第7話 第二王子

 主賓席で穏やかに微笑む少女、オレリア・アルノワ。

 彼女がシェフィールド伯に顔色一つ変えないまま刺した鋭い言葉に感心して、オーウェンは思わず眉を上げた。中々に巧みだ。

 周囲の貴族たちに内実を悟られずにやり取りを済ませたことももちろんだが、自分が侮られていることを承知の上で逆手に取れる躊躇いのなさが素晴らしい。自分を大きく見せよう、強く振る舞おうというような幼稚さがない。


「あのひとが、あねうえですか? あんまりつよそうじゃないです」


 見事に騙された者がここにも一人いる。

 父の腕に抱かれ、兄の元に転がり込んできた「新しい家族」に白けたような視線を向けているのはレオ・エルメット。このレフコス王国の第二王子だ。

 今年で4歳になるレオはまだ言葉もおぼつかず、本来であればこういった社交の場に連れ出すべきではない。それでも「あにうえのおよめさんにあう」と言って駄々をこねるので、こうして王自らが連れてくることとなった。

 どこの国であろうと、親が子に振り回されるのは同じらしい。


「そうか、レオにはオレリア嬢が弱く見えるか」

「はい! でも、あにうえがいるからあんしん、です!」

「はは、そうさな、安心安心」


 くすぐってやればけたけたと笑うレオの愛らしさに、貴族たちも頬を緩めている。幼い頃のリシャールに似て泣き虫の甘えん坊だが、それゆえの愛嬌があるのか、レオを己の子か孫かのように可愛がる者も少なくない。

 もちろん、貴族たちにも打算がある。

 いずれオーウェンが崩御し、リシャールが王位を継ぐ日がやってくるだろう。そのとき、レオの役目は王弟として国を護り、血統を永らえさせることとなる。

 貴族たちから見て、レオは金のなる木だ。娘を嫁がせれば王家の外戚になるし、そうでなくとも顔と恩を売っておくだけでいずれ国策に一枚噛むことができる。可愛がらない理由がない。

 だからこそ、余計な虫がつかないように王自らが連れてくる必要があった。オーウェンは彼らの主君だ。主君の前でその息子に取り入ろうとするほど愚かな者は招いていない。

 そんな打算に気づきもせず、無邪気に笑うレオは本当に愛らしい。

 いつかこの子が無垢ではいられない日がやってくる。そのときオレリアが義姉として支えになってくれるのであれば、婚前での転居程度は些事に思えた。


「――陛下」


 背後からかけられた声に振り返ると、そこにはしばらく顔を見かけなかった家臣が膝をついていた。


「おお、ジョージ! 久しいな、ようやく帰ったか!」


 ジョージ・ガーナー。彼もまた伯爵としてオーウェンに臣従する貴族だ。

 長い髭と折れ曲がった鉤鼻。老いはしたが、その特徴と忠誠心だけは20年変わることなく続いてきた。

 オーウェンにとって馴染みの顔だったが、ここ数年ジョージは宮廷を離れていた。

 その理由こそが、膝をつく彼の枯れ木のような身体を覆う黒い外套、そしてその胸元に光る聖墓騎士団のタリスマンだ。

 ミトラス教にとっての至上命題、聖墓の封印。その聖墓と巡礼の街道を維持するためには敬虔な祈りなど大した役には立たない。教会は野盗や獣を相手にするための優れた騎士団を必要としていた。

