第21話 お喋りが下手

 机に突っ伏して、オレリアは何をするでもなく指先を戯れさせていた。

 オレリアがつつくとガラス瓶が揺れる。反射した光が机の上で踊る。

 瓶に詰まっているのは焙煎したコーヒー豆だ。コーヒーミルはすでにウーティスが作ってくれた。あとは挽いて、淹れて、飲むだけ。


「何を唸っておいでかな」

「んー……」


 今日はアンナがいない。傘下に加わった傭兵団からアンナの部下に加わる人員を選抜しに、人目につかない郊外に出向いている。

 アルバス・カンパニー宛てに届いた手紙を確認しているウーティスとふたりきりだ。羽根ペンを走らせ、封を切り、紙を折り、時折本を開く音。それだけがこの部屋にある。

 しばらくして、ウーティスがインク壺に蓋をする音がした。


「……困ったな。唸り声だけで意図を汲み取れるほど私は天才ではないので、お話しいただけないとただ気まずいだけなのだが」

「別に、大したことではないです」

「ほう。その割には随分と拗ねてらっしゃる」

「拗ねてません」

「もう30分もその姿勢で手遊びを続けてらっしゃるのに?」


 時計に目をやると、確かに30分近く座っていたようだった。もう昼過ぎだが、食事の気分でもない。

 やらなくてはならないこともあるし、やりたいこともある。しかし、オレリアはどうもやる気が出なかった。こんなに憂鬱なのはいつ以来だろうか。

 このまま一眠りしてしまおうか、などとオレリアが考えていると、ふいに身体が持ち上がった。


「よっ、と……軽いですな。アンナを見習ってもう少し食事を取られたほうがよろしいかと」

「わ……ちょっと、下ろしてください」

「まあまあ、たまには私とも主従の語らいというやつをしようではありませんか」


 オレリアを抱き上げたウーティスはソファに座り、膝の上にオレリアを座らせた。

 少し前まで男装の麗人として倒錯的な趣味の男たちから金を巻き上げていただけあって、不快にならないギリギリの強引さを見極めるのが上手い。

 よそでやれば間違いなく不敬で首が飛ぶ振る舞いだが、オレリアは彼女にある程度の不敬を許していた。人前ではさすがに立場を弁えてもらうが、それ以外は口調も含め、無礼講ということにしている。

 ウーティスはオレリアが弱みを握って温かな家族を奪い、引き抜いた共犯者だ。多少の自由は許すべきだろう。

 だからといって、ウーティスの膝の上に抱かれるのはどうにも落ち着かない。


「あのコーヒー、リシャール殿下の分だったのでは?」

「……そうです」

「一緒に飲まれるはずだったのでしょう?」

「……コーヒーは駄目だそうです。南方大陸産なので」


 絶好の機会が信仰によってふいにされた。その無念ももちろんある。

 オレリアは楽しみにしていたのだ。遠方から入手した貴重な嗜好品、その記念すべき一杯目をリシャールと飲みたい。そう思って、自分の手で豆を煎った。少し火傷をしてアンナに怒られた。

 しかし、リシャールの反応を見て、自分が浮かれていたことに気がついた。

 ひどく情けない気分で豆を持ち帰り、オレリアはそれから何一つ仕事が手につかない状態に陥っている。


「南方大陸だと何の都合が悪いか、殿下はどう仰っていたかな?」

「初代勇者の妃が没した地です。……彼にとって、初代勇者は目指すべき理想なんですよ」

「ほう。それだけ?」

「それだけって」

「それだけなら、別に大したことでもないでしょう」


 こともなげに語るウーティスの太ももを叩く。

 彼の怒りと悲しみに満ちた瞳は、そんな軽々しく片付けられるものではなかった。だからオレリアは何も言えずにすごすごと帰ってきたのだ。

 わからないことにずけずけと口を挟んで傷つけたくはない。

 しかし、ウーティスの意見は違うようだった。


「まあ、もう少し辛抱して聞いていただきたい。……オレリア様は天才なのでしょう。一を聞いて十を知るとはまさにこのこと。だからこそ、知らないことに対してとても慎重になられる」

「……私は自分を天才だと思ったことはありません」

「それはそれ。周りからは天才に見えるということだ。さて……今回のことは殿下の気持ちの問題、そう思われたのでしょう。自分にはわからないことだから、そう考えてその場は戻られた」


 図星だった。

 リシャールにとって第一勇者アキト・ハラダが偉大であることは知っていた。だからこそ王子としてあるべき姿を第一勇者に求め、その再来であるかのように振る舞っているのだ。

 彼から直接聞いたわけではないが、その思想や表向きの性格を見ればわかる。

 目指す理想。それは人にとって最も繊細な部分だ。オレリアは彼の理想を土足で踏み荒らす気にはなれなかった。


「その判断は間違いではない。しかし、私が思うに……オレリア様は人とのお喋りが下手くそですな」

「お喋りが、下手くそ」


 あまり愉快な指摘ではない。

 しかし、オレリアはウーティスの膝から降りなかった。意味もなく嫌なことを言う人ではないということはわかっていたし、心当たりもないわけではない。


「殿下にちゃんと聞きましたか、どうして南方大陸を拒絶するのかを」

「だから、それは……」

「殿下が初代勇者を目標にしていて? 初代勇者の妃が南方大陸で死んでいて? だからなんだと言うのか。殿下は初代勇者ではないし、殿下の妃は貴女だ」

「それは……そうですが」


 わざと神経を逆なでするような言い方に、オレリアは抗議の意を込めて彼女の顔を見上げた。しかし、その姿勢が間抜けな事に気づいてすぐにやめた。膝の上に抱きかかえられながら睨んだところで、怖くもなんともない。


