第16話 傭兵団

 ガラシャは傭兵団「赤火の虎」の長として、まだ態度を決めかねていた。

 わざわざ宮宰の指名を賜ったのはいい。レフコス島などという僻地に渡らされた時は嫌がらせかと思ったが、マボン湾の活気を見ればこの国が世間で言われているほどの田舎ではないとわかる。

 傭兵は市井の民を見て陣営を決める。これは先代である父の言葉だ。

 空気に淀みがなく、人々の声も高らかで、誇りに満ちている。銛も網もよく手入れされ、船底の腐った漁船など一隻もない。

 いい街だ。

 しかし、その街で食事をともにすることになった娘は、この街に住んでいるわけではない。それどころか、この国にも渡ってきたばかりだという。


「では、私はオムレツを。ガラシャさんはもう決まりましたか?」

「……あ、アタシか? えーっと……同じのでいい。それと、葡萄酒を瓶で」


 港町の労働者に開放されている食堂で、侍女を傍に控えさせて座っているオレリア・アルノワ。はっきり言って浮いている。

 テーブルを挟んで向こう側に座る彼女が気になるあまり、ガラシャは注文を適当に済ませてしまった。せっかく支払いは向こう持ちなのに、惜しいことをしたと思わないでもない。

 ガロアの政変は末端の傭兵団に過ぎないガラシャたちの耳にも届いている。いや、末端だからこそだろうか。

 若い王子とその妹が宮廷内の聖堂街を根城としていた盗賊を退治したという武勇伝も、その兄妹が偽物の司教に洗礼を施された庶子であったということも、今や知らない者はいない。


「あんたのことはどう呼べばいいんだ? もう王族じゃないんだろ?」

「よくご存知ですね。オレリアで結構ですよ」

「そうか。なあオレリア、アタシらは傭兵だ。アタシらを呼びつけたなら、やることは――」

「仕事の話は後にしましょう。私もアンナも腹ペコなんです」


 納得はできなかったが、ちょうどオムレツが運ばれてきたため、ガラシャは話を後回しにせざるを得なかった。

 この港でよく採れる牡蠣を使ったオムレツだ。香草で蒸してから卵とじにしていて、臭みは全くない。それどころか牡蠣から出たうまみが半熟の卵によく溶け込んでいて、スプーンで掬う手が止まらなくなる。

 ふと視線を皿から上げると、オレリアはオムレツを半分に切り、器用にパンで挟んで侍女に与えていた。


「こぼさないように気をつけてくださいね。まだ卵がとろとろですから、落としたら火傷しますよ」

「……あんた、侍女に優しいのはいいけどさ。そんな小さいんだからもっと食ったほうがいいんじゃねえのかい?」

「この量は食べきれませんよ。半分でも多いくらいです」

「そうかい。兄御とは随分違うねえ」


 ナイフをオムレツに入れようとしていたオレリアの手が止まった。


「おや、兄上をご存知ですか」

「そりゃもうご存知もご存知さ。アタシらはあの方と背中を預けあって戦ったんだ。リペニオン川で反乱軍相手にね」


 実際は背中を預けあったと胸を張って言えるほど役立てたわけではない。

 ガロア王国南東の属州、ペルニーコスで知事の圧政を理由に蜂起した反乱軍を鎮圧するためという名目で雇われた「赤火の虎」は、属州に残る部下たちを見捨てて脱走する知事の護衛に回された。

