第11話 アルバス・カンパニー
「誰ですか、この人」
テーブルを挟んで自分を睨みつける侍女にどう返事をすればいいかわからず、ウーティスは新たな上司に逃げるようにして顔を向けた。
流浪の著述家ウーティス。それがユーラリーであり、エウラリウスであり、エウラリアでもあった錬金術師に与えられた新しい名前だ。古の言葉で「誰でもない」を意味する偽名らしいが、聞き覚えはない。
その名前を与えてくれたオレリアは涼しい顔で葡萄酒の杯を口に運んでいる。目の前で発せられる怒気を気にもとめていない。
「ウーティスです。引き抜いてきました」
「引き抜いてきました、って……困りますよ!」
「衣装箪笥を改造すれば部屋は足ります。殿下には許可を取ってあります」
つい先程まで同じ馬車の中で過ごしていたリシャール殿下の悔しさと情けなさがないまぜになったような表情を思い出して、ウーティスは苦笑いを浮かべた。あれは許可取りではなく理詰めの恫喝というのだ。
「何を笑ってるんですか。私、まだ自己紹介もしてもらってないんですけど」
「……ああ、失敬。錬金術師のウーティスだ。オレリア嬢に仕えるお許しをいただいた。新参の身だが、身命を賭すと約束しよう」
「ふーん……まあ、いいでしょう。侍衛武官のアンナです」
侍衛武官という肩書きを聞いて、ようやくウーティスは納得がいった。彼女が纏っているのは、ただの侍女が出せる威圧感ではない。
一見すればごく普通の女だ。三つ編みにした赤毛も愛嬌程度のそばかすもよくいる町娘そのもの。絶世の美女と讃えるには背が高すぎるが、町一番の美人くらいにはなりそうな顔立ちをしている。
これまでのウーティスなら美人に凄まれた程度で緊張したりなどしない。誑かした男の本妻や婚約者が刃物を手に宿へ押しかけてきた経験も二度や三度ではないのだ。この程度、修羅場とも言えない。
しかし、この緊張はなんだ。喉元に槍を突きつけられたような鋭い緊張がウーティスの背筋に汗を伝わせる。
助けの手を差し伸べてくれたのは、新たな上司であるオレリアだった。
「あまり怖がらせないほうが賢明ですよ、アンナ。あなたの同僚になる人です」
「……信用できるんですか」
「私は彼女の弱みを握っていますし、やりがいのある仕事とそれに見合った報酬も提示しています」
「そ、そう、それなんだが!」
突き刺さる視線をよそに、ウーティスは疑問をまくし立てた。
あの場では言及できなかったが、おかしな点が山ほどある。
「その、どうやって私の素性を調べ上げたのですか? 私はレフコスに渡ってきてからできるだけ痕跡が残らないように気をつけていたし、ホプトン卿も口が軽い人ではない。それに、彼が招いた客も限られているし……」
「ああ、そうですね。アンナがあなたを信用していないように、あなたも私を信用していないでしょう。信用してもらうために、まずは種明かしをしましょうか」
オレリアは立ち上がり、紙束の積まれた棚からいくつかの羊皮紙を引っ張り出してきた。教会の焼印が捺されているそれを手渡され、促されるままに目を通す。
どうやら教会裁判所の裁判記録のようだ。どれも内容は離婚調停で、いずれも神の名のもとに離婚を認める判決文が記されている。
「教会が離婚を認める基準は非常に厳しい。どうにか穴を見つけようとしていたときに、これらの裁判記録が目につきましてね。いずれも夫が背徳的な欲に溺れて家庭を蔑ろにしたという妻の訴えを認めたものです」
「これは……」
「心当たりがありますね? ああいえ、糾弾するつもりはありません。趣味は人それぞれですから。気になったのは裁判所の管轄です」
オレリアが指さした先の壁には地図が貼られていた。
ガロアのある西方大陸とレフコス島を含めたかなり広範な地図だ。教会の専門職として隠れ里の資料庫に出入りしていたウーティスでも、ここまで精巧なものは初めて目にした。
書かせるのにも相当な金がかかったであろう地図に惜しげもなくピンを刺し、なにやら無数の書き込みまでされている。
「教会裁判所には地域で管轄があります。類似する事案が連続していることに気がついて、同一犯によるものではないかと考えました。するとどうでしょう、ガロア北部の山岳地帯から始まって、西へ進んでいくではありませんか」
「……なるほど。それで?」
「西の果てには海があり、海からレフコス島に渡るのには船が必要です。港の宿場町で被害者が出頭しないまま解決した刀傷沙汰があったことは記録に残っていました」
「えっ、そんなことまで記録に残るんですか」
「あの港は貴人が出入りする港ですよ、アンナ。自分が高貴な身分だと思っている人間が自分の手を汚す時は決闘をしますし、決闘なら決闘として記録が残ります」
ウーティスは自分の考えの至らなさに恥ずかしくなってきた。
レフコス島に渡ることは決めていたが、金持ちの多い港を選んだのはカモが必要だったからだ。
民間の渡し船を使うのは商人だけだ。船賃は金持ちの足元を見た金額に設定されている。指名手配されている身で教会の連絡船を使うことはできない。
焦りから加減を忘れ、いつもよりも搾り取りすぎた。そのせいで、ウーティスは貢がせた男の御婦人に刺された。刀傷沙汰というのはそのときのものだろう。
