第5話 勇者の国

 レフコス王国は他国と明確に異なる特徴を持つ。その特徴とは王が勇者の血統であるという歴史だけを指すのではない。

 今まさにオーウェン2世が葡萄酒の酒杯を傾けている様が示すとおり、この国の王は奔放で、親しみやすさを示すことが求められる。

 身近な王。

 それが召喚された初代勇者から脈々と受け継がれる、ある種の理念だ。


「ただいま戻りました、父上」

「うむ。それで、そちらが」


 抱き上げられていた腕から軽やかにすり抜け、絨毯に着地する。

 当然痛めてなどいない脚を庇う必要もなく、叩き込まれた礼儀作法に従ってオレリアは完璧な会釈で王に応えた。


「東の方、海を渡って参りました。アルノワ家のオレリアと申します。陛下のご勇名は我が故郷でも聞き及ぶところ。婚前の身ではありますが、この儚い身命をレフコスの白く清き大地に還すことをお許しください」

「おお……今7つだったか? 見事なものだ。よい、ゆるりと休まれよ。部屋は用意させてあるが、足りないものがあれば手配する」

「陛下のご親切に心より感謝いたします」


 とりあえずはなんとかなった。

 もちろん、婚約を王が認めている以上は追い出されるようなことはない。少なくともその日のうちに追い出されることはまずない。

 それでも、「本当に子どもだとは思わなかった」「成人していると聞いていたから婚約を許可した、騙された」と主張される可能性がなかったわけではない。

 未成年、それも7歳の婚約者を逗留させるというのは宗教的にも道徳的にもリスクが高い。世間体が悪いのだ。

 そして、世間体とは王にとって最も重要な武器のひとつでもある。王とは統治者だ。どれだけ能力があろうと、支持されなければ君臨できない。いつでも、どこからでも対立候補は湧いてくる。

 レフコス王国という特異な国が相手でなければ、こうはいかなかっただろう。


「ガロアの教育は進んでいるなあ。そうは思わんか、リシャール」

「我が身の不才を恥じるばかりです、父上」

「可愛い婚約者からしっかり学ぶといい。……さ、子どもはもう寝る時間だ。明日は宴だからな、ぐっすり寝んと体力がもたんぞ。フレデリカ、後は任せた」


 興味深そうな視線を隠そうともしないオーウェン2世だが、さすがに長旅を終えたばかりの子どもにあれこれと質問する気にはならなかったのだろう。オレリアは用意された部屋へと案内された。

 先導してくれるのはこの王城のメイド長、フレデリカだ。役職名といい、典型的でクラシカルなメイド服といい、勇者の影響がそこかしこに残っている。

 黒髪をシニヨンにまとめた初老のメイド長はメイドという「勇者がもたらした役職」に誇りを持っているらしかった。彼女の目つきはひどく険しい。まるで猛禽類のような鋭さだ。

 ただ、その眼光が睨んでいるのはオレリアではなく、その後ろで迂闊にも大きなあくびをこぼしたアンナだった。


「オレリア様がこの城にお住いになる以上、私は貴女の言動に責任を負います。明日の夜に開かれる宴でそのような振る舞いは謹んでいただきますよ。メイドの名に恥じない態度を心がけ、お客様に最大限のおもてなしを尽くすのです」

「いやあ……メイドって、女給さんですよね? その手の仕事は苦手でして、こう……」

「苦手は克服するものです。初代メイド長バルバラは不義の子として檻の中で育ったにも関わらず、勇者様のメイドとして旅の中で炊事を覚えたのですよ?」

「料理は食べるほうが得意なんですよね。いや、一応覚えはしましたけど」

「食べるほうが得意なメイドなどと――」

「そのあたりにしてあげてください。アンナは私の護衛です。私に使用人を抱える甲斐性がなかったせいで縫い針を何本も駄目にするはめになったんですから」


 遠回しに「アンナの仕事に口出しをするな」と釘を刺すと、フレデリカの眉間に皺が寄った。しかし、彼女も王に仕える身だ。王子の婚約者からの言葉を無視するわけにもいかない。

