第16話 強襲

 アンナが到着したとき、3階建ての社屋はすでに怪しげな風体の戦士たちに包囲されていた。

 道の奥では椅子や机を用いて即席の防御陣地を構築しながら、弓や投石器を手にした傭兵たちが睨みをきかせている。中には傷を負った者も見受けられるが、いずれも重傷ではない。

 社屋に詰めていたのは傭兵団の内勤組が中心で、必ずしも戦闘を得意とするわけではない。それでも放たれた火矢が瓦礫と化した家具を燻ぶらせていることを除けば、目につく大きな被害はまだ生じていないようだ。

 まだという但し書きをつける程度には、状況は切迫していた。

 社屋の中に収容した避難民たちを守るため、本来であれば防御陣地は社屋の前に展開されていたはずだ。しかし、その痕跡は今や残骸が燃え滓となって転がるのみとなり、傭兵たちは道の奥まで後退を余儀なくされている。

 それでも社屋が陥落していないのは、門を覆う金属製の防護壁が大きくひしゃげつつも、なんとか持ちこたえているからだ。それも長くはもたない。

 防護壁に槍の石突を叩きつけていた戦士たちを社屋から引き剥がすようにして、厚い土の壁を隆起させる。火の粉の混じる夕暮れの中で、いくつもの眼光がアンナに向けられた。

 不気味なほどに奇妙な装いだ。

 戦士たちが兜のように被った獣の生皮は、火事の熱気で辺り一帯に鼻をつくような悪臭を漂わせている。なめすどころか、削ぎそこねて残った肉が腐っているのを気にも留めていない。

 裸体かと見紛うほど晒された素肌に塗られた複雑な紋様、手にした短弓と槍。背負った矢筒には黒い矢羽が見えている。


「……ドゥムノニアの雪賊か」


 返事はなかった。アンナも求めてはいなかった。

 ドゥムノニアの雪賊についての情報は鉱山の警護にあたっている隊から報告を受けている。獣の皮を纏い、自然を味方につけて戦う手強い狩人だ。

 狩人というより子どもを寝かしつけるための童話に出てくるような悪鬼に見えるが、少なくとも目の前にいる者たちの風貌は雪賊に関する情報と一致している。


「これは、レフコスの地を治める者が誰の血を引くか知っての狼藉なの?」


 やはり、返事はなかった。

 射掛けられた矢を槍で弾きながら、アンナは戦士たちをなおも観察した。

 人数は14人。毛皮の種が異なることを除けば装備は統一されている。

 ドゥムノニア人は1000年以上前、初代勇者と魔王との戦いで勇者の友として戦った偉大な狩人の一族として知られていた。しかし、長い歴史の中でレフコス王国に敗北し、街道に現れる略奪の悪鬼、雪賊として恐れられている。

 その雪賊がわざわざアルバス・カンパニーを狙う理由がわからない。

 雪賊はレフコス王国との争いに敗れて島の北端へ追いやられた。この国では口が裂けても言えないが、彼らは勇者に裏切られた一族だ。その彼らが教皇派と手を組むだろうか?


