第18話 ベナドゥーチ家

 意識を失ったウーティスがしっかりと息をしていることを確認してから、オレリアは目の前の聖職者と向き合った。

 まるで故買屋が持ち込まれた盗品を買い取るべきか、突っぱねるべきかを思案しているような醒めた目つきだ。その細められた目の奥で、彼はオレリアの価値をどう見積もっているのだろうか。

 弱者をいたぶる彼の行いは決して褒められたものではない。ましてやウーティスはオレリアが自ら拾い上げた部下だ、怒りを感じないはずがない。

 しかし、オレリアは彼を責める気はなかった。


「心中お察しいたします、さぞかし気を揉まれたことでしょう。教皇派の中でも過激な者の手に彼女の身柄が渡れば、いよいよ歯止めがきかなくなりますから」


 ウーティスは爆弾だ。

 銃を巡る教会の動きで、オレリアは確信した。教会は抑止のために勇者がもたらした知識を管理し、危険なものを秘匿している。

 ウーティスのいた隠れ里に銃の設計理念が流出したということは、それが教会によって保管されていたということになる。どれだけ危険でも聖人である勇者がもたらした知恵は信仰上破棄できないのかもしれない。

 偶然にもオレリアは不在の間に教皇庁の内情を小耳に挟んだ。

 教皇庁文書局長官が更迭され、新たにベナドゥーチ家の聖職者が長官を務めることになったという些細な、しかし公にされていない人事情報。更迭された元長官は教皇ペドロ7世の生家、アラゴン家の出身だという。

 教皇庁の膨大な資料を集積する文書局。

 神託によって選ばれた教皇と、その生家として勢いづくアラゴン家。

 アラゴン家の長官が更迭され、後任を務める聖職者はベナドゥーチ家の者。

 ベナドゥーチ家は銀行業を営んでおり、事実上の教皇派連合軍である星雲軍に多額の出資を行っている。

 暴走した教皇派が崩壊したとき、最も困るのはベナドゥーチ家だ。なぜなら他の八聖家と違い、彼らは投資した財産を丸々失うのだから。

 ここまでわかれば、おおよその察しはつく。


「破産するくらいなら汚れ役を担ったほうがいい。実に賢明なご判断ですね」

「……本当に、腹立たしいくらい賢しい女だ。さっさとそれの身柄を引き渡してくれないか、小生は帰りたくなってきた」

「理解は示しますよ。しかし、答えはいいえです。なぜなら、彼女の行き先がすでに決まっているからです」


 オレリアがここ数週間不在だったのは、ウーティスを守るためだ。

 王の一行とともにレフコス島を離れ、大陸北部――北方商業都市群として知られる半島一帯の盟主、商業都市シグヴァルディアを訪問した。目的はリシャールとレオの姉、マチルダが懐妊したことを祝うためだ。

 シグヴァルディアに留学し、現地の商会にそのまま嫁いだ彼女は現在北方でも随一の大商会で夫とともに商会長を務めている。当然、そのコネクションは幼いオレリアの比ではない。

 交渉の末、マチルダはアルバス・カンパニーの支店をシグヴァルディアに構えることに同意してくれた。


「ウーティスは商業都市シグヴァルディアのロズブローク商会の後援を受けることとなりました。銀行業を営まれているのなら、当然おわかりでしょう――大商会の機嫌を損ねるのは、一銭の得も生みませんよ」


 強い風に吹かれて散った火の粉が、オレリアと聖職者の間で踊っている。彼の表情は動かないままだが、返事もない。

 ウーティスが大商会であるロズブローク商会の保護下に入った時点で、彼はウーティスに手出しできなくなった。なぜなら、彼がベナドゥーチ家の人間だからだ。

 ベナドゥーチ家は銀行業を営んでいる。大陸全土に名を轟かせるほどの財は、一朝一夕で築き上げたものではない。

 では、その銀行の投資先はどこか。誰が彼らの富を生んでいるのか。

 専制国家に属さず、都市間の緩やかなつながりと商会長たちの合議によって同盟国家として機能している北部商業都市群。王侯という収奪者がおらず、絶えず競争が続くことで投資の機会に困らない彼らは格好の投資対象だ。