 渡河すれば知事は無事に脱出できるというその目前で伏兵の奇襲に遭い、窮地に陥っていたところに駆けつけたのが徴税吏として隣の州に赴いていたシャルルだ。

 彼は魔術で一帯を凍りつかせ、そのまま騎兵隊を率いて渡河し、反乱軍を鎮圧させてしまった。


「リペニオン川……そうですか、それはそれは」

「あれは名将だ。アタシら皆膝を打ったもんさ。指揮がいい、覇気がある、ご自身もお強いときた」

「兄が健勝なようで何よりです」

「連絡は取ってないのかい、手紙でもなんでもやりようはあるだろうに」

「お互い多忙な身ですし、手紙を書いたところで届くとは限りませんからね」


 この兄妹は教会に疎まれている。手紙を送ろうにも、教会を頼れなければ確実に届く手段がないと言いたいのだろう。

 しかし、オレリアのためにガロアの宮宰が傭兵団を丸々ひとつ異国に送り込んだのだ。手紙の一枚くらい、届けられそうなものだとガラシャは思った。

 あまり好きになれない小娘だ。身内の武勇に感激せず、物静かで、身体もあまり丈夫ではないと見える。兄妹でこうも違うものだろうか。


「あんたら、本当に兄妹なのかい?」

「もちろんです。この世でたった一人の兄ですよ」

「それなら、もう少し気にしたっていいもんだろうに。遠い地で頑張る家族の活躍が嬉しくないのかね」

「嬉しいですよ。ただ、驚くほどではありません。私の知っている兄上ならそれくらいするでしょう」

「……気に入らないね。それくらいのことはできて当たり前、って面だ」


 奥の方で団員たちが立ち上がろうとしたのを目で制して、ガラシャは葡萄酒を瓶から直接呷った。

 オレリアの「全部お見通しです」とでも言いたげな超然とした雰囲気が、ガラシャは心底気に入らない。


「アタシはね、嫌いなもんが3つあるんだよ。親の威を笠に着る馬鹿。言ってもいないことをわかった気になる馬鹿。それから、言わなきゃわからないことを相手任せで自分から言わない馬鹿だ」

「道理ですね」

「……宮宰の爺様からあんたによろしくと言われてる。だからここまで来た。だからといってあんたに手を貸すわけじゃあない」


 辺境の異国に追放されたお姫様が私兵を抱えたところで、真っ当なことに使われるはずがない。花を摘み小鳥を捕まえるのは傭兵の仕事ではないし、傭兵らしい仕事を期待すべき職場とも思えない。

 ガラシャは腰の巾着から金貨を一枚取り出し、無造作に机の上へと投げた。


「ここの支払いは持ちますよ」

「弱者にお恵みを乞うほどアタシらは落ちぶれてないんだ。残念だよ、あんたがシャルル殿下みたいに強くて立派な人でないことが。あんたがそんなじゃ、その部下にも期待はできないだろうさ」

「……ふむ。なるほど、強さですか。確かに私を測る指標として強さというやつはまだ試したことがありませんでした」

「姫様」


 後ろに控えていた侍女がガラシャを睨んだ、その瞬間。


「痛ッ……!」


 ガラシャの手元に衝撃が走った。厚いガラス瓶の割れる音で、食堂中の視線がガラシャに突き刺さる。

 葡萄酒の瓶が砕けた。いや、打ち砕かれた。

 こぼれた葡萄酒の中に金貨が転がっている。つい先程、ガラシャが支払いとして机の上に置いたばかりの金貨だ。

 金貨を机から拾い上げ、瓶に狙いをつけ、弾き飛ばす。何をやったかは明らかだ。この手の投擲を得意とする暗器使いはガラシャの部下にもいる。

 しかし、ガラシャが見抜けないほどの早業をこなす者は一人としていない。

 にわかに騒然とした食堂の中で、侍女の鋭い視線がガラシャを貫いていた。


「この無礼な大女に教育を施すことをお許しください」

「もう少しだけ待ちなさい、アンナ。……傭兵団赤火の虎、団長のガラシャ。私は大抵の無礼を許す寛容な人物だと自負しています。ただ、同時に私は臣下を大切に思っています」


 ナイフとフォークを置き、ナプキンで口元を拭ったオレリアが、静かに立ち上がった。その小さな身体のどこに隠していたのか不思議なくらいの威圧感に、ガラシャは思わず一歩退かされた。

 決して表情を変えず、淡々と、オレリアは宣言した。


「決闘を。赤火の虎全員でかかってきていただいて構いませんよ」


 いきりたつ団員たちの怒号や罵声。

 いつもならそれに応えるガラシャは、己の拳がひどく脆いものに感じた。

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