「お前たちの飼い主を教えなさい。そうすれば、命は奪わないであげる。……だんまり? 残念、中々いい条件を提示してるつもりなんだけど」

「ほざけ、女」


 戦士たちの中でも背の高い、熊の皮を被った男が忌々しげに毒づいた。

 レフコス語だ。発音は粗野だが、訛りもない。

 本来ならありえないことだ。雪賊は敵であるレフコス王国の言葉を憎んでいる。人はわざわざ悪態をつくために相手の言葉を使わない。

 これでアンナの疑問は一歩確信に近づいた。彼らは少なくとも本物の雪賊だけで構成されているわけではないようだ。


「その度胸は嫌いじゃないわ。でも――」


 社屋の窓から発せられた光に合わせて、アンナは足元の石畳を隆起させた。

 窓から雪賊たちの上に小さな影がいくつも降り注ぐ。彼らはそれを手にした槍で打ち払い、そして辺りに焼き物の壺が割れる音が響いた。

 直後、大地を這うようにして稲光が網を張る。


「従わないなら、生かして捕らえる理由もなくなる」


 ウーティスの手品が生んだ発明品――稲妻の壺によって感電した戦士たちは、震えるほどの痺れに身体の自由を奪われた。

 思考するよりも早く指先が魔導文字を刻む。

 これは決闘ではない。棒立ちになった的を相手に手を抜いてやるほど、アンナは甘くはなかった。


「――命で償いなさい。足りない分はツケておいてあげるから」


 瞬時に放たれた土の礫が襲撃者を蹂躙していく。

 なんとか身を守ろうと力の抜けた腕で槍を構えようとする者も、高所から見下すアンナを撃ち落とそうと矢筒に手を向ける者も、臆病風に吹かれて背を向ける者も、放たれた礫は平等に打ち砕く。

 10秒。つまり、ひとりあたり1.4秒。

 アンナが彼らを制圧するために、それだけの時間が費やされた。


「……ちょっとやりすぎたかな。まだ息のある者がいれば拘束して倉庫に放り込んでおきなさい!」


 一帯に戻ってきた静寂を、傭兵たちの上げた勝ちどきが破った。

 拍子抜けな結末にやや消化不良を感じつつ、アンナは彼らの声に槍を掲げて応える。武勲を挙げて稼いできた傭兵稼業の彼らにとって、強さとは讃えるべきものだ。多少気恥ずかしくとも応えるべきだろう。

 そんな油断が、アンナの警戒を緩めさせた。


「――アンナさん!」


 浮遊感。

 がアンナの足場を貫き、魔術を崩壊させた。力を失った土くれはもはやアンナの身体を支えていない。

 突然の落下に動揺しながらも、もう一度冷静に魔導文字を刻む。


「なんで……ッ!」


 しかし、魔術は発動しなかった。

 背筋に嫌な汗が滲む。手の内に握っていたはずの槍が脆くも崩れ去っていく、不愉快な感覚の正体がつかめない。

 やけに静かな世界の中で、アンナは咄嗟に姿勢を変え、爪先を地面に向けた。魔術が発動しない以上、次にやるべきは落下の衝撃をできるだけ殺すことだ。

 地面までの距離はおよそ5メートル。下手な着地をすれば、負傷は避けられない。

 痛みを覚悟した直後、アンナの身体は空中で誰かに抱きとめられた。


「間に、合った……!」

「マルコさん!」


 アンナを抱きとめたのは、法衣のフードを被ったマルコだった。

 一体どうやって跳躍したのか、なぜ顔を隠しているのか。アンナの胸中にこみ上げた疑問は、フードの下に隠れるマルコの表情を目にした瞬間に失われた。

 目の端から伝う涙、震える唇。彼は激痛に耐えている。


「――拙は請い願う」


 そして、震える唇が聖句を唱えた。

 その厳かで古めかしい、澄んだ言葉は、スルダのそれによく似ている。似ているのは言葉だけではない。彼が纏う、どこか俗世離れした空気は彼女にそっくりだ。


「主は拙が盾、拙が救いの角、拙が砦。死の縄が吊るさんとする罪深き首に、どうか今一度の安らぎを……ッ!」


 縋るようにして唱えられた重々しい聖句が終わりを迎えると同時に、二人は地面へと帰還した。

 半ば落とされるようにして降ろされたアンナはお礼を言おうとして、マルコの両脚に光の残滓が漂っているのを目にした。


「……マルコさん、ありがとうございます。でも、どうやって」

「神の奇跡、ということにしておいてください。……見事なご武勇でした。あなたがいつまでも健やかで、その力が誰かを守るために振るわれることを祈っています」


 引き止めるよりも早く、マルコは去っていった。

 傭兵たちは騒然としている。社屋の中からもどよめきが上がっているが、どうやらそれは無様に落下したアンナに対してではなく、聖職者に対して向けられているようだった。

 彼を追うべきか迷ったアンナは、黒い法衣の背が消えていった北へと視線をやり、そして気がついた。


「大鐘楼の鐘が、鳴ってない」


 最期に確認した時、火の手は東へと伸びつつあった。北門が鎮火されたのか、それとも北の大鐘楼に何かがあったのか。

 まだ夜は始まったばかりだった。

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