 ジョージは貴族でありながら、そうして結成された聖墓騎士団に一介の騎士として所属している。


「遅ればせながら、ただ今罷り越しましてございます」

「よい、楽に。卿と余の仲であろうが」


 ゆっくりと顔を上げたジョージの顔をまじまじと見つめる。

 ただでさえ清貧を心がけていた彼がますます痩せた。頬はこけ、すっかり骨のようだ。それなのに眼は信仰心と熱意で爛々と燃えている。

 このレフコス王国では滅多に目にすることのない敬虔さ。それこそがジョージの芯であり、王として好ましくも悩ましくも思う部分だった。


「痩せたな、ジョージ。修道院の暮らしは老体に堪えるだろうに」

「とんでもございませぬ! 信仰篤き同胞たちとの日々は老いた我が身に活力をもたらしてくれました。10歳も20歳も若返ったような心地にございます」

「そうか、そうか。ではレオを修道院にやってはいかんな、4歳のちびすけがそんなに若返ったら消えてしまう」

「陛下、滅多なことを仰っしゃりますな!」

「はは、冗談だジョージ、冗談」


 信仰に裏打ちされた強靭な精神と、鍛えた鋼にも劣らないバカ真面目さ。オーウェンはこの老人を好ましく思っている。

 ただ、初対面のレオは彼の剣幕に慣れていない。腕の中でべそをかくレオをあやしながら眉をひそめてみせると、ジョージは慌てたように頭を下げた。


「も、申し訳ございません、レオ殿下!」

「ここにいる連中は大半が卿の喧しさに慣れておるがな、レオとあちらのオレリア嬢には常より三歩離れたくらいの声量がちょうどよいだろうよ」

「は、そのように……!」


 飛び退くようにして下がろうとしたジョージを引き止めたのは、彼が引き連れていた青年だった。

 ジョージに似て鉤鼻だが、緑の瞳には情熱よりもむしろ知性の光がともっている。


「父上、陛下は声を小さくせよと仰せなのです。離れてしまってはますますレオ殿下が父上に慣れることができませんよ」

「む、そうか。うむ、そうだな。とんだ御無礼を、陛下……」

「はは、よい。慣れておる。それで、そちらが」


 父の外套から手を離し、青年はオーウェンとレオに跪いて臣従の礼を取った。

 まだ若い。年の瀬は16かそこらだろう。高齢のジョージと親子とするには些か年齢差がある。

 しかし、彼の顔立ちには確かに血筋を感じるものがあった。


「お初にお目にかかります、陛下。ジョージ・ガーナーが名代、ヴィクターと申します。レオ殿下におかれましても、以後お見知りおきのほどを」

「ほう。養子か?」

「左様にございます。父ハンスの逝去に伴い、大叔父にあたるジョージの養子となりました。未熟者ではございますが、ガーナー伯の名代として陛下より賜りました所領をお預かりしております」


 流暢な受け答えだ。オーウェンは新たな家臣の言葉に頷いてみせた。

 ジョージには子がいない。妻帯者は聖職騎士になれないと教会法で定められているからだ。もちろん、すべての騎士がその法を守っているわけではないが、ジョージにとって法とは疑う余地もなく守るべきものだった。

 しかし、彼にとっては不幸なことに、ガーナー伯という地位や財産は原則として子に相続される。子がないままではガーナー伯爵領を取り潰し、他の家に委ねることになる。それは忍びない。

 前々から「養子を取れ」と催促していたが、ようやく後継者を選んだようだ。


「その若さで中々に聡明と見える。よき領主であれ、ヴィクター」

「もったいなきお言葉」

「ちちうえ、レオもはなしする!」

「む、そうか。ヴィクター、倅のレオだ」


 己より遥かに年上でも、若い家臣の登場に何か思うところがあったのだろう。レオが拙い言葉で語りかけ、ヴィクターは丁寧な態度でそれに応えた。

 一見すると次の世代どうしの心温まる交流だ。

 しかし、オーウェンはひとつの興味深い事実に気がついた。


「――では、レオ殿下もあちらのお若い貴婦人とは初対面でらっしゃるのですね?」

「うん。あにうえのおよめさん、ちっちゃい!」

「そうですね、背丈は殿下のほうが高いかもしれません。殿下とは3歳しか違わないそうですから」

「えっと、3さい……じゃあ、7さい?」

「そう、7歳です。殿下は算術がお上手ですね」

「へへ……」


 ヴィクターの態度は臣下として十分に礼儀を弁えたものだ。言葉遣いも整っていて、優れた教育を受けたことが察せられる。

 しかし、会話の節々からは王子に対する敬意よりもむしろ、レオの器を推し量るような意図が見て取れる。間違った行いではない。ヴィクターは伯爵領を切り盛りする名代だ。仰ぎ見るべき王族を知っておこうとする姿勢は勤勉ですらある。

 ただ、このレフコス王国でそういった振る舞いはめったに見かけない。

 レオは勇者の血統、唯一にして光明な神であるミトラスにその善性と聖性を保証された血の保有者だ。誰がその血を疑えようか?

 もちろん、それだけを理由に不敬と咎める気はオーウェンにはない。彼の養父であるジョージも気づきすらしていない、僅かな違和感に過ぎないものだ。


「ジョージ」

「は、何なりと」

「ヴィクターの父、ハンスというのは、どういった人物であったか」

「亡き兄エリクの遺した子でありました。兄に似て賢く、語学に長け、モンタギュー候に通訳として仕えておりましたが、一昨年に急な病で……」

「そうか、ヘンリ・モンタギューの。あれも存命であれば惜しんだであろうに」


 甥としてハンスを可愛がった記憶があるのだろう、しきりに頷くジョージをよそに、オーウェンはヴィクターを見続けていた。

 老齢だったモンタギュー候は昨年の冬に肺炎で他界したばかりだ。教会との関係がさほど深くないレフコス王国では医療の聖職者が籍を置いていない領地もままある。積雪で街道が閉ざされれば行き来も難しい。

 一昨年は実父、去年はその主。相次ぐ悲劇にもめげない利発な青年。愛されるに相応しい、感動的な筋書きだ。


「将来が楽しみになるな」


 第一王子の婚約発表に招かれ、王を目の前にして、そのどちらでもなく第二王子と親しげに言葉をかわすヴィクター。彼の静かにきらめく緑の瞳には野心の炎がちらついている。

 その炎が果たしていつ灯ったものか、どのような薪が焚べられたのか、それは故人であるモンタギュー候とハンスしか知らないことなのだろう。

 そして、レオと語らうヴィクターを主賓席から静かに見守る少女がいる。

 貴族たちの応対に手一杯なリシャールを支えつつ、オレリアはすっかりレオに懐かれて笑みを浮かべるヴィクターを見ていた。オーウェンが感じる焦げ臭さに、彼女も気づいたのだろうか。


「まったく、楽しみだ」

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