第15話 王都の大火

 鐘が鳴っている。

 王都の北端、雪賊の潜む北方に睨みをきかせる大鐘楼が城下に危機を伝えている。アンナがレフコス王国にやってきてから一度として打ち鳴らされることのなかった警鐘が、市民に危機を報じた。

 三度鳴る鐘。火事だ。


「火事だ!」


 悲鳴と怒号の中で、泡を食って飛び出す客たち。彼らは鐘の意味は理解していても、どう動くべきか訓練されているわけではない。

 王都の火事であれば衛兵隊が直に動くだろうが、それでも恐慌状態の人間はそれ自体が災害になりうる。城下町に店を構える身として、アルバス・カンパニーは彼らを守るべく動く必要があった。

 アンナはコーヒーショップの従業員たち――傭兵団「赤火の虎」の傭兵たちに素早く指示を飛ばした。


「ヴィゴ隊は護衛対象Sを連れて本社へ! ミーシャ隊と連携して避難民の受け入れに当たれ!」

「了!」

「ダズ隊は衛兵と合流、王都衛兵隊と本社の連携網を構築! 現場判断で衛兵隊の指揮下に入れ!」

「了!」


 ガロア衛兵隊所属の父から授かった厳しい教えが血肉となってアンナの中で活きているのを感じる。

 一方で、アンナは不愉快な引っ掛かりにもどかしさを覚えていた。

 つい先ほど飛び出していった来訪者、マルコと名乗った男のことだ。彼は窓の向こうに何かを見出し、鬼気迫る表情で店を飛び出していった。鐘が鳴ったのはそのすぐ後だった。

 彼を追うべきか。

 アンナは善意だけで彼に声をかけたわけではない。今はレフコス王国を不在にしている主、オレリアの指示によるものだ。

 教皇派と枢機卿派で教会内の対立が生じているというオレリアの予想は、ここ数ヶ月の教会連絡船に積まれる私信と物資、そして相次ぐ教会絡みの事件を調査したことで確信に変わった。

 スルダを見知った様子で、しかも教会の連絡船を使わずに別の港から渡航してきたらしき聖職者。マルコはオレリアが残していった「枢機卿派の工作員を見分けるための諸条件」に当てはまる。

 これがただの火事なら、監視のために彼を追うべきだ。しかし、妙な不安感がアンナの勘を刺激している。


「……ええい、迷ったら行動!」


 アンナは店の外へと飛び出し、土の魔術で足場を作って屋根の上へと駆け上った。

 鼻をつく煤の匂い。夕日の傾く西の空と競うかのように赤々と、王都を守る北の塁壁が燃えている。

 火の手の急さと激しさから見て、偶然生じた失火では説明がつかない。大規模で、計画的で、目的のある放火だ。

 どうやら急ぐ必要がありそうだった。

 アンナは屋根を覆う素焼きの赤瓦に手を付き、槍を生み出しながら辺りを見渡した。阿鼻叫喚の市街で彼が日中に見せた善性を発揮しているようであれば、否が応でも目立つ。そうでなくとも聖職者の法衣は見つけやすい。

 大通りにはいない。

 即席の避難所にも聖職者が避難誘導をしているような様子は見られない。

 アンナが裏路地にマルコの姿を見出したときには、すでに彼は細剣を構えた聖職者と徒手で睨み合っていた。


「まっずい……!」


 大通りでぶつかったときのマルコの弱々しい尻もちの付き方は、明らかに非戦闘員のそれだった。

 咄嗟にアンナは土の壁を展開し、今にも衝突しそうな二人の聖職者を隔てた。

 そのまま飛び降りながら次の魔導文字を刻む。

 選択したのは檻、剣を構えた胡散臭いほうの聖職者を捕らえるようにと土を動かしながら、マルコの隣へ降り立つ。


「……さーて。つい勢いで悪そうなほう捕まえちゃいましたけど、私の信用を裏切らないでくださいね、マルコさん」

「あなたは……なぜ」

「質問は後! 北の塁壁で大火事なんです、この鐘聞こえてますよね? 人手が足りません、避難誘導手伝って!」

「しかし、彼を逃がすわけには」


 何かしら深い理由があって敵対しているのだろう。それは悲壮感あふれる表情を見ればすぐにわかる。

 腹立たしいことに、彼が苦悶するようにアンナを見上げる瞳の揺れ方は一番思い詰めていたころのオレリアにどこか似ていた。

 アンナは考えるのが得意ではない。しかし、オレリアが山のような資料でお膳立てしてくれたおかげで、彼らの対立を見て「教皇派と枢機卿派だ」と判断がつく程度には頭が回っている。