 財源である商会たちをベナドゥーチ家が無視することは絶対にない。同時に商会たちも、ベナドゥーチ家の動向には常に気を配っている。


「聖職者のおじさま。私はベナドゥーチ家に恨みなどありません。ええ、これっぽっちも恨んでいません。むしろ、応援しているくらいです。これからもせいぜい頑張って教皇派を押さえてくださいね」

「……あまりさえずるなよ、小娘。いくら寛大な小生でも、あまり愚弄されると気分よく眠れなくなる」

「存外、繊細でらっしゃるんですね。どうぞお帰りになって、お酒でも嗜まれてはいかがですか?」


 北門を焼き尽くした大火はもうまもなく鎮火される。王が帰還した以上、この王都にこれ以上の隙は生まれない。それは同時に、ウーティスを狙っているであろう過激派の手先が排除されることを意味する。

 それを理解したのか、冷徹な表情でウーティスを見下していた男は緊張を緩ませ、大きく息を吐いた。


「あーあ、まったく、骨折り損とはこのことだ。こんな田舎まで出てきて、やったことは弱いものいじめをして子どもにひどい暴言を吐かれただけとは!」

「ご愁傷様です。今回はお互い死人を出さずに済みましたね」

「それが普通なのだ! あーやだやだ、この野蛮人め。殺生は好かん。小生は二度とこんな田舎には来ないからな!」


 彼が大仰な身振り手振りで悪態をつくと、こちらの様子を伺っていたいくつかの気配が去っていくのがわかった。撤収の合図だったのだろう。

 こちらも撤収の時間だ。

 オレリアは膝をついて倒れたままのウーティスを支えるように抱き上げた。気絶した人間の身体はひどく重く、小さなオレリアが運ぶのは無理がある。

 幸い、入れ違いになっていなければ、もうすぐ伝言を受け取ったアンナが到着するころだ。戦闘になる可能性が高いと考えていたオレリアは、王のメイドを借りてアンナを呼びに行かせていた。

 殺し合いにならなかったのは不幸中の幸いだった。これは偽らざる本心だ。

 アンナたちの合流まで時間を稼げればそれで十分だったのだが、相手が理性的かつ現実的な人間だったおかげで言葉だけで解決できた。人が死なないなら、それに越したことはない。


「――ああ、そうだ、オレリア・アルノワ」


 ウーティスの身体をなんとか壁際へ運ぶ。冷たい石畳に転がしておくより、壁に凭れさせたほうがいいだろう。

 万事が上手く片付いたような、そんな錯覚に安心しそうになっていたその時。

 去り際に男が落とした爆弾は、オレリアを凍りつかせた。


「かつてガロアの宮廷医マテウスと名乗っていた聖職者を覚えているかね。残念ながら、あれは生きているぞ」

「……マテウス先生が?」

「先生! 枢機卿の猟犬が先生か、それはいいな。今度顔を合わせることがあったら小生も存分にからかってやることとしよう」

「待ちなさい、一体どういう……」


 振り返ったとき、そこにはもう黒い法衣の姿はなかった。

 細い路地の向こうは暗闇に閉ざされている。少し前まで燃え盛っていた北門の火がついに消されたのだろう、空は夜にふさわしい暗さを取り戻した。去る者を追うには向かない暗さだ。

 最後の最後で鼻を明かされた腹立たしさに小さく悪態をつく。


「……枢機卿の猟犬、ね」


 職人街から駆けてくる足音をよそに、オレリアは考えに耽っていた。

 宮廷医マテウスは聖堂街の乱で他界した聖職者の一人だ。オレリアに脅される形で暴動を幇助した彼は、聖堂街の門を守る僧兵との乱闘に巻き込まれ、顔を潰された死体で発見された。

 もし、彼が枢機卿の手先としてガロアの宮廷に潜入していたのだとしたら、聖堂街に生じていた汚職をただの腐敗と片付けられなくなる。


「――オレリア様!」


 駆け寄ってきたアンナに小さく手を振って無事であると示し、オレリアは夜空を見上げた。かつて聖堂街の地下で見た、星々を模った偽物の夜空が重なる。

 枢機卿派と教皇派の対立に巻き込まれたのは、もしかするとレフコス王国だけではないのかもしれない。

 どうやら、安心するにはまだ早いようだ。

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