていた。
「光の魔術を宿した蹴りは確かに超越的速度を有するが、お前が人間である以上その枠を外れた速度にはならない」
トリフォサの眼は魔術が行使されるための予兆――魔導文字の発光を見逃さない。そして、見えてさえいればどれだけ鋭くともただの蹴りだ。
ヨセフは銃を抱え、大鐘楼の欄干に跳び乗った。
もっと実験体を観察していたいが、計画が失敗した以上帰還しなくてはならない。今のヨセフはただの聖餐主義者ではない。教皇ペドロ7世の名において聖戦士として武器を与えられた神罰の代行者なのだ。
「さらば、愛しき兄弟の子よ」
「ッ、待て!」
法衣を掴もうとした手が届くよりも早く、ヨセフの身体は欄干の向こうへと身を投げた。
自由落下に身を任せ、目を閉じる。やがて大地がヨセフの肉体を砕くだろう。
この肉体の死は尊い犠牲だ。この犠牲に報いるためにも、次のヨセフは計画を成功させる必要がある。
そのためにはしっかりと対話をし、手駒を増やし、より綿密な計画を立てねばならない。やることがあまりにも多い。気が遠くなる。
しかし、ヨセフは後悔などしていない。畏れ多くも神の代弁者である教皇に聖戦士として武器を賜ったのだ。一度や二度、百度や千度の死では諦めない尽力が求められるのも当然だろう。
「主よ」
柔らかな、水音。
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