 レフコスでの生活で、アンナは「オレリアの耳目となる」という重要な役割を担っている。彼女を家政婦の枠に押し込まれるのは都合が悪い。

 やや気まずい沈黙を破ったのは、意外にもアンナだった。


「しかし、立派なお城ですよね。着いた時びっくりしましたよ、私」


 アンナが手のひらでぺしぺしと壁を叩いてみせた。石造りの壁面は勇者の物語を描いたタペストリーで飾られ、隙間風の冷たさを和らげるとともに歴史の風格を漂わせている。


「この城は初代勇者様が召喚にお応えになるよりも前に建てられたものです。あらゆる敵を阻む不落の城。我らの誇りといえます」

「初代勇者の召喚前っていうと……800年以上前ってことですか? すっごいですねえ、大先輩じゃないですか」

「……ええ。そして四代に渡り勇者をお迎えした城でもあります」


 アンナの軽薄な言い回しが気に障ったのか、勇者への敬意を強調しながらも、どこかフレデリカは自慢げだった。

 おそらく本当にこの国の人々にとって誇りなのだろう。一度も落ちたことのない城というのはそれだけでその地の人々に勇気を与える。

 ましてや、この城が攻められたことは一度や二度ではないのだから。


「この城が睨みをきかせている以上、北方の雪もたやすくは融けない、と」

「当然です。神を敬わない雪賊など、レフコスの土を踏ませるにも及びません」


 雪賊。蔑みのこもったフレデリカの口ぶりからも察せられるとおり、レフコス王国にとって卑俗で野蛮な敵を指す言葉だ。

 レフコス島は中央部の丘陵地帯を越えると急激に気温が下がり、さらに北部へと進むと凍土に覆われた不毛の地が広がっている。雪賊とはその地に棲まう民のことだ。

 当然、土地の貧しさに比例して雪賊も貧しい。彼らは食べていくために野盗としてレフコス王国の街道や農地を荒らす。彼らにとっては悩みの種だろう。

 今を生きる人々にとって雪賊は害獣だ。

 しかし、歴史を紐解けば違う景色が見えてくる。


「勇者が築いたドゥムノニアとの交流は失われて久しいようですね」

「……ご忠告しておきます。この城は数多の敵と戦ってきました。その穢れた名を内側で呼ぶことは怒りを招きかねません」


 フレデリカは怒りに眉を吊り上げていたが、それでもメイド長としての誇りが勝ったのか、冷静な進言で済ませた。

 どうやら、レフコスの民にとってドゥムノニアという名は重いようだ。

 後ろで置いてけぼりの顔をしていたアンナを手招きして、オレリアは小声でその名の意味を教えた。


「ドゥムノニアというのは、レフコス王国の北にある国家の名前です」

「……ええっ、レフコス島にはレフコス王国だけだって聞いてたんですけど」

「ガロアとは国交どころか人の行き来すらありませんでしたし、今やレフコス王国に敗北し野盗に身をやつした人々ですからね。かつては勇者の友としてこの国ともそれなりの関係を築いていたんですが」


 戦に負け、北方に追いやられ、野盗に身をやつした狩人たち。

 それが雪賊と呼ばれる民族の正体だ。

 かつては勇者の仲間として魔王の尖兵を屠ったとされる彼らは、魔王が封印されたことで役目を失った。戦う相手がいなくなったからだ。

 さらに都合の悪いことに、レフコス島の統治者として勇者の子孫が君臨したことで豊かな南方は団結し、小さくも平和な国家が成立してしまった。

 もしもドゥムノニア人が海を渡っていれば、ガロアで傭兵として名を上げていたことだろう。しかし、造船技術を持たなかった彼らは次第に生き方を失い、北方の痩せた土地で飢えた妻子を満たすために野盗となった。

 この城砦にはドゥムノニア侵攻の歴史が刻まれている。かつて、戦士たちの国家としてレフコス王国に挑んでいた時代の面影が。


「なんか……もったいないですね」

「同感ですが、彼らの略奪によって苦しんでいる人がいるのも事実です」

「まあ、そうですね……うーん、もったいない。せっかく強い戦士がいるのに」


 アンナはいまいちしっくり来ていないようだったが、それも当然だ。彼女はガロアで生まれ育った。戦による拡張と属州としての支配を国策としているガロアの感覚からすれば、軍人の働き口がないなどという状況は理解し難いだろう。

 オレリアはもう少しこの島の歴史に浸っていたかったが、聞こえないふりをして先導してくれていたフレデリカの咳払いで中断された。

 部屋に到着したらしい。


「こちらにご用意させていただきました。家財道具の配置は済んでおりますが、荷解きは不要とのことでしたので、そのままに」

「ありがとうございます、メイド長」

「これも務めですので。湯浴みの支度も整っております。簡単なものでよろしければ、後ほど食事をお届けいたしますが、いかがいたしますか?」


 どうやら個人用の浴室がついているようだ。これも勇者の影響だろうか。

 オレリアはさほど空腹ではなかったが、すぐ後ろに食い意地の張った臣下を侍らせている。善意に甘えることにした。


「ぜひいただきたいです。もしよければ、アンナを厨房に案内していただけませんか? レフコスの料理には私も興味があるのですが、荷解きがありますから」

「……構いませんが、オレリア様が荷解きを?」


 フレデリカの視線は「じゃあこいつは何のために連れてきたんだ」と言わんばかりにアンナへと突き刺さっている。常識で見れば、分担が逆なのは明白だ。

 ただし、オレリアとアンナに限って言えば、何も間違ってはいない。二人は常識に縛られない主従なのだから。

 オレリアは早々に荷解きをして読書に勤しみたいし、アンナはパントリーの場所と警備状況を確認しておやつの入手経路を確保したい。利害は一致している。

 どうやら一筋縄ではいかない客が己の城に入り込んだことを理解したのだろう、フレデリカが小さくため息をついた。

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