「ホプトン夫人が御者に下賜した指輪から、ホプトン卿の客分として身を置いている錬金術師が優れた冶金技術を持っていることは確信できました。それに、金属の知識も並ではない。これ、合金でしょう?」
オレリアから投げ渡されたのは、確かに自分が作った指輪だ。よく見ると内側に少しだけ削られた痕跡がある。
足がつかないよう、できるだけ簡素かつ丁寧な作りにしたつもりだった。合金にした、というかなってしまったのは原料が不足していたからだ。銀の手持ちが少なかったため、スズでかなり誤魔化した。
「銀の鋳物に見えましたが、削って融かしてみると銀よりも融点が低かった。そこで、手持ちの薬品で反応を見てみました。スズと銀、合っていますか?」
「……お見事です」
「お見事なのはあなたです。設備も整っていない中、ここまで均一に合金を作るのは難しいでしょう。しかし、同じ技術を持っている集団がいることに気が付きました。……教会の祭具とは何かと縁がありましてね」
ウーティスは両手を上げて降参を表明した。
出来合いの指輪と前科だけでここまで追い詰められるとは思ってもいなかった。世間は広い。
「まあ、正直に言って確信はありませんでしたよ。ホプトン卿が真面目で素直な人で助かりました」
「……まさか、鎌をかけたのですか」
「ええ。確証がなくとも自白してくれればそれで十分ですから」
目が回りそうだった。これから自分の上司になる人物がこれなら、安心すべきか、それとも恐怖すべきなのか。
ウーティスはすっかり納得してしまっていたが、しばらく聴衆に徹していたアンナが新たな疑問を提示した。
「記録とか、情報とか、一体どうやってお集めになったんですか?」
「……お前じゃないのか」
「あとであんたには先輩への口のきき方を叩き込んであげるから、覚悟しておきなさい。姫様、もしかして本国で誰か動いているんですか?」
オレリアは微笑むばかりで答えない。どうやらまだ明かしたくない秘密のようだ。
「姫様、まさか」
「いいえ。あなたが想像している人ではありません、アンナ。彼のためを思うなら、彼とは連絡を取るべきではありませんから」
「……しかし、それでは」
「大丈夫。私にはあなたがいます」
ウーティスは気まずさを誤魔化すように咳払いをした。
二人きりの世界に入られるのは別にかまわない。主従として特別な関係もあるのだろう。しかし、まだ自分が何をするのかの説明も受けていないし、何より聞いてはいけないことを聞いてしまいそうな気がした。
「あー、それで……私には何をお任せいただけるのか」
「そうでした、失礼。ウーティス、印刷機を見たことはありますか?」
「印刷機?」
耳慣れない言葉だ。
なんとか記憶を辿ってみると、師である自然哲学者の男が「はるか東方で生まれた偉大な発明」として熱弁していたような気がしなくもない。
「東の国で生まれた発明という話を聞いたことはありますが、実物はおろかどのようなものかも知りません」
「なるほど。それはそれで都合がいいですね。あなたにはまだないものを作ってもらうことになります」
「……もう少し具体的に、お願いできませんか」
オレリアから新たに差し出された紙束を見て、ウーティスは驚愕した。
多少雑に書かれている部分はあるが、これは設計図だ。巨大な網の上に金属製の文字の印章を並べ、そこにインクを塗布させた状態で紙に圧着させ、まとめて文字を印刷する機械。
印刷機。確かにこれは、まだないものだ。
「印章や焼印は流通していますが、私はこれをもっと自在に組み合わせられるものにしたい。一度文字列を組み立てれば、連続して長文を印刷でき、そして新しい文字列を刷る必要があれば組み換えられる機械がほしいのです」
「……確かに、これは私の仕事だ」
ウーティスは思わず敬語も忘れて、設計図にのめり込んだ。
この活字と命名された金属製の印章は市井の金属加工技術では絶対に作ることができないものだ。必要な大きさの文字を作ることはおろか、適した金属の製錬すら適わないだろう。
インクもこれまで使われていた羽根ペン用のものから変える必要があるし、その原料についても検討しなくてはならない。
「この印刷機を使って、我々は雑誌を刊行します。タイトルは『月刊・同時代』、地域ではなく時代で世界の最新情報を伝える書物だと思ってください」
「それは……しかし、情報はどのようにして入手されるのですか?」
「商業都市群の有力者何名かに手紙を送ってあります。広告を掲載するかわりに情報を流してもらうだけの簡単な交易ですよ。ガロアには伝手がありますし、レフコスは言うまでもないでしょう」
ウーティスは息を呑んだ。
自分が刹那的な衝動で乗ろうとした運命の潮流は、時代の激動だったのかもしれない。これから自分は世界の変化を目撃しようと、いや、変化を起こす大きな手そのものになろうとしている。
「難しそうなら降りても構いませんよ。あくまでプランのひとつですし、あなたには他にも頼みたい仕事がありますからね」
「……いいえ、やらせていただきたい。これは私の仕事だ」
今さら降りるなど、とんでもなかった。
オレリアはようやく年相応の笑顔を弾けさせて、ウーティスに手を差し出した。
「それでは、よろしくお願いします。今日からあなたはアルバス・カンパニーの社長、ウーティス・アルバスです」
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