第24話 はじめまして

 オレリアがこぼした一言をきっかけに、二人の謝罪合戦は30分も続いた。

 対話の不足はお互いの責任だ。

 婚約者として招いておいてほったらかしにしていたリシャールも悪いし、その放任に甘えて相談もなくやりたい放題していたオレリアも悪い。

 お互いがお互いに無用な遠慮をし、無根拠な怯懦を抱え、無意味な隔意で相手を遠ざけていた。それは全くもって、無駄な時間だった。

 しかし、お互いに「それは自分が悪い」と責任を奪いあう醜態を晒してようやく、これまでの日々が少なくとも無価値ではなかったことを、お互いが再確認した。

 そして、オレリアは冷めきったホットケーキを行儀悪くフォークでつつきながら、こう提案した。


「自己紹介をしましょう」

「自己紹介?」

「思い返してみてください。港で迎え入れられてからもうすぐ半年。私たちは顔を合わせてからまだお互いに名乗りすらしていませんよ」

「……確かに。変なこともあるものだね」


 オレリアはリシャールを知らない。リシャールもオレリアを知らない。

 何が好きで何が嫌いなのか、どんなことをしてきて、どんなことを思ったのか。二人に足りなかった、他愛ない私的な共有が、堰を切ったように混ざりあっていく。

 オレリアはリシャールが人参といんげん豆が苦手だなんて知らなかったし、馬が懐かないせいで乗馬が下手なことも知らなかった。

 リシャールはオレリアが麺類を啜って食べる癖があると知って驚いていたし、最近趣味で錠前破りの練習をしていると知って苦笑いをしていた。

 無知から来る隔たりが融けていくにつれて、笑顔が増えていく。


「では、殿下は王子としてではなく、勇者として……」

「うん。僕は初代勇者アキト・ハラダの記憶を継承した。召喚されてから、魔王封印の結界としてまでの記憶をね。あくまで記憶だけで、知識とか経験とかは何もないんだけどさ」

「……なんというか、あらゆる歴史家が泡を吹いてひっくり返りますよ」

「そうだろうね。だから僕たちは教会にもこれを秘密にしてるんだ。……隠していてすまなかった」


 小さく頭を下げたリシャールの表情には、薄っすらと緊張が見て取れる。

 彼もまた己の特異性に苦しめられた者なのだ。そう思うと、オレリアの胸に温かいものがこみ上げてくる。

 神の名の下になされなかったとしても、聖職の手を借りなかったとしても、これはきっと奇跡だ。


「そんな秘密を明かされてしまったからには、私も殿下への態度を変えなくてはなりませんね」

「……まあ、そうだよね」

「ええ。私も秘密を明かします」

「えっ?」

「私は記憶でも、経験でもなく、知識だけを持って生まれてきました。先日殿下にお見せしたコーヒーは勇者の故郷で愛飲されていた嗜好品です」

「……え、ええ!?」


 オレリアにとってとびきりの秘密。それを明かされたリシャールは、驚愕のあまり目を見開いた。目鼻立ちが整っている彼が大きく目を開くと幼く見える。こんなこともオレリアは初めて知った。


「もちろん、それなりには勉強熱心なつもりですから、この世界に生まれてから学んだことや、得たものもありますが……言ってみれば、私がやっているのはですよ」

「……ずる?」

「勇者たちの故郷で繰り広げられた革命や戦争、その結末。それらがこの頭に入っているわけですからね」

「あー……うん、ごめん。それはずるい。なんだよ、僕だってそれなりに嫉妬というか、そういうものがあったんだぞ」


 緊張が解けたのか、ぐったりとソファに凭れるリシャールの口から意外な言葉がこぼれ落ちた。

 嫉妬というなら、オレリアがリシャールに向けていた感情がまさにそれだ。

 リシャールにはオレリアのようなずるをせずとも人々を豊かにする覚悟、熱意がある。オレリアは可愛い臣下がいなければ自分一人信じることすらできなかったというのに、彼は矮小な身で前へ、前へと進む。

 眩しいくらいに傷だらけのリシャールを見て、オレリアは彼を支えると決めた。


「それを言うなら私も殿下に嫉妬していましたよ。私は殿下ほど頑張れませんから」

「どれほど頑張ろうと、僕は君ほど結果を出せない」

「結果に満足しないから、殿下はそこからさらに手を伸ばす。血統も家柄も抜きにして、勇者という言葉の原義に立ち返るなら、殿下こそが勇者です。……私だって、誰でもよかったわけじゃありませんから」


 確かに革命のための協力者としてオレリアはリシャールの誘いに乗った。しかし、婚約者としての契約を拒絶したわけではない。

 そして、どうせ婚約するなら好きになれそうな相手のほうがいい。


「それは……婚約者として?」

「今のところは、という話です! 私が成人するころにだらしない中年太りになっていたら、愛想を尽かして出ていきますからね!」


 オレリアが言葉にしきれなかった恥じらいが伝わったのか、視界の端でリシャールがはにかむのが見えた。

 まだ蜂蜜の甘ったるさが喉にへばりついているような気すらする。オレリアは喉の乾きを誤魔化すように咳払いをして、ホットケーキに合わせて用意していたのことを思い出した。


「……コーヒー、飲みますか?」

「じゃあ……お言葉に甘えて」


 それから二人は素人の下手な焙煎でひどく苦いものに仕上がったコーヒーを一緒に淹れ、あれこれと文句をつけながらミルクとホットケーキの甘みで誤魔化し、馬鹿馬鹿しい話をして大いに笑った。

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