第6話 お披露目

 レフコス王国は確かに異質だが、そこに人が住まい、人が治める以上、どうしても他国と類似する部分はある。

 有力者が集うパーティー。そんな場所で繰り広げられるのは当然互いの権勢を誇り、少しでも利益を先んじて独占できるような情報を引き出し、そしてライバルの力を削ぐ、そんなやり取りだ。

 王城のダンスホールを彩っているのも、そんな造花のような優雅さでギラついた欲を隠す人々だった。

 主賓として、オレリアはリシャールの隣に座って会場を見渡している。彼らは会話の間にオレリアへと視線を向ける。好奇、忌避、欲望、様々な色が飛び交う。

 そのすべてを飲み干して、オレリアは彼らに無言の微笑みで返す。


「この度はご婚約おめでとうございます。まるで古の物語から飛び出してきた妖精のような可憐さ、殿下も隅に置けませんな。お子を授かられるまでこの老骨が生きておればよいのですが」

「ありがとう、キース。卿のところも初孫が生まれたばかりだろう? 身内の若さは己の活力、昔からそう言うじゃあないか」

「はは、ご尤もですな。孫のフィリップは倅に似て早くもやんちゃを覚えまして、今朝方など儂の髭を手綱のように――」


 今挨拶をしている白髭を豊かに蓄えた老人はシェフィールド伯爵家のキース・シェフィールド。レフコス王国南西部に封ぜられた有力諸侯の一人であり、大陸との羊毛貿易で莫大な富を得た富豪でもある。

 その情報をオレリアに囁いているのは、昨日に引き続き王から借りているメイド長のフレデリカだ。いつの時代も台所を預かる人間は誰よりも耳聡い。

 彼女の解説は実に正確で、かつ端的だった。聖俗を問わず彼女はあらゆる賓客の顔と名前、経歴を把握していて、挨拶客がリシャールに声をかける素振りを見せるやいなやオレリアに情報を提供してくれた。

 しかし、シェフィールド伯の経歴に関して言えば、オレリアはフレデリカ以上に詳細な情報を持っていた。


「シェフィールド伯はご令孫を可愛がってらっしゃるのですね。よき先達に恵まれたご令孫の将来はご家族にとっても楽しみでしょう」

「よき先達であり続けられるよう、精進せねばなりませんな。しかし、将来が楽しみなのはオレリア嬢にも言えることでは」

「そうであるとよいのですが」

「そうご謙遜なさるな。信仰のために立ち上がった果敢な兄妹! そのはこのキースも聞き及んでおりますぞ」


 そうであろうとも。

 大陸との貿易を営んでいるということは、人の行き来があるということだ。大陸、つまりガロアに彼の耳目がある。

 公にはオレリアが起こしたは信仰のための盗賊退治ということになっている。その噂を単に耳にしただけなら、オレリアの敬虔さを讃えるだろう。

 あえてオレリアの武勇を讃えたのは、彼がオレリアの事情をある程度知っていることを示唆している。オレリア自身が戦ったことは流布されていない。

 その上で、目の前の老人は「将来が楽しみ」と語っている。長期的にレフコス王国、またはシェフィールド伯爵家の利益となる限りにおいては、自分は味方をすると言いたいのだろう。

 とんだ食わせ者の爺だ。


「ふふ、私の武勇などと。勇者様のお膝元でそんなをされたら、私が怒られてしまいます。でも、になれるよう精進いたします」

「……左様ですな。いやあ、安心いたしました。なんとも心強いお言葉です」


 同じことをやる気はない。自分はあくまで王子の婚約者だ。

 その意図が伝わったのだろう。キースは一瞬目を細めたが、好々爺然とした表情は崩すことなく鷹揚に頷いてみせた。

 オレリアとしてはシェフィールド伯爵家との関係は良好に保っておきたい。彼が生み出す羊毛という資源はこの国を豊かにする上で欠かせないからだ。

 化学繊維がない以上、服飾を含む織物の原材料は限られている。毛織物は耕地面積の限られたこの国で最大級の富だ。キースがオレリアに向けている期待以上に、オレリアは彼の羊に期待している。

 今のところレフコス王国の織物産業は伝統的な手工業にとどまっているが、いずれ産業としての集中化と工場化が進む。羊毛の国内需要は今後はるかに高まる。

 いや、オレリアが高めるのだ。


「そんなシェフィールド伯にお願いがあるんです。構いませんか、殿下」

「ああ、いいとも。キース、聞くだけ聞いてくれないかな」

「お望みとあらば。しかし、この老骨がどのようなお役に立てますかな?」

「実は花嫁修業として機織り機をねだろうと思っていたのですが、やはりこういった品は専門家に相談するのが一番いいでしょう? もしよろしければ、見立てていただけませんか」