「貴女は賢い。相手の手を煩わせないようにと一人で背負い込む優しさも、私は美徳だと思う。しかし、相手の事情は相手に聞かねばわからんものさ」

「……傷つけずに聞き出す自信がなかったんです」

「だから下手くそと申し上げた。お喋り上手は聞き上手なものだが、オレリア様はプライベートになった途端聞き下手になる」


 耳の痛い話だ。

 オレリアはレフコス王国にやってきてから、まだリシャールと打ち解けられていない。仕事のためのパートナーとしてやり取りはしているが、私的な会話を交わしていないのだ。

 オレリアにはリシャールとどう接すればいいのか、皆目見当がつかなかった。

 彼には感謝している。リシャールとの婚約がなければ、オレリアの境遇はもっと苦しいものになっていただろう。

 彼の理想にも共感している。この国に議会制を導入するという目標のもとに、オレリアはできるだけのことをしているつもりだ。

 しかし、個人としてのリシャール・エルメットと何をどう話せばいいのかがわからない。趣味も性格も生まれ育った土地も、何もかもが違う。


「その様子だと、仕事の話以外をしたことすらないのではないかな?」

「……思いつかないんです」

「は?」

「何を話せばいいか! 思いつかないんです!」

「……ふふ、ははは」


 笑い出したウーティスに何がおかしいのかと文句を言おうとした直前、オレリアの頭をウーティスの手が乱雑に撫でた。


「そうだった。貴女はまだ7歳の少女なんだったな。失敬、あまりにしっかり者だから、つい失念してしまう」

「何を、言って」

「貴女はきっと好いているのだろう、リシャール殿下を」

「……はあ?」


 さすがに正気を疑ってオレリアはもう一度ウーティスの顔を見上げた。

 勢いよく顔を上げたせいで後頭部がウーティスの胸とぶつかってしまい、ウーティスが痛そうにうめき声をあげる。その声への申し訳無さにオレリアの妙な苛立ちは萎縮していった。

 しかし、あまりにも的外れな話だ。


「自分の色ボケを私にまで当てはめないでください」

「これは手厳しいな。しかし、傍から見ていると好きな人に嫌われたのではないかと怯える乙女にしか見えなかったが」

「何歳差だと思ってるんですか、まったく……大体、私にはそういう色恋沙汰にかまけている暇はないんですよ」

「まあ、別に色恋沙汰でなくとも、彼を好ましいとは思っているのだろう?」

「……それは、そうですが。彼が同じとは限りません。私は……厄介者ですから」


 オレリア・アルノワは厄介者だ。なぜなら、転生者だから。

 アンナがいるから、オレリアは自分の正気を信じて前世の知識を使うことができる。印刷や喫茶店のような極めて迂遠に思える最短経路をひた走る狂気の沙汰を、安心して続けることができる。

 しかし、そこから生じる風評が耳に入らないわけではない。

 鉛毒の小瓶。そう揶揄し、オレリアを嫌う者はレフコス王国にやってきたときよりも増えつつある。

 計画に関係のない部分で、リシャールに迷惑をかけたくはない。

 彼は見ず知らずのオレリアに手を差し伸べてくれた、正真正銘の恩人なのだから。


「オレリア様。私は真っ当な出自ではない。本当であれば、こうして御身を抱き、髪を撫でるような無礼はできない下賤の身だ」

「その良し悪しはともかく……事実として、そうであることは否めませんね」

「ただ、私はこれまでの人生でわずかながらの学びを得た。人というものは、空腹で疲れていると苛立つ単純な生き物なのだと」


 オレリアの小さな身体を抱えたまま、ウーティスがおもむろに立ち上がった。


「料理をしよう、オレリア様」

「……料理、ですか」

「多少のいざこざは、美味いものを食べて寛いで、それから話し合えば案外なんとかなるものさ。殿下も婚約者の手料理なら無下にはできない、違うかな?」


 片手でオレリアを抱いたままもう片方の手で侍従用の厨房へ続く扉を開けて、ウーティスはオレリアにウィンクしてみせた。

 少し軽薄な錬金術師の従者が並び立てた言葉はどれも馬鹿馬鹿しいくらいに当たり前のことで、しかし、オレリアはそんな当たり前を少しも考慮に入れていなかった。


「……料理、したことないんですが」

「では、僭越ながらこのウーティスが手ほどきしてしんぜよう。今日は怖いお目付け役がいないから、なにか楽しいことをしたいと思っていたんだ」


 鼻歌交じりに竈の焚き付けを準備するウーティスを見ていると、オレリアはつい先程までいじけていた自分が馬鹿だったように思えてきて、思わず笑い声がこぼれた。


「おや、機嫌が治ったようでなによりだ」

「あなたの鼻歌が調子外れだったから笑ったんです。……それで、一体何を作るんですか」

「どうせならコーヒーに合う食べ物がよろしい。小麦粉と、牛乳と、ふくらし粉もまだ少し残っているか。ああ、あとは昼食用の卵もある」

「……その組み合わせなら、私にも作れそうなものがありますね」


 リシャールが喜んでくれるかはわからない。しかし、オレリアはウーティスの楽しみに付き合うことに決めた。

 せっかくだから、楽しもう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る