第9話 錬金術師

「――さあ、これより先は一瞬たりともめさるな! はるか東方より伝来せし賢者の石によって、卑しきは貴きに……砂の底に眠った鉛が、金となって蘇るのです!」


 大仰な手振りの後、男装の麗人が赤い石を嵌めた杖を振るった。すると、たちまちにして木枠に積められた砂の底から黄金色の液体がこみ上げてくる。

 理屈はさっぱりわからないが、鮮やかな手並みだ。リシャールはこの手の奇術に明るくない。オレリアにあらかじめペテンと聞かされていなければ、本当に東洋の錬金術だと思い込まされただろう。

 隣に座るオレリアは椅子の上で目の前の奇術師に拍手を送り、差し出された羽根付き帽子に自分のつけていた銀のブレスレットを放り込んだ。

 普段は人を食ったような態度で平然と皮肉を言い放つオレリアも、こうして子どもらしく振る舞っているうちは本当に可愛らしい7歳の女の子に見える。目の前の性悪娘が何を目論んでいるのか気づきもせず、ペテン師はほくほく顔だ。

 どうしてリシャールとオレリアが錬金術師を自称する男の手品を見物しているのか。それを説明するためには、数日前まで時を遡る必要がある。


 バース・ホプトン。彼はホプトン男爵として北方の山岳地帯付近に所領を封ぜられた、新興の貴族だ。養蜂業への投資に失敗し、狩猟林の管理でなんとかやりくりしている貧乏貴族でもある。

 そんな彼がここ最近になって社交界で羽振りの良さを見せつけ、ついにはリシャールの婚約者お披露目パーティーに出席できるだけのコネを得た。彼の財源は自分と同じ貴族たちだ。

 彼は仲間内にだけ、まことしやかに囁いている。己の屋敷に逗留させている東洋の偉大な錬金術師が、近々研究の成果を披露するのだ、と。そしてその見物料を取って、盛大に儲けているのだ。


「……それで?」

「見に行きましょう。大至急」


 何をどうやったのか、オレリアは哀れなホプトン男爵の秘密をあっという間に暴いてしまった。ホプトンがパーティーに出席したのは昨日だ。オレリアは間違いなく、ずっとリシャールの隣にいた。

 一体どうやってここまで情報を集めることができたのだろうか。

 問いただすのが先か、諫めるのが先か。リシャールは眉間の皺を揉みほぐしながら、目の前で爛々と目を輝かせるオレリアをどうやって止めるか考えた。


「君ねえ……僕にも立場があるんだぞ。錬金術師ってあれだろ? 怪しい薬売りの」

「ええ。教会の認可を得ずに医療品を売り捌き、鉛を金に変える手品で無知な人間を騙して荒稼ぎすることで有名な。自称するだけで破門される、なんて話も耳にしたことがありますね」

「おい、わざわざ濁して言ったのに!」


 錬金術師の存在自体はリシャールも知っていた。

 彼らは自分たちの起源を「聖墓ネストリアで生じた古の学問の継承者」としているが、その実態はオレリアが言ったとおりのものだ。

 まともな薬がほしければ修道院に行けば聖職者が作った安全なものを買うことができるし、それなりの金品さえ寄進すれば医療の聖職者から奇跡の施しを受けることも可能だ。錬金術師に頼る理由はない。

 それどころか、彼らは魔王が封印されている聖墓ネストリアを貶め、ペテンで人々から不当に金銭を巻き上げる堕落した人々として、破門の対象になっている。

 レフコス王国の王子であるリシャールにとって、絶対に関わり合いになるべきではない存在だ。

 しかし、オレリアはそうは思っていないようだった。


「ホプトン卿が囲っている錬金術師も十中八九ペテン師ですが、そこは重要ではありません。私が必要としているのは彼女の技術です」

「彼女? ……錬金術師は女なのか?!」

「ホプトン夫人が不満をこぼしているそうですよ。夫人は錬金術師を妾だと思っているそうです。まあ、その夫人も御者と情を通じているので、お互い様でしょう」


 頭痛がしてきた。

 哀れなホプトン男爵は7歳の女の子に性事情を暴かれた挙げ句、どうでもいいこととして片付けられてしまった。リシャールは不貞をよしとするほど不道徳な男ではないが、それでもホプトン男爵には同情する。

 一体何をどうやったのか。リシャールの胡乱げな視線に、オレリアは小さく肩をすくめてみせた。


「ちょっとアンナに差し入れを持っていってもらっただけです。主に都合の悪いことを放言しないだけ、彼らは真面目な部類ですよ」

「……不貞を働いている御者は忠実とは言えないだろ」

「御者は夫人が嫁いでくるときに実家から連れてきた下男だそうですから、主には背いていませんよ。追及できるとしたら夫人の責任問題ですが、わざわざ他人の庭で蜂の巣をつつく趣味は私にはありません」