「――小生が思うに」


 壁の向こうから聞こえたくぐもった声に続いて、剣が風を切る音がした。

 土の壁を維持していた魔力が形を失い、崩れていく。

 崩れて土くれに戻った壁をまたぎながら再び姿を表した法衣の男は、細剣を腰の鞘へと納めながら小さく肩をすくめた。


「どうやら手を取り合うべき局面のようだ。救護司祭、君が宿を借りているのは東門近くの修道院だったな。荷物を受け取ってくる、符丁をこちらに」

「信用しろと言うのか、フーゴ」

「神に誓って、小生はこのような計画を耳にしていない。くだらん派閥争いで救えたはずの民を炭火焼きにするのは、いくら小生でも心が痛むのだよ」


 フーゴと呼ばれた男はどうやら教皇派に属する者で間違いないようだ。

 逡巡の後、マルコが法衣の袖から取り出した小さな木片を受け取って、フーゴは真剣な表情で頷いた。


「それでいい、敵を見誤るな。勇敢なお嬢さん、お名前を伺っても?」

「アンナです。東門に向かわれるなら気をつけてください、風向きのせいで火の手が東に進んでるので」

「ご忠告痛み入る。――主の光明なる御名の下、主の耳目となり罪を聴く者フーゴが請願する。主の敬虔なる下僕アンナに咎なし。ただその行路を照らしたまえ」


 フーゴが唱えた聖句は何も効果を発揮しなかったように見えた。

 しかし、アンナの首に結わえられた簡素な洗礼のタリスマンが聖句に応えるようにして温かみを帯びた。指先で触れてみると、ただのお守り程度にしか思っていなかったタリスマンに熱が灯っているのがわかる。


「明日の日の出まで、君が犯す一切の罪は帳消しになる。行きたまえ、なすべきことをなせ!」

「どうもです! マルコさん、こっち!」


 かき消えるようにして去っていったフーゴのことも気になるが、今のアンナはマルコで手一杯だ。

 マルコの手を引いて大通りへ出ると、吹き抜ける風に火の粉が混じりはじめていた。このままでは火事が市街地へと広がりかねない。

 彼をどこに連れて行くべきか。一瞬の迷いに囚われたアンナの思考は、マルコの言葉によって中断された。


「スルダは、どこですか」

「あの子はアルバス・カンパニーの社屋に避難させました、あそこなら頼れる人が多いので」

「……案内してください!」


 従うべきだろうか。

 当然ながら、アルバス・カンパニーの社屋には機密情報が保管されている。彼が信用できると決まったわけではない以上、近寄らせるべきではないのだろう。

 しかし、彼の強い意志を感じる瞳の輝きを見て、アンナは走り出した。


「アンナさん、走りながらでいいので聞いてください。教会の一部にレフコス王国を支配しようとする動きがあります。私の役目はそれを妨げることです」

「この国を支配?」

「第五勇者を星雲軍の旗印にしようとしている一派がいるんです。そのためには召喚の儀が執り行われるこの島を押さえる必要がある」


 転がる植木鉢を蹴ってどかし、騒ぎに吠え立てる犬を飛び越えながら、アンナはマルコの語る情報を頭の中で整理していた。

 もしかすると、オレリアが予想していたよりも教会内の抗争は激化しているのかもしれない。彼が言う一派とはおそらく教皇派のことだ。オレリアは教皇派がしばらくは枢機卿派との交渉に時間を費やすと考えていた。

 そのオレリアは今、避けられない事情でレフコス王国を離れている。主が不在の時に状況が大きく動いてしまった。


「その一派はシエナでも強い力を有する一方、結束力に欠けています。先ほどのフーゴという男は一派に属する聖職者ですが、彼が本当に、この件を知らないの、なら……ッ」


 大通りを抜け、社屋のある職人街へとつながる交差点に差し掛かった時、アンナの後ろで苦しそうに呻く声が上がった。

 振り返ると、そこには顔を真っ青にして歯を食いしばるマルコの姿があった。まるで激痛を堪えるかのように己の肩に爪を立て、目を見開いている。

 荒い呼吸。揺れる瞳孔。

 明らかに尋常ではない何かを抑えつけている彼に、アンナは駆け寄った。


「マルコさん!」

「……大丈夫、です。話を続けます。彼がこの火事について知らないのなら、一派の過激な者が独断で動いた可能性が高い」

「どう見ても大丈夫じゃないですよ、今痛み止めを」

「大丈夫なんです。薬の効かない、ちょっと不便な持病なんです。……行きましょう。奴らの狙いはスルダと、ウーティス・アルバスだ」


 額を汗で濡らしながら、それでも前を見据えるマルコの言葉に、アンナは思わず息を呑んだ。

 それほど遠くないところから金属音が聞こえる。血なまぐさい、剣戟の音が。

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