「なるほど! それはそれは……」


 パーティー会場がわずかにざわついた。

 多少頭の回る者なら、この会話に誰もが注目しているだろう。

 オレリアはカモだ。半ば追い出されるようにしてレフコス王国に放り込まれたとはいえ、ガロアとの縁が切れたわけではない。小さな島国で生まれる富は限られている。彼らの野心が外に向くのは当然のことだ。

 そして、シェフィールド伯が最初にそのカモを捕らえた。彼らはそう思っているだろう。先を越された、と。

 隣の席でリシャールが貼り付けた笑顔を強張らせているのを無視して、オレリアはにこやかに会話を続けた。


「なんといっても、まだ7歳の身です。この小さな身体でも扱える機織り機というのが城にはなかったようで……その点、シェフィールド伯が誇るは腕利きだと、ガロアにいたころから耳にしております」

「驚きましたな。いえ、謙遜するわけではありませんが、まさかご存知とは。ガロアの宮廷ではそのような噂が?」

「宮廷の皆様は噂好きでらっしゃいますから」

「……なるほど。どうやら殿下の花嫁探しは大変に上手くいったようですな。これほど勤勉で聡明な姫をお招きする日が来るとは」


 深い皺の数だけ刻まれた老獪な知性が、好々爺の仮面を外した。そのことにどれだけのが気づいているだろうか。

 キース・シェフィールドは貴族だ。彼自身がガロアの土を踏むことはない。だから、彼が大陸に持つ、貿易によって築き上げた情報網をオレリアが把握していないと断言することはできない。

 先の聖堂街に関する騒動でガロアではいくつかの領地が主を替えることとなった。その中には紡績産業の拠点である北西部のいくつかの州も含まれている。

 会場で嫉妬の視線を一手に集めているこの老貴族の経済基盤は、見た目ほど安泰ではないのだ。そして貴族は「落ち目だ」と悟られることこそ一番避けねばならない。シェフィールド伯はオレリアを軽んじることはできなくなった。

 もちろん、彼には彼の人生と、それに見合っただけの経験がある。この程度の窮地はさしたるものではないだろう。それでも可愛い孫の将来を思えば回避できるリスクは回避する。

 どう見ても「世間知らずの小娘が貴族に弱みを見せた」という、それだけのくだらない場面。その演出を目眩ましにして、オレリアはシェフィールド伯に「取引に値する相手」であることを示した。

 まさか7歳の子どもがそんなことはしないだろう、そんな甘えた常識はオレリアにとって付け入る隙以外の何でもなかった。

 オレリアはレフコス王国にただ逃げてきたのではない。

 いつか兄が王位に返り咲くその日のため、レフコス王国を強く豊かな同盟国にする。それこそがオレリアの目的だ。


「私など、まだまだ学ぶべきことの多い身です。リシャール殿下に相応しい妃になるために、できる限りのことをしたいと思っています」

「であれば、この爺もお力添えせんわけにはいきますまい。少し大きめに作らせたほうがよろしいですかな。じきに背も腕も伸びられることでしょうから」

「そうであってくれると嬉しいです。詳しくは後日改めて、ゆっくりと聞かせてください。……殿下、どうされました? 顔色があまりよろしくないですね」

「……いや、尻に敷かれないよう頑張らなきゃいけないなと思ってね。9歳年下の子に頭が上がらないというのは、情けないじゃ済まないだろ?」


 リシャールは少し呆れたように肩をすくめ、会場の笑いを誘った。

 どこの国でも妻の尻に敷かれる夫というのは笑い草だ。男性優位の社会で男性が女性に負けるという構図の滑稽さは万国共通と言ってもいい。

 オレリアとキースのやり取りを間近で見ていながら、会場の空気を和らげるために少し俗っぽいジョークを口にする。王子としてリシャールが積み重ねてきた経験もまた、無駄ではないのだ。

 そして、リシャールのそんな有能さをオレリアは対面するまで知りもしなかった。彼にはいい意味で期待を裏切られた。

 会場で笑っている貴族たち。その中には聖職者として教会からオレリアの真実を聞かされている者も、軍事大国であるガロアを嫌う者も、未成年の婚約者でありながら転がり込んできたオレリアに難色を示す者もいる。

 しかし、彼らはその不快感の矛先をリシャールには向けていない。少なくとも表立って彼を非難する者が一人も現れないのは、リシャールが次の王として期待されていることの証左だろう。

 実に期待しがいのある婚約者だ。

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