「ああ言えばこう言うな、君は! まったく……それで、技術ってなんなんだ」


 どうやらオレリアの中で錬金術師を訪問することは確定しているらしい。

 リシャールが諦めて話を戻すと、オレリアは手の内で弄んでいた何かをリシャールに向かって放り投げた。

 咄嗟に受け止めた片手を開くと、そこにはひとつの指輪が乗っていた。おそらく銀製だろう、上品な光沢と細やかなレリーフは高級品であることを感じさせる。


「それは錬金術師がホプトン卿の目の前で生み出した品だそうです。夫人への贈り物だったそうですが、夫人は御者に小遣いとして下賜しました」

「生み出した……?」


 レフコス王国で流通している宝飾品は、そのほとんどが大陸の彫金師によって作られたものだ。国内で生産されているものはごくわずかで、レフコス王国の彫金師はその多くが修理を専門としている。

 これは決してレフコス王国の職人たちが怠惰なことを示しているのではない。問題は鉱山資源にある。

 レフコス王国内のめぼしい鉱山は、ほとんどが北方、つまり雪賊の勢力圏にあるのだ。諸侯は雪賊の被害を嫌って鉱山の開発を進めたがらない。雪賊の影に怯えながら徒労になるかもしれない穴掘りをするのは、愉快な投資ではない。

 改めてリシャールは指輪に視線を落とした。よく見れば、レリーフの繊細な曲線は彫金による加工ではないようだ。まるで、最初からこの形の金属として生み出されたかのような整った丸み。

 どこかで見たことがある。

 リシャールの疑問は、オレリアの言葉で確信に変わった。


「教会の祭具は多くが黄金で作られています。奇しくもその指輪と同じ、曲線を多用した繊細なレリーフが特徴ですね」

「まさか……祭具の鍛冶は教会の秘伝だったはずだ」

「ええ。ほしくありませんか、教会が秘伝としている冶金技術を知る錬金術師」


 こうしてリシャールは、ホプトン男爵領に使者を遣わせることとなった。


 大仰なお辞儀でショーの閉幕を告げた錬金術師に拍手を送りながら、リシャールは隣で微笑むオレリアに視線をやった。この錬金術師の何をどうするつもりなのか、ずっと気が気でなかった。

 予期せぬ賓客を迎え入れて興奮しているバース・ホプトンは、錬金術師の帽子にオレリアが入れた見物料を見ようと小柄な身体で一生懸命につま先立ちをしている。

 そんな夫の振る舞いに夫人はわざとらしくため息をついて、リシャールに意味ありげな視線を投げかけてくる。誘惑しているつもりなのだろうが、相手が婚約者を連れた王子であることは理解しているのだろうか。


「お見事でした、エウラリア先生。期待以上のものを見ることができました」

「ふふ、噂に名高きガロアの勇姫に褒められるとは、この辺鄙な地まで旅してきた甲斐があったとあったというものだ」


 エウラリアと東方風の名を名乗った男装の錬金術師は、気障ったらしくオレリアの手を取って口づけを落としてみせた。リシャールは居心地の悪さに長椅子の上で身じろぎした。

 錬金術師を名乗る男装の麗人と、それを囲う小柄な男爵。夫に愛想を尽かして王子に秋波を送る男爵夫人。ここは倒錯的な異教徒の集会か何かだろうか。


「エウラリア先生は東国の賢人に師事したとか。ご出身はどちらなのですか?」

「ふ……今はもう失われた隠れ里さ。私は聖墓の賢人の末裔でね」

「ああ、ごめんなさい。質問の仕方が悪かったですね。エウラリア先生はどちらの修道院から抜け出してこられたのですか?」


 つい先程まで熱気に満ちていた小部屋が、嘘のように静まり返った。

 修道院からの脱走は教会法で禁じられている。脱走者は破門されたとみなされ、匿う者も同罪だ。

 凍りついた表情の男爵、目を見開いた夫人、オレリアの前で跪いたまま固まった錬金術師。オレリアだけがいつもどおり愉快げに微笑んでいる。

 つい先程までは弄ぶようにオレリアの手へと添えられていた、革の手袋に覆われた錬金術師の手。それをそっと両手で包み込んで、オレリアがとどめを刺した。


「ガロアであれば私の、レフコスであれば殿下の伝手があります。暴かれる前に答えるのが賢明だと思いませんか?」

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